結ばれたはずの視線は
その一瞬で切り落とされて










『切り落とすもの』










優しいキスをしてあげたかった。





いつもいつもその心ごと奪っていきたくなって
だがそんなことは決してできるはずはなく
「痛い」と思わせてしまうように
オレ、花井は田島に触れていた。










秋と呼ぶには、日ごとに風がかなり冷たさを増してきていた。
試験期間中で部活も無いこの時期は
どうも体力を持て余してしまうようで、逆に身体が怠い。
昼休みも終わろうとしている時間帯に
職員室に用事があって、管理棟を訪れてその帰りの階段の踊り場で、
オレは援団団長の浜田に声を掛けられた。
彼は9組で田島のお守り役をまかされている。
そんな彼が開口1番に問うてきたのだ。
「最近、田島となんかあったの」
さて、誤魔化すべきか、逃げるべきか。
それとも話せるところまでは話してしまうのか、
暫し逡巡したが、浜田は茶化すでもなく真面目に待っているようだった。
今までもいろいろと田島を構っているという点においては
お互い共通するところもあるので、少し気持ちを吐露したい気分にはなっていた。





「…なんか最近」
「うん」
「全然自分の感情と行動の抑えが効かなくなって…」
額を手で押さえながら息をついた。
「それって田島に対してってこと?」
「う…まあ、そんな感じで」
「どんな感じで」
「や、あの…」
辺りを見回し、誰も近くにいないのを見計らってオレは続けた。
「……ずっとあいつを掴まえたいと思ってて…。
無理に掴まえたら離せなくなりそうで。そう思う自分にスゲー戸惑ってて」
そうぼやきながら、踊り場の窓から空を見る。
グレートーンの空に、厚さをもった雲がゆっくりと流れていく。
雨が近いのかもしれない。
重い空気が纏わり付いたまま離れない。
本当はもっと優しくしてあげたいんだ…、と田島のことを思った。
浜田は大きく息を吐いていた。
「それで、自分の気持ちは見えてんの?」
「はあ?」
その浜田の問いにはすぐに反応ができなかった。
振り向くと浜田はこちらを見て、苦笑していた。
「だって、それは恋だろ?分かんない?」
オレは口をパクパクと動かすだけで、上手く言葉が出てこなかった。
肯定をしてしまうには、あまりにも突然に飛び込んできた「恋」という単語。
でもその単語ひとつで、いろんなことが符合していく。





オレは田島が好きなのか…?





「心配なんだよ。お前、自分のことも田島のことも追い詰めそうで」
「……」
頭の中はぐらぐらと揺れていて、これ以上自分の感情と向き合うのは怖くて
逃げようとして、逆に浜田に問いかけた。
「オレも、ひとつ訊いていいっすか」
「おう」
「なんかあったんすか?泉と」
「……ああ、その辺は気づかれてたりするんだな。
それについてはノーコメントで頼むわ。いろいろあんだよ。
ただオレもさ、お前の言う、抑えが効かないってのはよく分かるよ」
浜田の言葉は返答にはなってなかったが、それはそれで気にならなかった。
というよりオレの思考はずっとひとつの言葉が回っていて
浜田と別れた後もずっと響き渡っていた。






オレは田島が好きなのか…?
好きだからこそ、掴まえて、
傍に置きたいと思ってしまったのではないだろうか。
自分の感情をキスという形で
ぶつけてしまっていたのではないだろうか。




「はーない」と自分を呼ぶ声。
ずっと間近にあったはずの満面の笑顔。
いつの間にか少しずつ遠ざかっていったことに気が付いていた。














「…今日から数学?」
「そ、お前ん家、今日から阿部が来っから」
「うえー」
「何がうえーだ、こないだの中テストの数学あんな状態で!」
待ち合わせをしていた部室前で、オレは田島に言った。
さすがに試験前、部室棟辺りの人気は少なかった。
阿部と西広と話し合って、試験日程実施科目その他諸々の事情を考慮し
赤点回避を目指して…つーかもう少し高みを目指して
田島と三橋、それぞれの個人授業のスケジュールを組んでいた。
「しっかり頑張れよ。数学詰め込んでも、
昨日までオレが教えたところは忘れんなよ」
「花井……昨日で最後だったのか」
田島は項垂れて、掠れ気味の小さな声が聞こえてきた。
「ああ、うん、そうなるな。阿部に迷惑掛けんなよ」
「……」
「…田島?」
どうも様子がおかしい。
「どうした」
オレの声に弾かれるように顔を上げた田島は、泣きそうな表情をしていた。
目に映った田島の揺れる瞳を見た瞬間に、分かった。





田島が、好きだ。
それだけをただ、分かった。





「たじ、ま」
そう呟いた途端、左肩に手が置かれて重みが掛かる。
田島の顔が間近にあった。
結ばれた視線。
「花井」
掠れた声を追って、唇の柔らかい感触を感じる。
その感覚は一瞬で消える。
視線を切り落として、田島は背を向けた。
肩の重みも無くなって。
自分の傍から離れるのだと分かった。
「…田島!」






慌てて手を伸ばした。
すり抜けていった。
あと数センチが届かなかった。





あっという間に視界の中の田島の姿は小さくなっていって。
オレはその場に呆然と立ち尽くしていた。
田島からのキスは、初めてだった。











掴まえないと。
ちゃんと掴まえとかないと、
届かないところに行ってしまう。





どうしてそう思ったのか
自分でもわからないのだけれど。















長い冬がやってこようとしています。









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2007.2.8 up