昼も夜もなんて、そんな贅沢は言わない

よもすがら
よもすがら

ただ、この夜だけは






『終夜(よもすがら)』






まるで世界が雪に封じ込められてしまったようだ。
昼も夜も、視界いっぱいに雪が舞っていた。


宵闇に世界が支配されても、降り止まぬ雪の中、
浜田はその寒さに身を震わせながらバイト先から自宅に戻る。
「さみいなあ……」
ぼやきつつ鍵を開けて中に入ると誰もいないはずの我が家はほんのり暖かく、
人のいる気配がある。
緩む口元を浜田は抑えきれない。
泉だ。
この雪の中、親からの届けものがあったのだろうか、
それとも気まぐれに訪れただけのだろうか。
何にせよ、いつも暗くて寂しい家に浜田は帰宅しているので、
迎えてくれる人がいるという、それだけで心は温かくなる。

寝室のドアを開けると、ベッドサイドの小さなスタンドライトの明かりが点いている。
部屋は暖房が効いていて、ほわりと暖かい。
ベッド上の盛り上がった塊には、愛しい彼が包まれている。
「いーずみ」
掛け布団の上からその塊を揺する。
「う、う…ん、ねみーから、さわんな」
塊を通して、くぐもった声が聞こえる。
「ひ、ひどい。疲れて雪の中帰って来たのにそのお言葉。つか、寝るのはえーよっ」
ここで顔くらい見たいと思うのは、きっときっと間違っていない。
「肉じゃが、持って来てっから、キッチン……」
「おう、ありがと。明日もらうな」
「シガポからの問題用紙、も、あっから、」
「……うん、あんま、うれしくねーけどさ、それって」
「明日早起きしてやっからな、それ」
「……」
勘弁してくれ、とは思うがしょうがない。
試験前でこの週末に野球部の練習はないが、最低限の勉強からは逃げられない。
「だからおめーも早く、風呂入って寝ろ」
「……寝る前にこーすけくんを抱きたいです」
「バカ言ってんじゃねえ、さっさと寝ろ」
「ひでー」
塊の中が静かになってしまったので、浜田はこれ以上の会話は諦めて、
風呂を溜めつつ、泉母特製の肉じゃがを冷蔵庫に入れる。
ちょくちょくこうやって夕飯のおかずを、泉を使い持たせてくれる。
有難い、と浜田は思う。

外ではまだ、雪が降り続いている。
帰り道ではもう積もり始めていたので、
このまま降ったら明日の朝には一面の雪景色が見られるだろう。

湯船の熱い湯に漬かりつつ、浜田は大きな溜息を吐いた。
今日はバイト先でトラブルがあって、いつもより帰宅が遅くなった。
自分の責任ではなかったのだが、やはり心は小さくささくれ立っている。
こういう夜は、泉の存在が何よりも癒しになる。
うれしくて、たまらない。

風呂から上がり、髪を乾かしてベッドに戻ると、塊は寝返りによって解除されていて、
泉の可愛い寝顔が無防備に晒されている。
ベッドに浜田も入り、泉の隣に横になり、頬に手を滑らした。
「ああ、やっぱ、かわいー」
しばらくは泉の寝顔を愛でていたが、やはり浜田も疲れていたのだろう。
とろりとした眠気が、意識を侵食して流れ込んで来る。
眠気はいつしか闇に色を変え、視界を上部から覆いつくそうとしている。

思えば泉にとっては野球三昧な、春からの日々だった。
現在はオフシーズンで少しは落ち着いてはいるものの、
すぐにまた忙しい日々がやってくる。
勝って負けて、考えて、野球にのめり込んでいく。
自分はそこには行きたくても行けないので、焦燥を抱えるけれども、
せめて野球に関わる場だけは共有したくて、援団を初め、様々な協力は惜しまない。

