『桜の記憶』
(2011年6月8日栄口くんお誕生日記念SS)











音が先だった。




春独特の、それは春一番とか春二番とかの、
名称がついているだろう風が放課後の西浦にも吹いていた。




風は大きな音をたてて、グラウンドへと移動するために、
校舎から出たばかりの水谷の髪を揺らした。
瞼に微かな痛みを感じて水谷は目を閉じる。
砂埃でも入ったのだろうか。
「……っ、待って!栄口待って!」
慌てて、前にいるはずの栄口に声を掛けた。
「大丈夫?」と栄口が駆け寄ってきたのが、
気配と浴びる光量の急な減少で分かる。
「なんか、目が」
涙が出ると少し楽になった。
栄口が水谷の顔を覗き込んだ、その時だった。




確かに音が、先だった。




ざあっと風が、風音が流れ、たくさんの木々が揺れる音がする。
次の瞬間、なんとか戻りかけた水谷の視界に、
たくさんの桜の花びらが飛び込んでくる。
風に乗って斜め上から流れ降る桜吹雪だった。
「こんなとこにも桜があったんだ」
3本ほどの小さめの桜木が校舎の陰に隠れて存在していた。
時期的にもう散り際の桜で、この風では更に散るばかりだろう。
まるで雪のように花が散っている。
風の音に続いて次から次に、視界すら覆いつくすように。
落ちてからも風に煽られ転がるところは雪とは異なるが。
とても綺麗で見入ってしまいそうだ。




横の栄口を見ると、散る桜を見上げて黙って立っていた。
「栄口?」
声を掛けたが返事も無く、彼は動こうともしなかった。
水谷の声は聞こえていないかのようだった。
急に手を握られる感覚がある。
込められた力の強さと触れる掌の冷たさに驚いて、
そのまま水谷は言葉を失くしてしまった。
桜木と降り注ぐ花に視線は固定されていて、
栄口はこちらを見ようともしない。
繋がれた手だけが、横にいる自分の存在を肯定されているような気がして、
それだけを頼りに水谷もまたそこにいた。




栄口の両眼は現在を見ていないような気がしている。
もしかすると桜の情景に記憶の映像を重ねているのではないかと思う。
きっと栄口には桜の記憶があるのだろう。
それは何だろうかと気になりもするのだが、訊いても言わないだろう。
誰にも言えないこともあるのだ。
出逢ってからやっと1年が経とうとしている。
今では、栄口のすべてをそのまま受け止めていきたいと思う。
笑顔だけではない、すべての表情をありのままに受け止めて。
「さみしい」と思う気持ちが在るのも、もう分かっている。
彼が秘めている記憶や感情があるのなら、否定はせずに。
更に風は何度も鳴って、その度に舞って舞い散る桜の花びらを水谷も見た。




「……オレ、西浦で野球ができて、ほんと、よかったよ」
囁くように小さな声で落とされた呟きは、誰に宛てた言葉なのかは分からなかった。
なんとなく自分にではないことだけは分かる。
栄口自身か、ここにはいない他の誰かに向けていたのかもしれなかった。
声はすぐに風に吸い取られてしまい沈黙が戻る。










花は音も無く舞うばかりだ。
音が在るのは風のせいだ。



ただ真っ直ぐに桜の木々を見つめ続けている栄口の横顔を、
水谷は見ている。





笑顔なのが、救いだった。




















栄口くん、お誕生日おめでとう!



アフタおお振り休載中の不定期おまけ(?)マンガ
「ちいさく振りかぶって」ネタでした。
情景が映像で浮かんでしまったので、
自分の筆力の無さに嘆きつつも頑張りました。
メインシリーズで書けて満足です。



時系列上では、翌年春、のミズサカです。








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