『小夜中』












水谷の夢を見ていた。



月の出すぐの満月を背にして、夕暮れに溶けるような優しい笑顔で、
栄口に向かって手を振っている。
ああ、この笑顔に今までどれだけ癒されてきたのだろう。



『栄口』
場面は換わり、甘さを含む声がした。
2人きりの時には、水谷の自分を呼ぶ声は甘さを幾分か増しているのだ。
囁くように、耳元で小さな声。
抱きしめたいなと栄口は手を伸ばした。








あんまり間近に水谷の顔があったので、驚いて栄口の意識は急に覚醒した。
ベッドに横たわる自分の、目の前に水谷の顔がある。
伸ばしたはずの左手は水谷の手に掴まえられていて、
その掌にリップ音付きのキスを落とされた。
「ちょ、何やってんの」
「栄口を愛でてます」
「そ、そうなんだ」
さらりと流したつもりで流せていないのか、顔が火がついたように熱くなる。
自室ではなかった。
ここは水谷の家で、水谷の部屋だ。
ようやく意識がはっきりしてきて、試験期間中、2人きりでの週末勉強会の後、
翌日は部活もないし、雪がどかどかと降っていて帰るのには難儀しそうで、
だからそのままお泊りってことになっちゃったんだっけ、と現状を栄口は反芻して確認した。
昨晩の夕飯はキムチ鍋で、水谷の家族と話も弾み、なかなかに楽しい時間だったのだ。

水谷の部屋のセミダブルのベッドに身体を寄せ合って眠っていた。
部屋を埋め尽くす闇の深さに、まだ夜中の時間だというのは辛うじて分かる。
小夜中に、2人きりの静かな時間。
冬の季節、まだ朝は遠いだろう。
寒さに震えつつ毛布を引き上げると、
水谷が夜闇の中、慌てて手探りでリモコンを探し出し、暖房のスイッチを入れる。
ここまで寒いということは、もしかして外は雪が積もっていたりするのだろうか。

「ねえ水谷」
「なあに?」
「……さっき、名前を、呼んでた?」
「うん。夜中に目が覚めちゃって。栄口も目を覚まさないかなあと思って、呼んじゃった。
寝顔もとんでもなく可愛かったんだけど、つい」
あっさり肯定して、水谷はへらり、とその表情を崩した。
とんでもなく、って何だよ、と思う。意味おかしくないか。
「……ちょうど、水谷の夢を見ていたんだ」
「へえ、どんな夢?」
突然の覚醒だったので、時間が経つごとに夢の記憶は曖昧になっていった。
「水谷が、……笑ってた」
「うん」
「よくは覚えていないんだけど、だからかなあ、幸せだったな」
「栄口」
気が付くと水谷が真顔になっていた。
ただでさえ近い顔と顔を更に近づけて、水谷の額と自分のそれとが合わさった。
視線は逸らせない。
絡まりつつ、静かに闇夜の色に溶けていく。
「なに」
「好き」
「うん」
「ぎゅってしていい?」
「うん」
「キスもしていい?」
「いいよ」
「……えーっと、」
言うだけ言って、勝手に顔を赤くして固まっているのはどうしてなんだろう。
目を閉じたほうがいいかなと視界を瞼で遮断すると、頬に水谷の指が優しく触れた。
水谷の癖なのだろうか、しばらく撫でまわすように頬に触れてから、
吐息を絡めつつ唇はようやく触れ合う。
「ん……、ぅん」
小さく濡れた音を立てて、何度も何度も口付けを交わす。
栄口は記憶の遠くから雨の匂いを思い出していた。
想いを受け取ったあの誕生日の日。
あれは夏の初めで、今は冬だ。
季節は一巡りして、出逢った春がまたやって来ようとしている。

唇を離した水谷は涙目で自分を見ていた。
「さ、さかえぐち、」
「うん」
「好き」
「うん」
水谷の胸に、栄口は静かに身体を寄せる。
肩に顔を埋めた。
温かくて気持ちが良かった。
「ねえ、お願い」
水谷の掠れた声が鼓膜に届く。
「……なに?」
「ずっと一緒にいて」
「……」
「これからも、西浦を卒業してしまっても、ずっとずっと一緒にいて」
「水谷」
本当にそうできたらどんなにか、と栄口は思う。
野球を交えたこの楽しい日々がいつまでも続けばいいと、心の底から思う。
だが、巡り巡る季節、自分たちはひとつ、またひとつと年を取って、
いずれはこの西浦を卒業していく。
時間の経過とともに横たわる現実があるのは分かってはいるけれども、
栄口は水谷の願いを否定したくはなかった。
自分にも、願いはある。
だから。
たゆたう闇に埋もれるように、言葉を落とした。
「俺も、ずっと一緒にいたいよ。だから、俺のお願いも聞いて」
「なに?」
「俺より先には、死なないで」
「!!」
「……もう亡くすのは、亡くしてしまうのは、イヤなんだ」
もし先の現実の何処かで、水谷とともに歩んでいくことができなくなったとしても、
生きていてくれれば栄口にはそれで良かった。
水谷がこの世界で生きてさえいてくれれば、自分は頑張っていけると思うのだ。
命が終わる瞬間まで、水谷の傍にいれたら、本当はこれ以上ない幸せなのだけれど。
背中に腕を回されて、痛いくらいに抱き締められる。
「よぼよぼのおじいさんになっても、俺、栄口と一緒にいる」
「うん」
「ちゃんと栄口のこと、看取ってあげるから」
「ありがと」
「だからそれまでは一緒にいようよ、ね?」
「うん、……ねえ、水谷」
「うん」
「好き、水谷が、大好きだよ」
「……俺も」
再び触れ合わせた唇は、溶けるように甘かった。



昼も夜も、栄口は水谷のことを想っている。
互いに「好き」という想いを声にして、口腔で転がしながら、
2人が一緒にいるという、小さな幸せを愛でている。
先のことなんか、本当は何も分からない。
だからこそ、現在の幸せを大事にしたかったのだ。










小夜中に、夢を見ていた。
それは幸せな、水谷との夢だった。

ずっと一緒にいれるよ。
みんなで野球をずっと出来るよ。

西浦の皆に向かって、水谷が笑顔で手を振っている。





薄れてしまった、夢の記憶。
今思えば、そんな夢だったのかもしれなかった。













たぶん、「雪夜」と同じ夜のミズサカ。
うちの水谷は、栄口とほんとずっと一緒にいたいんだなあ。
先のことは分からないけれど、今の幸せを大切にしている、彼らが大好きです。











back

2015.2.19 up