重みがうれしいのはどうしてだろうか、


その肩の。







『肩』
(2010年10月16日田島お誕生日記念SS)






早朝の、自らが暖めた布団の温もりから逃れたくなくて焦れる、
そんなことが田島にとっては冬の季節の始まりだったりするものだ。
寒さ故か多少身体の強張りを感じつつ、解消するために掛け布団を剥いで立ち上がり、
両手を頭の上で組み、腕を伸ばして背伸びをする。
夜明け前、多少は薄らいだ感はあっても世界は未だ闇の中である。
「あれ?」
座り込み手を伸ばしても、探している物の感触はない。
田島は再度立ち上がる。
せめて踏み潰すことのないようにと、
ややすり足でスイッチまで近付き部屋の明かりを点ける。
携帯電話は掛け布団の包まった中に在った。
閉じた状態では着信アリの微かな光は一切認められず、
実際、電話もメールも過ぎた夜の間には届いてはいなかった。



田島は待っている。
「会いたい」というその4文字が、花井から届くのを。
もうどのくらい待っただろう。
これからもどのくらい待つのだろう。



最近の花井が疲れているのは気がついていた。
7組の教室のガラスが割れて阿部がケガをした頃からだろうか、
野球部の皆の様子が少しずつ変わっていったのは田島にもさすがに理解できていた。
ただ、野球以外の事柄は田島にとっては優先順位が低く設定されているようで、
何がどうなっているのかの、把握まではできていない。
それでも。
阿部の頭上にガラスは降って、たしかにあれは事故だったはずなのに、
急に世界が色を変えてしまったような違和感は感じていた。
ずっと何か燻り続けていたものが野球部の皆にあったのか、
田島は自分一人が何も枠外に放り出され、ここまで来てしまった感は否めない。
主将として花井は隠れていたはずの事情を知ろうとし、
また知った故だからだろうか、難しい気持ちを抱えているようだ。
















晴れてはいるが些か風の強い昼休みに、田島は駆けている。
「さびーよ!」
渡り廊下を肌を刺しつつ吹き抜ける風はもう十分に冬のそれだった。
教室はたくさんの人がいて、漂う空気はいつでも温かった。
その温かさを投げ打って、沈殿の途中の冷えた空気を掻き分けている。
右手に持つのは携帯電話とブリックパックのりんごジュース。
息を切らしつつ、部室の前まで来た。
立ち止まり息を整えて、カギを外す。
そこで田島が声を零した。
「4文字でも、違うんだよなあ」
出てしまった声を掻き消すように派手な音を立ててドアを開けた。



『待ってろ』と、確かに花井からは本文が4文字のメールが届いていた。
件名は『昼休みに部室で』。
貴重な睡眠時間を削ってしまうのはしょうがない。
野球部の中で英語が一番得意なのは花井で、
9組の野球部の面々が世話になっているのはいつものことだった。
泉が英語を苦手としているのが悪い!と責任転嫁をしてしまいたくなるが、
それ以前に己の学習能力が野球関連に偏りが激しく、
学生の本分としての勉強にほとんど活かされていないのだからどうしようもない。
ただ、2人きりで会うのは少し怖かった。
何故なら田島は花井から逃げたのだ。
痛さから逃げれば逃げるほど花井を意識していくことになっていた。
決して花井のことは「嫌い」ではないはずなのに、
どちらかといえば「好き」なはずなのに、何故。
「好き」だというのなら、何故こんなにも痛いのだろう。
田島には分からなかった。




