笑ってくれたら
それだけで、オレは







『笑っていられたあの頃のように』










陽はいつのまにか落ちていた。
夕闇はゆっくりと世界を包んでいって
夜は今日もまた、音も無く近づいてきている。




『水谷のカバンは預かった。
返してほしければ、1組の教室まで顔を出すように』
そんな文をメールの返信で水谷に放り投げて、その本人のカバンと共に
オレ、栄口は誰もいない教室で水谷が現れるのを待っていた。
暮れ行く空を窓際の席に座って見上げていた。
『会いたい』とは水谷からのメールの文面で。
何度も何度もメールの本文画面を開けて読み返す。
オレだって、水谷に会いたかったよ。
会わないで、今日という日を終わらせたくはなかった。
自分の名を紡ぐ優しい声と、オレを幸せにしてくれる笑顔に会いたかったんだ。















だがやっと戻ってきた水谷は、何故だろうがんがんに泣いていて。
どうしたんだろう。何かあったんだろうかと不安になる。
「会いたかったよ」
水谷はそれだけを言って腕を伸ばし、オレを抱き締める。
笑顔を見せたかった。でも笑えなかった。どうしたんだろう、涙が止まらない。
オレも水谷の背に腕をまわして、力を込める。
きっと抱え続けたものがいろいろ多かったのだ。
涙が、涙が止まらない。
ただ笑っていられたあの頃のように。
穏やかな気持ちだけ抱えていた時期にはもう戻れないでいた。








それでも、しばらくするとお互い落ち着いて、抱き合ったまま、2人床に腰を下ろした。
明かりもつけてない教室はもう暗く、お互いの顔が辛うじて見えるくらいだ。
涙で崩れてた綺麗な水谷の顔に、それでも愛しさをすごく感じる。
水谷がぽつりぽつりと話し出した。
「……三橋が泣いてて。たぶん今も泣いてる。
オレ、三橋が泣いてるところを見ると辛いよ。
もう2度とあんな風に泣かせたくはなかったのに。オレ、何にもできねーの。
慰めたくても、オレじゃぜんぜんうまくいかねーの。
栄口なら三橋の気持ち、ちゃんと分かってやって
そして阿部との間をうまく取り持ってやることができるかもしんないのに。
……なっさけないな、オレ。
どうしよう。このままあいつら…うまくいかなかったりしたらどうしよう。
お手もできないなんて、何でこんなになっちゃったんだろう」
……『お手』が、できない?
あのバッテリーの間に何かあったのか。
たぶん水谷がこんなに泣いてるのも、その辺りに原因があるのだろうと思う。
「上手い下手なんて関係ないんだよ、水谷。
その気持ちが一番大切なんじゃないかと思うよ」
「気持ち……」
「そう、ちゃんと伝わっても、たとえ伝わらなかったとしても
誰かを思う気持ちが大切だとオレは思ってるよ」
「そう、かな」
「そう、だよ」
だって水谷が三橋や阿部を思う気持ち、ちゃんとオレにも伝わってるよ。
これが本人達に伝わってないとはとても思えない。






「……栄口は、何で泣いてんの?」
突然に問われて、返す言葉が思いつかずにオレは黙ったままだった。
そこで空気読まずに問うてしまうのが、水谷らしくて。
「……」
「ああ、ごめん。言えないならムリしないで。誰かのこと、思ってんのかな、栄口も」
誰かのことって……確かに泉のことはずっと心ん中にあるし、
三橋のこともすごく心配だったし、
でもでもそれ以上に……





水谷。








オレ、お前のこと思ってるよ。







もうほんとに。
こんなにこんなに泣いちゃって。




バカなんだから。











もうほんとに。







……大好きなんだから。











オレの中にすごく熱く震える気持ちがあって
もう泣いてはいないのに、また何処かに飛び出して行きそうで
その情熱を抱えたままで、自身のそれで水谷の唇を塞ぐ。
気持ちの熱さを感じながら、それを伝えたくて、触れ合わせる。
味覚が微かに感じたのは、唇まで流れ落ちていた涙の味だろうか。
しばらく触れ合って、そして離す。
唇を離しはしたが、お互いの顔は触れることができる程に寄せ合ったままで。
息がかかるくらいに近い距離だった。




