あの頃と
同じでいるのはイヤだった


やはり進展を
望んでしまうのだ












『手を繋ごう』










視界の端で色づき始めた木々は
夏はもう終わったのだと宣言しているようで。
夏と冬の狭間の季節の始まりだった。
物憂げな風だけが肌に触れつつ通り過ぎていく。






「いずみいずみいずみいずみ!」
「五月蝿い」
購買に4人分のジュースを買いに行っていた浜田が
やっとこさ教室に戻ってきたと思ったら
人の名まえを連呼してうるさいったらありゃしないと
オレ、泉は冷たい視線を声のするほうに向ける。
「泉、お手!」
ジュースを見せつつ目の前に指を上に向け差し出された手を
見つめて見つめて、そのまま無視した。
相変わらず懲りてない。
あの夏の日から、何度お手をさせようとしたら気が済むんだ。
こうなりゃ意地でもしてやらない。
「帰れ」
「帰れって…何処によ」
「宇宙に」
「…オレは宇宙人かよ」
「地球を侵略しようとしてもそうはいかない」
「……」
言葉を失くして、浜田は呆然とオレの席の横で
立ち尽くしている。楽しい。
オレは手を出して、にっこり笑顔で言った。
「フルーツオレ、プリーズ♪」
「1度くらいお手してほしーなー」
ペットボトルのフルーツオレを渡しつつ、浜田はぼやいている。
「いい加減懲りろよ」
「何度でも言うから。負けねーから」
「なんでそんなこだわってんだよ」
それには答えずにへらりと浜田は笑っていた。









その日の夜のまだ早い時間に、こちらからの携帯電話のコールは1回。
「オメー、電話取るの早すぎねぇ?今ドコよ」
電話をしつつ、歩きながらオレは浜田の家へ向かっている。
大きなタッパーウェアが入った紙袋を抱えて。
『家。オレも泉に電話しようと思ってたトコなんだよ。どした?』
「届けもん。親から。ガキじゃねーんだから子どもを使いに出すなよなあ」
『…じゃあ、もうオレん家近くまで来てんだ。泉は優しいからなあ』
しっかりと行動パターンを読まれている。ダテに付き合いは長くない。
「優しくなんかねーし!」
『じゃあ、オレに会いたくて来ちゃうとか』
「…さっさと宇宙へ帰れ!」
電話の向こうから聞こえてくる笑い声に、複雑な気分のままで電話を切る。
親の言うことを何でも聞くほど、優しくなんかなかった。
浜田に会ういい口実になるのは否定はしないけど。
学校以外でも会いたかったというのも
…否定はできないけど。





浜田は夏の時間から、オレの見る限りずっと上機嫌だ。
「笑って」と言われて、実際オレが浜田に向けて
笑顔を返せるようになるまでかなりの時間がかかったけれど、
取り戻した笑顔に浜田は満足そうだった。
なんでそこまでうれしそうなのかが分からない。





オレがお人形みたいにいつでも笑っていれば
浜田はそれで満足なのか。
昔の、幼馴染の状態を取り戻して
きっとそれだけで満足されちゃったんだろう。
今の状態がイヤな訳では決してないのだ。
では、この先もずっとずっとこのままなのか。




浜田に対する恋心なんかを抱えて、
何処にも行けず立ち尽くしているのはオレだけだ。




自分の中に沈殿している感情がある。
それは夏から秋の季節を跨ぐ間にじわじわと膨らんでいって、
破裂するまでにそう時間はかからないように思えた。








浜田の家の玄関には、予想通りに背の高い影があり
にこにこ笑顔で手を振っていた。
相変わらず、恥ずかしいヤツだ。
無言で近づいて紙袋を渡し、踵を返して帰ろうとすると
「待って」と肩を掴まれた。
「ありがと。これ置いてくっからさ、ちょっと待ってて。
コンビニ行こ、なんか奢るから」
「え」
「バイト代入ったんだよ。なんか奢れって言ってたじゃん」
そういえば、そんなこと言ってたな…と記憶を手繰り寄せてみる。
そこでハタと思い至った。
「かけようとした電話って…それだったんだ」
「そうそう」
「ならチャリ乗って来たのに!」
「いーじゃん、散歩がてらに歩いてさ。すぐ来っから」
浜田はばたばたと家の中に入っていき、またすぐに戻ってきた。
2人でコンビニまでの道を歩き出した。





