ふたりでいっしょに
おひさまをみよう






『夕映え』






「綺麗」の基準というものは人によって様々だと花井は思う。
綺麗なものを見せたかった。
雪景色に映える朝焼けの光は花井自身が昔一度見て、
あまりの綺麗さに言葉も出なかったのを覚えている。
雪がそこまで多くはない埼玉の地に雪が積もることは珍しい。
珍しいからこそ見せたくて、一緒に見たかった。
自分たちは互いに想い合っていたことにも漸く気がついた。
それが真冬の雪の中だった。

田島は元気だ。
元々内面にいろいろ抱えていた頃から元気には見えていたのだが、最近は更に元気だ。
他に語彙がないのかと自分自身を叱咤したいくらいには元気だった。
そして良かったのか悪かったのかは分からないのだが、
関係性がこれまでとほぼ何も変わっていないことに花井は驚く。
いや、全く何も変わらないわけではなかった。
もう出逢った頃の田島はいないと思う。
現実というものはこちらの思うようにはならないのだと、
まだ十数年しか生きていなくともこの肌身に感じている。

雪、雪、雪。
残された記憶にはまだ雪が積もっている。



世界史の課題が終わらないと今日も泣きついて来たのは田島なのだが(逆のパターンはない、決して)、
図書館の入り口のドアから一瞥しても田島本人の姿がない。
9組の教科担当の趣味なのか、課題の中に本を使って調べなければ簡単に解けない項目も増え、
放課後の田島との待ち合わせの場所は最近図書館であることが多かった。
もちろん田島が閲覧室でおとなしく座って本を読んでいるところなどは見たこともなく、
テーブルに突っ伏して睡眠を確保しているのが常なのだが、何故だろう、今日は本人の姿が見当たらないのだった。
田島のものだと知っているワークとペンケースが高書架の列の前のテーブルの上にカバンからはみ出て放り投げてあり、
本人が一度は図書館へやってきたという痕跡が残されている。
その場所に近付き、辺りを見回すも姿を見つけることはできない。
モモカンの都合で今日は遅めだが、ミーティングの始まる前には終わらせなければならない。
それ以前に今日中に提出しないと帰ることができないらしい。
「トイレでも行ってんのかな」
自分のワークも隣に並べ、何か読む本でも探そうと読み物の高書架群に足を踏み込んだところ、
反対側のあまり人が寄り付かない郷土資料や辞典等が並ぶ館の奥に、
見慣れた薄汚れた上靴が足と共に伸びているのが見えてしまった。
「……見つけた」
いつも死角になっている書架の隅っこで背を書架に預け両足を投げ出し、田島はうとうととしている。
らしくなく陰になる狭いところが好きなのか、それとも何か他に彼なりの理由があるのか。
ここは図書館だ。
声を最小に落とし、彼の耳元で名前を呼ぶ。
「たじまー」
瞬間、ちゅ、というリップ音が花井の頬で鳴る。
「!!」
「あずさくんだあ」
名前呼びが突然にぶち込まれて、顔が火照る。
人差し指を口にあて、掌を上下に振って言外に音量を落とせと指示する。
「へっへー、見つけてくんねーかなって思ってたんだ」
小さな、小さな声が落ちる。
うれしそうな、声。
「お、おまえというヤツは」
驚きと困惑で震えが立ち上ってくる。
大きい声が出そうになるが、自分が今いる場所を自覚して思いとどまる。
田島の笑顔が目前にある。
当たり前のようにそこにあった。
そう実感した。
震えを内包したままで、不意に涙が出そうになってしまう。

失ってしまったものはやはりあるだろう。
もう以前の、花井にいつも纏わり付いていた田島は戻ってはこない。
だが、しっかりとした眼差しを讃えてこの現実に立っている愛しい姿がある。

「田島、さっさと立て。ミーティングが始まるまでに課題を終わらせっぞ」
「お、おうっ」
「書くのは全部おまえだからな!」
「もちろんだっ」
赤くなり火照った顔を誰かに気づかれないだろうかと焦りつつも、
花井はワークを持って歴史の本がある書架へと足を向ける。
田島は後ろから付いて来る。





「わーっ!空が真っ赤だ!」
無事になんとか課題を提出し、昇降口へ向かう渡り廊下の中央で田島は突然立ち止まり、
両腕を前に伸ばしつつ大声を上げた。
「たーじーまーっ!」
自分の後をついて来ないことに花井は気付き、踵を返して戻る。
田島の視線を追って空を見た。
確かに。
西方の空は大きな夕陽によって空も浮遊する雲も朱の色に染まっている。
「花井、ほらキレーだよな!」
「おまえなあ……」
モモカンにはシガポから遅刻の連絡を入れてもらってるから、
ちょっとだけと思ってしまうのは、さすがに花井も田島に甘すぎると自覚している。
きらきらと擬音をつけたくなるような笑顔をずっと見つめていたいのも、本音ではあった。
キレーだ、と田島は言うのだ。
「ああ、ほんとだな」
落ちていく夕陽と、暮れていく空をしばし2人で見入る。
空を見たいとか空を見せたいではなく、この先の時間も一緒に空を見ていこうと思う。
綺麗なものを一緒に見たかった。



雪の景色は静かに自分の中で薄まって、残像になっていこうとしている。
朱に染まる太陽へと上書きされていく。
光と太陽の朱色が夏のそれとは違う薄めの雲に織り込まれて、
時間の経過と共に落ちていく雲の重なりの影とのコントラストは本当にキレイだ。
先のことはまだ何も分からないけれど、
田島とはこれからも一緒にいて、いろんな風景を見て生きていくのだ。
そう信じていることを許されているようだとさえ思う。
周りに人影がないことを花井は確かめる。
近い距離。
近い。
手と手。
「よし、ぼちぼち行くぞ」
離れ際にそっと田島の手を握る。
そのまま引っ張って進行方向に連れて行く。
驚きの表情は一瞬、黙ってついては来るが、悔しそうな顔をしているのはどうしてなんだろう。
「なあ、」
「ん?」
田島の声に歩みは止めず、疑問符を投げかけて振り返る。
「ゆういちろうくんって呼んで」
「ば、バカなのか?」
「もう『あずさ』くんって呼ばないからさあ」
「うそつけ」
「へへっ」
花井の傍で田島は笑っている。
その笑顔がどれだけ愛おしいかなんて、当の田島は一生分からないでいいのだ。





季節は夏を目指しながら、緩やかに移っていく。
まだ寒さを感じる日もあるが、巷ではようやく梅が咲き始めた。
春が来る。
光を待つ季節はいつも希望がどこかに溶け込んでいる。
年度が替われば自分たちの学年は上がり、新一年生も野球部に入ってくるだろう。
すぐに春季大会も始まり、夏までの時間はあまりにも短い。
あの夏の頂点を再び皆で目指すのだ。


田島と一緒に見る風景は、きっと何もかもが愛しい。
今日の朱の色が染み込んだ空もしっかりと目に焼き付けておこうと、
花井は視線を沈みゆく太陽に向けていた。













「空を見たい」「空を見せたい」ではなく
ふたり一緒に見る空を大事にしたいと思うのだ











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2018.9.17 up