それは、雪の日の始まりだった。




『真昼の雪』








ここ数日、空一面に灰色の重たい雲が敷き詰められていて、
まるで太陽を遮る蓋のようだと、視線を上方に泳がせながら田島は思った。
家の前で、空を見上げてそのまま動けずにいる。
雨待ちの空によく似ていて、微かな不快感を自分の中に認めて眉根を寄せた。
太陽が恋しい。
真冬の空気はかなり冷え込んでいて、吐く息が色をつけて流れる。
空の遠いところに白いものがひらりと舞ったのを田島は見た。
見た、と思う。



週末ではあるが午前中の時間、ミーティングのみの部活だった。
その後はいくつかのグループに分かれて試験勉強に励むこととなる。
学年末考査前なのだが田島が自発的に勉学に取り組むはずもなく、
誰かがついて無理矢理に勉強をさせられるのが常だった。
楽しく野球を続けていくためには、定期試験の赤点はまずいと、
もちろんそれは十分に分かってはいるのだが。



「田島ぁ!いくらミーティングとはいえチャリ1分の距離で遅刻する気か?
モモカンに握られっぞ」
見間違いはないとは思うが確信は持てないまま、
顔を上げて空をじっと見ていたら、自転車のブレーキ音と花井の声がした。
「……何で花井はここにいんの」
素っ気なく返したら、花井は自転車を降りて崩れ落ちそうになっている。
「あのなあ……っ。昨日俺が貸していた英語のノートを、持ってくるのを忘れたのは誰だったんだ。
課題出てるし、また忘れられても困るんで家出たところを捕まえようと思ってたら、
チャリ放置で空見てるしな」
「ああ、ワリ」
慌ててバッグの中身を確認する。
辛うじてノートは存在していて、花井に渡す。
息を吐いて、再度空に視線を移した。
「何やってんだ?」
「あ、やっぱ、ほら雪!」
田島は指さし、声を張り上げる。
曇天の空に、白い雪がひとつ、ふたつと舞い降りてきた。
花井も視線を上げて、頷いた。
「ああ、そうだな。今年はけっこうがっつり降るなー」
「積もるかな?雪合戦がしたいなー!」
「12月にもやっただろうが」
「足りねえ!」
「まあ、積もれば……、勉強の合間に、そうだな、少しくらいは」
「わっほーっ!」
「ほら行くぞ、遅れっぞ!」
掌を見せ、差し出された花井の手に自分の手を重ね繋ごうとして、
田島は次の瞬間、思い直してその手を戻した。
慌てて「お先」と声を掛けて自転車に飛び乗った。
花井も苦笑いをしながらサドルを跨ぐと、田島の後について自転車を走らせる。



花井に触れるのはうれしいけれど、
その何もかもが田島のどこかに痛さを生み出している。
痛い、痛くて。
その痛さの先にあるものが怖い。



この先痛みは消えるだろうか。
それとも、ただ、増していくだけなのだろうか。


















雪は降っている。



午後になったら、図書館の窓の外を雪は流れ落ちてくるように降ってきた。
この地域でここまで一気に降るのは珍しく、遠くに見えるグラウンドが一気に白く染まっていく。
「明日も降んのかなあ、このまま積もんないかなあ」
「夜中までずーっと降り続けたら、明日の朝には積もるかもな」
返す花井の言葉に、期待でわくわくする。
小学校の頃は雪の日って早起きして学校に雪合戦しにきてたなあと、
窓際の席に陣取り、閲覧テーブルの上に組んだ腕、その上に顎を乗せ、
田島は落ちていく白を見ていた。
「……英語と雪と、どっちが大事なんだ、田島」
「どっちも」
明らかに態度で嘘だと分かる田島の物言いに、横で花井がはああと大きな溜息を吐いていた。
「2人でがっつりやるからってここに居るんだがな。西広たちとの合流時間もすぐだってのに……」
ぼやいている花井の声は聞き流すくらいに、田島の意識は白い色に囚われていた。



「たぁじまっ」
図書館だという場所故なのか、囁き程の音量で名を呼ばれると同時の頭を撫でられる感触に、
飛び上がりかねないくらいの驚きで田島は振り向き、
自分に対して伸ばされた腕を思わず強く振り払った。
暖房が効き過ぎているのか、頬が、熱い。
「……ワリぃ」
「いや、こっちこそ驚かせた」
「花井のせいじゃない!」
張り上げた声に、図書館内の視線が一気に2人に注がれる。
気まずさを抱えて田島は、英語のワークを抱えて閲覧テーブルに突っ伏した。



花井のせいじゃない。
うれしさの陰に、いつも痛さが潜んでいる。
積もる雪のように痛さは沈殿していって、どうしようもなくなっていく。
何かが溢れ出そうで、それが怖い。
なんで野球のようにスッキリとはいかないのかなあと、余裕のあまりの無さに焦れつつ、
田島は花井の表情を窺った。
優しい笑顔がそこにはあって、田島は暫し呆けたまま花井の顔を見つめていた。
窓の外は、雪。



























雪はもう降っていなかった。



寒さだけが空間を満たす、そんな真夜中過ぎにメールの着信音で目が覚めた。
花井からだった。
4文字じゃなかったけど、「会いたい」と言われているかのような文面に、
田島はうれしくて笑みを隠すことができない。
簡潔にこちらは3文字でメールを返す。
目覚ましだけは忘れないようにセットする。
あまりの寒さに、田島は毛布を体に巻きつける。
再び深い眠りに落ちた。





約束だった。



たとえどんなに痛くても、苦しくても。
痛さだけではなく、辛さも徐々に増していても。









いつでも、どこでも、呼ばれたら行くのだ。
ゲンミツに。














運命が変わる雪の朝はもうすぐ。









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2013.10.21 up