視線だけは、逸らさないで
真っ直ぐに受け止めてくれるので












『受け止めるもの』










「最近、誰彼構わず『かわいー』とか思ってたり言ってたりすんだろ?」
オレ、水谷の腕の中で栄口が突然に言った。




冬が近くなってきて、宵闇の空気もだんだんと冷えてくる。
そんな秋の終わりの季節で。
栄口が今週鍵当番で、みんなが帰って2人っきりになれるのを
雑誌読みつつオレは待っていた。
最後に主将である花井が「あとよろしくなー」とオレの頭をこんと小突いて
帰っていって、その後頃合いを見計らって栄口に視線を向ける。
恥ずかしがって逸らしたりなんかしないのだ。
必ず、オレが見つめると見つめ返してくれる。
雑誌を放り投げ、黙って近づいて、そっと抱き寄せる。
幸せな気分でいっぱいになっていたら、栄口が言ったのだ。





「うん、栄口のことスゲー可愛いと思ってるよ」
「オレの話じゃなくて」
「ええ?…じゃ、三橋とか泉とか田島とか?」
「……そこで出てくんのが、どうして野球部なのかが分かんないんだけど」
「女の子に限らずさ、最近みんなかわいーよなーっては思うけど」
栄口は上目遣いでこちらを見上げてくる。うん、スゲー可愛い。
「思ってるだけだよ。誰彼構わずなんて言わないよ。
だって、阿部に向かってかわいーとか言ったら最後何されるか分かんないし」
「……阿部?」
「うん、阿部も」
「へえ」
「なんだかね、最近ね。人間愛っていうかさ、そんな感じ」
「ふうん」
「栄口は、また別だけどさ」
「そうなんだ」
気の無い様子の相槌にちょびっと不満を感じつつ、
何か今日の栄口は変だなと思いつつ、
頭を垂らして、ほんのりと赤く染まった栄口の首筋に頬を寄せた。




それでもさ。
栄口だけは特別なんだよ、とそう言いたいのに。
本気だからこそ、軽く冗談として流されちゃったら立ち直れないよなあと
そんなことをぐるぐる思っちゃって、結局は何も言えないままなんだけど。
もっと真面目に生きてきたら良かったなと
今更思ってみてもたぶんというか絶対もう遅いんだけど。




この曖昧で、穏やかな関係があんまり心地良かったので
ずるずるとここまで来てしまった。
1度笑顔の関係を壊そうとして、それで2人の間が少しは縮まったとは思う。
ただ、やっぱりこれではいけないと思う自分がいるんだ。
もしかしたら自分が思っているよりもずっとずっと
栄口が自分のことを大事に思ってくれているのなら、
逃げてないでちゃんと好きだって伝えちゃったほうがいいのかな。







信じたいよ。
栄口はちゃんと何でも受け止めてくれるんだって。




だってほら。
いつもオレが投げかけた視線を、受け止めてくれるじゃないか。




勇気を、いろいろ溜めとかないとダメかなあ。










目を閉じて、栄口の温もりだけを感じていて
いろいろ考えつつ、そのまま幸せな時間を過ごしていた。
だが栄口の身体が震え始めたのに気が付き、慌てて身体を離す。
「こんなんじゃ、さみしい……」
「え?」
俯いている栄口は泣いてるように見えた。
「水谷……オレ、さみしいよ」
「栄口」
「帰る。ごめん」
「栄口っ!」
オレが伸ばした手を振り払って、ロッカー前の荷物を取って
栄口は部室のドアに向かっていった。
追いかける。
追いかけて、追いついて。その肩を掴んだ。
「どうしたの、こっち向いてよ」
「離して!オレの顔、今、見ないで!」
部室のドアの前で、栄口を再度抱き締めた。
自分にも震えが足の方から、ゆっくりと上ってくる。
「オレ、なんかしちゃったの、栄口」
「……何も。今日は帰りたい」
「なんかあるんなら、言ってよ。オレ、栄口を傷つけたの?」
「水谷、今日は、帰る」
突然のことで、オレには何が何だかまったく分からなかった。
ただ現実に目の前にいる栄口は泣いていて、
これ以上自分の傍にいるのはイヤだと、そう言っているように聞こえた。




「…じゃ、さ、カギ。オレ掛けてくからさ」
「………ありがと……」
栄口はずっとずっと俯いたままで、オレのほうを見ようとはしなかった。
差し出されたカギを黙って受け取って、
ダメ元ながらも、オレはもう一度栄口に向かって言葉を発した。
搾り出すような声で言った。
「こっち見て。ねえ栄口!オレの方、見てよ!」
栄口は顔を上げた。その目は真っ赤で見つめるのは辛かった。





視線だけは逸らされない。
受け止めてくれる。
それだけが救いになる。





「また明日ね」
「……うん」
小さな声で返事を返してきて、ドアを開けて栄口は出て行く。
閉まる音が響いたと同時に、カギを握り締めたまま、
オレはその場に座り込んだ。




嫌われちゃったんだろうか。
それだけは考えたくなくて、ふるふると頭を振った。
オレはいっつも考えなしだから、何処かで栄口を傷つけちゃったんだろうか。
いや、たぶん違う。
栄口は「さみしい」と言っていた。
オレが気が付いてない間に、栄口はずっと寂しさを抱えていたんだ。
全然オレはそんなこと気が付かずに、いっつもへらへらと笑ってて。
好きだという言葉もあげてなくて。
自分だけが勝手に幸せだと感じてて。
なんて不甲斐ないオレ。情けない。





真っ赤な目。
泣いた顔。
脳裏にしっかりと焼きついて離れない。




笑顔の関係を壊して、もう偽物の笑顔は欲しくないと思っていたのに
栄口の笑顔が恋しくなっていた。




目を瞑って記憶を探しても、
栄口の笑顔をすぐには見つけられなかった。
大好きなのに。
こんなにも、大好きなのに。
どろりとした自己嫌悪の感情があちこちを支配し始める。









意図して壊してしまうものがある。
気づかないうちに、壊れてしまうものもある。





心も、そうなんだろうか。














こわしてしまっても。
それでも。










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2007.2.5 up