それでも。
もう少し、野球の神様に愛されたかったなと思うことは何度もあった。
特別なことは何もいらない。
強くなくてもいい。
ただ普通に、ケガも無く、野球を続けていたかった。
希求しても報われることの無い現実を、浜田は受け入れて、生きてきた。

失くしてしまったものはたくさんあるけれども、今は、こうして泉が傍にいる。
十分だ。
他に何を望むというのだ。

「……おまえさえ、傍にいれば、……それだけで、いいんだ」

バイトは学校に通い続けるためにはどうしても必須で、そうすると野球部には入れない。
体育系の部活は思ったよりお金が掛かるのだ。
だから応援で、頑張る。
それが野球自体の傍にいることになり、泉の傍にいることにも繋がるのだから。
昼も夜もなんてそんな贅沢は言わない。
昼間はあの太陽の元、泉は野球の神様と共に走り続けてくれればいい。
ただ、夜だけは。
夜だけは、この腕の中に愛した存在を、閉じ込めてしまいたくなる。





意識は突然に浮上する。
目の前に泉の顔がある、あると思うのだが、
何故だかぼやけてしまってよく見えない。
「どう、した?」
浜田の身体の上に泉は傍から上半身を寄せていて、顔を覗き込んでいる。
「バカ浜田、なんで泣いてんだ」
「!!」
「なあ、なんで泣いてんだよ」
「……こー、すけ」
泣いているのか、自分は。
「ばあか」
「……」
「いっつも、独りで、いっつも!!おめーはバカだ!自覚しろ、少しは!」
口では酷い言葉を吐きつつ、泉は浜田の首に腕を絡めてくる。
「オレが何にも気付いてねーと思ってんだろ」
唇を塞がれ、浜田は慌てた。
貪り尽くすような深い口付けに、崩れていく理性を抑えるのがやっとだった。
ぷは、と苦しくなったのか、息継ぎをするために泉は唇を一旦離す。
もう一度近付いてくる泉を掌で遮り、押し戻す。
「ダメ、こーすけ」
「るせえ」
「んな煽ると、マジで抱いちまうって」
両手で泉の頬を挟み、顔を近付け、見つめ合う。
まだ自分は泣いているのか、視界は未だブレたままだ。
泉は舌打ちをひとつ落として、そして言った。
「おめーの好きにすりゃ、……いいだろうが!」
「!!」
「人生上手くいくことばかりじゃない、けど、思い通りになってもいいことだって、きっとあんだろ」
身体の内側を激情が競り上がってくる。
それは恋情とも呼べるものだった。
身体を起こし、浜田は泉を下に組み敷いた。
ベッドがぎしりと軋む。
泉の大きい瞳が、真っ直ぐに浜田を見つめている。
丸ごと、この雪の夜に閉じ込めて。
「好きだ」
「……そんなことは、とっくに知ってるんだよ、ばあか」
「好きだよ」
愛の言葉を夜に落として、浜田は泉の細い身体を抱き締めつつ、その鎖骨に噛み付いた。





よもすがらよもすがら

このままお前を
終夜抱いていたい
朝の世界に落とさないまま
夜の底に閉じ込めてしまいたい

けれど世界は無情だ

夜の時間に落ちて落ちて
明るい朝に向かって落ちて
何れ世界は明けるのだろう

まるでそれが正しいことであるかのように







永遠、というものは有り得ないのだと分かってはいるのだけれど。
もしお互いが、その命を終えるまで、共に居れるのならば。

よもすがら。
よもすがらよもすがら。







「雪夜」「小夜中」と同じ夜のハマイズ。
2015年7月号のアフタでの浜田に、個人的に衝撃を受けてまして。
もっと幸せな話を書くはずだったのに、こんなことに。
泉が男前なのが、ただただ救いです。

















あの少年は、もう大人になってしまっているだろう。
今も何処かの空の下で、笑えているんだろうか。
幸あれと、ただそれだけを願っている。





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2015.9.24 up