『白昼夢』
(2012年12月11日阿部お誕生日記念SS)











気持ちを伝えなければ、
何も終わらないし、また始めることもきっとできない。











何度も何度も、それは繰り返す。



フィルターが掛かったように赤い色で染まるのは、
7組の教室の風景だけだった。
三橋の意識の中に入り込んでいる固定された映像は、
居るはずの阿部の姿を覆い隠して赤く染まる。
音はガラスの割れる音や降ってくるざわめきもすべて隠れていて、
衝撃だけが記憶に残る。
阿部が叫んでいる。
「こちらに来るな」と。



阿部がいる教室は、
三橋にとっては安眠できる特別な場所だったのに。
自分がいても許されている、そんな数少ない場所なのに。



赤い色の情景は突然に日常の意識の中に所構わず湧き出してくる。
まるで白昼夢を見ているように。
角膜に映された現実の再現だったという点で白昼夢とは違うのだと、
フラッシュバックという名前がついているのだと、教えてくれたのは誰だったか。
あまりの衝撃に動けなくなってしまうけれども、三橋は気持ちを挫けさせることはなかった。
過ぎていく時間の中で希釈され、きっとだんだんと薄まっていくはずで。
それまでは自分の記憶と戦うと決めていた。
合わせた背の温もりだけが、支えだった。










雪が少ないはずの埼玉でも、
さすがに天の気まぐれで雪が落ちそうなほど、雲に覆われた空も地上も冷えていた。
強い風が加わらなかったのは救いで、これ以上体感温度を下げられてはたまらない。
このような天気の昼休みではグラウンドにもたぶん屋上にも人はほとんどいないだろう。
暖房が入った教室は出入りしている生徒によって、
なんとか換気ができている状態だった。



田島と泉は三橋の近くの席で、既に爆睡モードに入っていた。
目を細めてそんな2人を、どちらかというと主に泉を見つめている浜田は、
まだ昼食が終わっておらず、のんびりといくつめかのコンビニおにぎりのフィルムを剥がしている。
窓の外は十分に冷えているけれども、教室内は穏やかな、いつもの昼休みだった。
阿部からもらった空の画像を待ち受け画面に指定している携帯電話と、
ボールをひとつだけ抱えて、普段の三橋は9組の教室で眠っている。
三橋にとって最近の日課は眠る前に阿部に送るメールだった。
件名はなくて、本文も「おやすみなさい」だけのメールは、
阿部のところに届いて、ちゃんといつも「おやすみ」の返信を届けてくれる。
ところが今日はどこをどう間違ったのだろう、
本文が「お」だけのメールを阿部に送信してしまった。
髪が逆立つかように三橋は驚いて、
けれど動転のためか再送という行為までは意識が及ばすに涙目で固まってしまった。
浜田が心配そうな面持ちでこちらの様子を窺っている。
「ど、どうし、」
どうしようと言う間もなく、メールの着信音が三橋の耳に届いた。
慌てて画面を開くと、そこにはいつものようにいつもの返信が届いていた。
「おやすみ」という阿部の言葉に誘因されるように、
安堵の息を吐いた三橋の瞼はだんだんと下りてくる。
以前なら阿部からのメールを怖く感じた時期もあったというのに、
時間の流れは人を変えていく。
最小限の言葉だけが飛び交うメールではあるけれども、
その中に十分すぎるほどの気持ちはあったのだ。





眠りに引き込まれて、意識が穏やかな闇に飲み込まれそうになったその時、
三橋の耳に聞こえたのは自分の声だった。
身体は硬直して動かない。
こちらに向かって阿部が叫んでいる。
また記憶の再現なのだろうか?
相対して振り絞った自分の声は記憶とは違い、阿部に何かを訴えかけているようで。
『それでも、オレは、あの時……!!』
伝えなきゃという気持ちがあって、それは焦燥からではなく決意のようでもあった。
阿部の笑顔と差し伸べられた手が、見えたような気がした。














「三橋!」
意識はまだ混濁しており、呼びかけにすぐに反応を返すことができなかったが、
だんだんと視界の中に泉の困惑したような表情が映る。
「……どうした?大丈夫か?」
「だ、だいじょう、ぶ」
「また周りが赤くなってんじゃねーだろーな?」
一拍置いて、三橋はぶんぶんと首を振った。
「ならよかった。大丈夫なら起きろ、予鈴もうすぐだぞ」
世界は、先ほどの夢に見た世界は、赤くなかった。
ではいつものフラッシュバックというものとは違うのだろうか。
ただの夢なのか、妄想を含む白昼夢なのかは三橋には判断がつかなかった。



『それでも、オレは、あの時、』と。
まるで叫ぶように、阿部に訴えている自分がいる。
そんな自分を自覚したのは初めてではない。
何度も何度も繰り返している。
それは事態を収束するキーワードのような気がしていた。
現実ではなくて、これこそが白昼夢なのだが、
ちゃんと現実にしなければいけないのではないかと思う。



阿部に伝えたい気持ちがある。
自分のために。
ほんとうの自分の気持ちと記憶に、きちんとけりをつけるために。
阿部に怒られるかもしれない。
怒られ、怒鳴られるどころか、嫌われてしまうかもしれない。



それでも、オレはどんな時でも阿部君の傍に居たい、と三橋は思う。
自覚する気持ちは強くなる。
ああ、あの時も居たかったんだと。
傍に。
ただ傍に。



過去に置き去りにしてきた、叫ぶほどの気持ちを伝えなければ、
何も終わらないし、また始めることもきっとできない。
三橋の内側に衝動が駆け巡る。















それからは熱に浮かされたような時間だった。
今日は週に1度のミーティングの日で、
バッテリーとして阿部や田島と向き合うことは今日はもうなく、
心ここに在らずのような状態でも何とか過ごすことができていた。
4月からの阿部と一緒に過ごした時間の記憶が三橋の内を熱くする。
もらった言葉ももらった空も、一緒に見たいつかの空さえも、
綺麗な記憶となっていて、そこは忘れられずに残っている。
生きていくということは、綺麗な記憶も、
思い返すのも辛い記憶もたくさん抱えていくことなのだろう。



阿部が好きだった。
「好き」だという気持ちだけが、三橋の中にずっとあったのだ。
それだけあれば、後はどんな記憶が残ろうとも怖くはなかった。











阿部への思いは膨らむばかりで、いつもよりは早い時間に帰宅し、
鞄を放り出した後、そのまま三橋は再び家を飛び出した。
冬の世界はとことんまで冷えていたが、三橋にとってそんなことはどうでもよかった。
自転車の軋む音が冬空に溶ける。
吐く息は白く、夜の闇を僅かに染める。






阿部の元へと三橋は、夜を駆けた。




















阿部、お誕生日おめでとう!
大好きです!
たとえ欠片も本人出てこなくても、阿部に対する愛は十分に!



お題「夜」の「夜を駆ける」に続きます。






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2011.12.11 up