「何にも出来ないって、そんなことないよ。水谷じゃないと出来ないこともあるよ」
「それって何?何が出来るの?オレに。
……じゃ例えばさ、オレ、栄口に何か出来てるの?ねぇ、どうなの?」
水谷は手をオレの両肩に置いて、揺さぶった。
ああ、そうか。分かってないんだな、水谷は。
その存在がオレにとってどれだけ大事なものだってこと。
「お前が笑ってくれたら……それだけでオレを、幸せに出来るよ」
オレがそう言った瞬間、水谷が真顔になった。




心からの笑顔じゃなくてもいいよ。
気持ち誤魔化すためのお飾りの笑顔でもいいんだよ。
笑ってくれたらうれしくて。
うれしくてうれしくてたまらなくて。
オレは、それだけで幸せな気持ちを抱えることが出来る。




「そんなんでいいの?そんなんで……幸せになれるの」
「そうだよ」
即座に肯定する。
しばらく視線を泳がせていた水谷は一瞬泣きそうな表情したが、
首を軽く振り、息を吸って更に顔をこちらに近付けた。
あんまり近くに水谷の顔があって。
照れてしまうけれども、視線は逸らせない。
瞬きすらも、出来ないでいた。
水谷の両手の指がオレの頬を包み、撫でるように動いていく。
「好き」
囁くように、息と微かな音を紡いで水谷が言った。
「栄口が……好きだよ」




『すき』
その単語を心に入れた瞬間から、再び涙が溢れて、溢れて止まらなくなった。
「栄口、なんで泣くの」
「……っ!」
「……オレ、困っちゃうよ」
だって、だって。
「さかえぐち」
やっと言ってくれた。その言葉がずっと欲しかった。
水谷の気持ちは知っていたけれど、もしも自分の都合のいい解釈で
本当はただの友達だと思われていたらと、怖くて。
好きの気持ちを否定されるのが怖くて、自分からは何にも言えなかった。
ずっと待っていた。そんなずるさが自分にはあった。
「ごめん…」
「……謝んないでよ。オレこそ、栄口の気持ち考えてなかった」
水谷の表情が強張る。瞳が潤む。違う。否定したいわけじゃないんだ。
言わなきゃ。ちゃんと言葉にしなきゃ。
ずるい自分を嫌いになってしまうばかりだ。
「違う」
「……」
「ごめん、オレも、水谷が好きだ。…ごめんね」
「え」
「こんなに、……こんなにも好きでごめん」
「だからなんで謝るの!」
謝る言葉は聞きたくない、と、そう声が降ってきて唇に噛み付かれた。
微かな痛みを感じる余裕も無いまま、教室の隅でゆっくりとそのまま押し倒される。
窓のとおくの空は、もう夜のそれだった。
冬待ちの季節、陽が落ちて大気は更に冷やされていく。
抱き締めあったら、お互いの体温が暖かさを運んできた。
「オレ、ずっと栄口を幸せに、したかったんだ」
「ありが、と」
「帰りたくない。このままずっと抱き締めてたい」
「それは無理かな。校舎閉まっちゃう。教室のカギも返さなくっちゃ」
「栄口……ひどい……」
水谷のそのいじけた口調に、思わず笑みが零れた。
2人で夜を過ごしていたいけど、そうでなくてもうれしさを抱えて眠りにつきたいけど
このまま何も分からない状態で朝を迎えるわけにはいかなかった。
「オレも……まだお前とは離れたくない、けど……。ねえ、ひとつ、訊いていい?」
「なに」
「……三橋と阿部は、好きあってんの?」
逡巡しているのが、表情から見て取れる。
しばらくの時間を置いて、水谷は頷いた。




「じゃ、行こう。三橋んトコ」
「えっ?」
水谷が驚いたのか体を起こしたので、オレも起き上がった。
オレは水谷を真っ直ぐに見つめながら言った。
「そして、その道すがらでいいから、全部話して。一体何があったのかを全部!」
「……」
「ねぇオレ達、何か出来るかな?あの2人のために何か出来るのかな?」
問うてはみたが、オレは答えを望んでいなかった。
信じていたかった。




またきっと皆で笑いあえる日がやって来るのだと、
それだけは信じていたかった。









「ありがとう」と、水谷の声が教室を侵食した宵闇の中に響く。
まだ夜はこれからだった。














視点を水谷にするか栄口にするかで
とにかく迷った話でした。
水谷が抱えたはずの気持ちはまたそのうち書ければいいな。
そして……やっと告白しやがった(笑)水谷っ。
ここまで長かったです(笑)




BGM : ACIDMAN 『toward』







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2007.7.15 up