思い返せば
繋がることから
始まった






『繋がり 1』






どこの学校にも桜の木はあるんだろうか。

学校にある桜の蕾が日に日に膨らんでいると、
誰かが言っていたような気がするのだけれど、
オレ、三橋の記憶からは「誰か」の部分だけ抜け落ちてしまっている。
あんまりお腹が空きすぎた帰り道だったのが良くなかったのかもしれない。
四月になれば、花は咲くかなあ。
桜餅が食べたいなあ。

「しっかりしろ」と阿部君は言うのだけれど。
「先輩になるんだぞ」と。

春休みが終わったら、オレたちは学年の階段をひとつ上がる。
また春が来たよ、ねえ、阿部君。





「レン!」
一限目後の休み時間、理科室への移動中に聞こえたのは大好きな阿部君の声。
声を追うように、オレの足元に落ちたペンケースが鈍い音をたてた。
あまりにも頻繁に落とすので、
音が響かない(そして中の物が飛び散らない)布製のものに変えたのだった。
あの出逢いの入学式の日からは、早いものでもうすぐ一年が経とうとしている。
阿部君と出逢った頃よりは、無闇矢鱈に怖いと思うことも減っていった。
でも声より、途中で変わった呼び名にまだ体がびっくりしてしまう。
体が勝手に反応するのでどうしようもないのだけれど。
本当はちゃんとオレも「隆也くん」って呼びたいんだけど、
考えただけで心臓は爆発しそうなくらいうるさいし、
でもちゃんと、ちゃんと何か言わなくちゃと思っているのに、
いつの時でも上手く言葉は出なかった。
「おはよ」
言葉は投げかけられて、見えるのは阿部君の掌。

最初の繋がりはボールを通してだった。
温もりを確かめるために手と手は繋がって、傷つきあった後でも背と背は触れ合って、
心はいつでも畏怖と憧れと好きだという気持ちの間でゆらり、ゆらり。
阿部君の笑っている顔が見たいなあと思うのは、いつも、いつもだ。
そんなこと、とても本人には言えないけれど。

差し出された手はいつのまにか習慣になっていて、オレに安心を投げ掛けている。
たとえ前の日に怒鳴られたとしても、それでも、
指は上向きに掌をこちらに向けて差し出される手。
自分の手を同じように重ねるのは、反射じゃなくて、
オレにとってはおまじないのようでもあった。
日常すら侵されてしまった赤い色の時間は記憶とともに随分と薄れてきている。
もう怖くない。
阿部君はどんなオレだろうとも傍にいるよ。
信じて、そっと日々重ねる掌だった。



「タカヤ!はよ!!」
背中に受けた衝撃は突然だけれど、お馴染みの感触だった。
田島君(ここは学校だからね、こっち呼びなんだよ)の広げた両腕の片方は自分にも直撃で、
小さな咳がこぼれ落ちた。
「ちったあ加減しろよ!」
同じくどこかに直撃したのだろうと思われる阿部君の焦った声が耳に届く。
「加減って加えてもいんだよなー!?」
「おまえなあ、」
「オレも七組にいくー」
クラスのみんなは理科室への移動中なのに、
そんな仰天発言が田島君から飛び出して、オレは慌てる。
「え、え?り、理科室……」
「理科室はひとりで行けるだろ?これよろしく!」
田島君の教科書やペンケースが自分に押し付けられる。
「おこら、れるよっ」
「うん、だからコースケには上手く言っといて!行こ、タカヤ!」
『上手く』ってどういうことかも理解できないのに、二人は去っていこうとしている。
どうしよう阿部君。
「あべくん、」
「レン!またな」
向けられたのは、笑顔。
あんまり怖くない、とびきりの笑顔だった。
阿部君が投げかけたものは『今日、また会おう』という小さな約束で、
それが許されていて、そして日常に溶け込んでいることがとてもうれしかった。
だからだろうか、まあいいかと思ってしまったのは。

阿部君と会えてうれしかったなあと緩む頬をそのままに、
理科室に入ったところで泉君から声を掛けられた。
「どした?なんかいいことあったのか?」
頷くことしかできなかったけれども、泉君は笑顔を見せてくれた。
「!!そういやユウ、どこいった?一緒じゃなかったのか?」
「あ、あのね、さっき!阿部君と、会ったよ!」
「げ、まっさか七組か!?もうチャイム鳴るのに!……はまだァ!!」
「了解孝介ここは任せとけ」
ハマちゃんを呼ぶなり、理科室を飛び出していった泉君だった。
たぶん田島君を回収しに行ったのは分かるんだけど、
何が了解なんだろうと首を傾げたところで、そのハマちゃんが手招きしているのが目に入った。
「ほら三橋おいでこっち座りな」
「あ、ありが、と」
「田島の教科書持ってきたんだ。そこら辺に放り投げられてなくて良かった」
「……良かった?」
「ああ、うん。三橋も一緒に七組に連れていかれなかったのも良かったかも」
「あ、あべくんに、ね」
「阿部に会えたのか、うん、それも良いことだな」
うれしい気持ちが体の中からぼわんぽわんと飛び出て、顔の筋肉が自然に緩む。
こんな小さなことで幸せを感じる毎日が来るとは思っていなかった。




偶然だけれども、阿部君と会えた。
それだけで幸せになる日々だった。

今日も明日も繋がって。
触れ合うのは昔も今も、野球をする手だったんだ。



二時間目が始まるチャイムが鳴る。
鳴ったけど、二人はまだ帰ってこなかった。













「お手をどうぞ」から季節を一巡りさせた後の彼らの話。
日常の話(もちろん野球も彼らの日常なのだけど)で始まり、
そして終わっていきます。
中学校シリーズの最終話タイトルが「重なり」で、
こちらの最終話タイトルが「繋がり」なのは、かなり初期からの仕込みでした。




BGM : 音速ライン『空になる』
(曲も歌詞もドンピシャすぎて、この曲と出逢った時にはたいそう悶えておりました)











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2019.12.11 up