部室のドアが開かれるのと同時に英語のワークが一冊、田島に向かって飛んできた。
軽々と受け取り、花井の姿が見えた開いたドアに向かって笑って見せた。
「待ったか?」
「うんにゃ」
「今日の午後、どこが当たんだって?」
奥の隅に壁を背に、膝を抱えて田島はいる。
目の前に立った花井の呼びかけに慌ててワークを開いた。
上から見覚えのあるペンケースが落とされる。
花井のだ。
田島は花井の顔を見上げた。
「どうせなんも持ってきてねーんだろ」
「や、なんもってことは」
りんごジュースを差し出すと、
花井は笑顔で受け取りつつ「持たせたのは泉だな」と言って、田島の横に腰を下ろした。
筆記用具さえ持ってこなかったことも、りんごジュースが子守代として泉の持たせた物なのも、
事実なので言い返すことはせず、素直にワークに目を落とした。
前回の英語の授業で田島のいる縦の列は順次当てると予告をされていた。
花井のワークを午後の授業で借りていけば、かなり楽になる。
だがそれだけじゃ不安だ、ちゃんと頭に詰め込めと花井は言うので、ここで会っている。
本当は図書館辺りに場所を設定するのが良かったのかもしれないが、
冬場で落ち着く空間というのはやはり部室になってしまう。
「席順から言って、この辺がヤバイ」
「ああ、これはなあ」
ブリックパックにストローを差し込みつつ、
花井は顔を近づけてくるので、田島は反射的に横退さってしまった。
「悪ィ」
花井は何に謝っているのだろう。
分からないままに田島は首を振った。
しばらく真面目に英語を教わりつつ、この場から逃げ出したくなっている自分を抑えつつ、
昼休みの時間は過ぎていく。
なんとかなりそうだな、というところまではようやく頭に詰め込んだ。
くしゃりとブリックパックの潰される音がしたと思うと、
肩に温もりと重みが同時に掛かる。
触れる肩と肩。
花井の吐き出す溜めた息の音も聞こえるほどに近い。
「花井……疲れてんのか」
問うたのは今現在のことではなく、ここ最近のことだった。
阿部のケガは完全に治癒したとはまだ言い難く、
バッテリーは元に戻ったけれども、三橋との関係が簡単に修復したとは思えない。
毎日の練習の場にも微妙な空気が流れている。
自分がそう気付くくらいなのだ、きっと素地はずっと以前からあったのだ。
はぐらかされるのではないかと思ったが、花井からは答えが全うな形で返ってきた。
「……なんも、自分では気付いていなくて、いろんなことが一度に来た。
主将として何が出来たのか、これから何が出来るのか模索しても答えが出てこねェ。
皆いろいろ抱えてたんだなと、ここに来てやっと思ったよ」
「花井はこうやって勉強も教えてくれっだろ。オレなんか未だなんも知らない」
「お前くらいはそうあってくれ」
花井の言っている意味が分からない。
分からないが、このままの自分でいいのだと、
そう言ってくれているのだろうか。



急に肩の重みはなくなって、あれ、と思ったときには、
視界の真ん中に花井の顔があった。
後ろは壁だ、どこにも行けない。
「なあ」
「ん」
「逃げんなよ」
「……!」
逃げていないとは言えなかった。言えば嘘になる。
いつも突然に訪れる触れ合いなのに、
この日はゆっくりと、それはゆっくりと2人は互いの距離を縮めた。
見詰め合う時間はきっと一瞬だったのだろうが、
永遠と感じるくらいの歪みを自覚した。
どうしてこの時だけ、田島は目を閉じてしまったのか。
まるで逃げているという現実を象徴しているようで、
花井を真っ直ぐに見つめることができていない自分に苛立ちを覚える。
吐息をより近くに感じて、もう瞼を上げることができない。
触れる、その瞬間を待って後、唇を静かに重ね合わせた。
田島のこころの奥底で痛さのための小さな悲鳴が上がるけれども、
花井の温もりを欲している自分も確かに存在していたのだ。














「会いたい」と花井がこちらにメッセージを投げかけてくるのを田島は待っていて。
メールでも電話でも、いつ来るとも分からないそれをただ待ち焦がれている。



毎日のように会っていても、
花井がその4文字を自分に告げる日がやってくるのかもしれない。
寒い冬が過ぎて、やがて春が来るように。
待っていれば。
ただ、待っていれば。





それはそう遠くない日のような気がしていた。
















田島、お誕生日おめでとう!











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