「泉」
急に浜田が立ち止まったので、どうしたのかと思って
その顔を見上げた。
視線を下げると自分に向かって、手を差し出している。
「手ェ繋ご」
「はあ?」
「オレ、泉と手を繋いで歩きたい」
「…最近、オメーほんと我儘になったよな」
もうとっくに陽も落ちてしまってはいたけど
辺りは真っ暗になってしまっているけれども
近所の誰かに見られたらどうすんだ。
そんなのなんだか恥ずかしい。
…でも。
大きな掌。
触れたくて。
温もりを少しでも感じたくて。
迷いつつも手を上げたら、
その手は浜田の大きな手にぎゅっと掴まれてしまった。
そのまま歩き出す浜田に引っ張られる格好になりつつも、
文句のひとつも出ないまま、オレもまた歩き出す。
「お手は1度もしてくんないのに、手は繋いでくれんの」
「……」
「へへ…うれしー」
浜田の呟きを聞いて、やっと「ばぁか」と一言だけ返した。





繋いだ手は、温かかった。





「こうして手ェ繋いで歩いてっと、思い出すよなあ」
「…何をだよ」
「小学校のとき、野球やってるみんなで通学合宿したことあったろ?
公民館にお泊りしてさあ。そん時、肝試しあったよな。
泉とこんな感じで2人で夜の校舎を回ったよな?覚えてる?」
「ああ…」
言われてみれば、そんなこともあったような。
「泉もあの頃に比べりゃ、まあ大きくなっちゃって」
「オメーはとんでもなくでかくなりやがったけどな」
「ほーんと、懐かしい」
思い出に浸っているらしい浜田を見て、オレはひとり寂しくなっていた。
思ったよりがっしりしている手の感触に
どきどきしているのは、オレだけなんだ。
浜田は懐かしい気持ちでいっぱいになってて、
きっとそれは恋なんてもんじゃない。




「泉、オレさあ」
「……」
「オレ、泉にしてほしいことがあったら、ちゃんと言葉にして言うことにしたんだ」
「え?」
「笑ってっつったら、時間かかったけど笑ってくれるようになっただろ?
泉は、ちゃんと言葉にした望み叶えてくれるんだもんな。
今もほら、手ェ繋いでるし」
へらへらと笑いながら、浜田はうれしそうにそんなことを言っている。
オレにしてみれば、惚れてしまった弱みだと思ってもいるのだが。





けどさ、なあ浜田。
お前はどうなの。





もしオレが望んだら、その望みを叶えてくれんの。
オレがそう望んだら、幼馴染でもなく
先輩後輩でもなくクラスメートでもなくて
もっと特別に、オレのこと好きになってくれんの?





確かに幼馴染の日々は今思い返しても
懐かしくて、すごく穏やかな気持ちになるけれど
あの頃と同じでいるのはイヤだった。





やはり進展を望んでしまうのだ。
「好きになってほしい」と願ってしまうのだ。










ソーダバーのアイスひとつ入った袋を持って、コンビニを出る。
浜田はおでんの入った袋を下げている。
夏と冬の狭間のこの季節は、どちらも楽しめる。
「もう開けていい?」
帰り道、歩きながら。
問いつつもアイスを出し、音を立てて袋を開ける。
「そだな、溶けちゃうもんな。でもアイスひとつでいーのか?
もっといろいろ買ってもよかったんだよ」
「…オレは。気持ちがうれしーの」
だって浜田が働いて得た、大事なお金だろ?
そんなぽんぽん使えねーよ。
浜田の大きな手が自分の頭に触れたかと思うと
髪の毛をくしゃくしゃに撫で回す。
見るとそれはうれしそうに笑っていた。
「な、何してんだっ」
「もーなんでそんな可愛いこと言ってくれんのかな」
「可愛くなんかねーし」
「泉は優しいなあ」
「オレは…」





オレは優しくなんかないんだよ。
ただお前が好きなんだよ。



言えないまま、気持ちも言葉も
何もかもが沈殿していく。





「オレん家寄っていくよな。一緒におでん食べよーな」
そう言って、浜田は立ち止まった。
オレも慌てて、足を止めた。
「…どした?」
「泉」
差し出された手を黙って見つめた。
「手、繋いで帰ろ」
浜田の笑顔がうれしい。










繋いだ手は、温かかった。







この温かさを
いつまでもいつまでも感じていたかった。




自分から壊したくは、なかったのだ。
















そして、『電話』に続きます。










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2006.11.6 up