その手を鳴らしてくれれば



いつでも
お前のところへいけるのに












『手の鳴るほうへ』










昼休みが始まって、すぐの時間。
オレ、栄口は1年7組の教室の前にいた。





廊下側から教室を覗くと、すぐに気づいて水谷がやってきた。
伸びてきた柔らかい髪をふわふわと揺らしながら、近づいてくる。
「うわあ、栄口どしたの?誰に用?」
「話し合い、明日部長会議あっから。ほら昼食持参。お前もいるんだろ?」
「もう阿部にいくら虐げられようとさ、オレ、栄口の傍にいるもんね」
うれしい言葉を掛けられながらも、
その笑顔がちょっと引きつっているのを、オレは見逃さなかった。
「…阿部にいじめられたの?」
「う…」
笑顔が、くしゃりと崩れた顔付きになる。
「図星なんだ。三橋のことでまた何かちょっかいだしたんだろ」
「ううう…」
水谷は唸りつつ、俯いてしまった。なんて進歩の無い。
オレは視線を窓から見える秋の風景に移した。






木々はすっかり色づいて
そこから落ちた枯葉が視界の端で舞う、
夏と冬の狭間の季節だった。
物憂げな風が肌に触れつつ通り過ぎていく。






オレたちの関係は
もうずっと曖昧なままで。





「オレ、三橋好きなんだよ」
ちょっとばかり潤んだ目で
「好き」という単語をオレの前で簡単に使っている。
そりゃ、水谷が三橋のことをすごく大事にしていて
いつも気にしているのは知ってるけど。
「…そんなん知ってるよ。
だから三橋のこと、ちゃんとお前にまかせてんだよ。
水谷、オレの期待裏切るなよ」
「期待してくれてんの」
「してくれてんの、これでも」
「うわあうわあうわあ♪」
何処ぞのワンコみたいに跳ね回っている。
何がそんなにうれしいのか、オレにはイマイチ分からない。
廊下側2列目の席の阿部がすりガラスの仕切り窓を開けて、
オレの名を呼んだ。。
「栄口、そいつはその辺に放っといていいから。始めっぞ」
「うわーん、阿部のばかー」
水谷の声を頭の隅で聞きつつ、オレは肩を竦ませて教室に入った。
めげずに水谷はオレの後をついてくる。





秋も深まって、生徒会総務役員は後期に替わり、
前期からその任を引き継いでいた。
後期生徒会の仕事のメインは、各部活の来年度の予算配分と
卒業時に配られる記念冊子の発行だ。
今月の部長会議は後期生徒会との初顔合わせでもあるのだ。
今はたった11人の部員(篠岡も含む)しかいない野球部だけど
春が来れば新入部員も入るだろう。
モモカンの負担も減らしたいし、
ここは少しでも多くの予算を確保しておきたい。
2.3年生がメインの部長会議の中で
どれだけのことができるのかは分からないけれど。
オレたちは、たった11人で、それでも夏も秋も頑張ってきた。
みんなの中で、それは大きな自信になっていた。





話し合いを始めたところで、
阿部に睨まれつつもオレの横に陣取っていた水谷に、
同じクラスらしい女子が数人声を掛けてきた。
「フミキくん、お願いっ。相談にのって!」
「…え、今?」
「そ、ここじゃなんだから、ちょっと場所移動しちゃうけど」
「ああ、うん、いっけど…」
水谷がこちらをちらりと見る。
見られても困る。困るったら、困る。
行って欲しい訳じゃないけど、行くなと言う訳にもいかないじゃないか。
逡巡していたら、阿部が声を投げてきた。
「行ってこい、行ってこい。連れてっていーぞ。こいつ話し合い、関係ねーから」
「じゃ、フミキくん借りるね、阿部くん」
そんなこんなで、水谷は購買で買ったパンとバナナ牛乳を抱えながら
女子たちに連れ去られていった。
相談って…なんだろう。
レンアイモンダイだったりするのだろうか。
なんだか胸の中がモヤモヤするのを感じて、気分は途端に沈んでいく。
「行くなよ」と言ってしまえたら、少しは楽になったのだろうか?
そんなことをしても、水谷を困らせるだけなのは分かってる。






水谷は優しいから、お願いされたら断れない。
けれど、傍にいたいって言ってくれたのにな。
ほんとはすごくうれしかったのにな。




……この沈み方は良くない、と思う。
きっとまた、さみしさに囚われていく。





「栄口」
顔を上げると、花井が心配そうな顔つきでこちらを見ていた。
「……なんか言ってほしい、か?」
さすが主将だ。オレのフォローまでしてくれんの、とうれしくなる。
いつもいろいろと周囲に気配り目配り状態で大変そうなのに。
押し付けないところがまた、彼らしくていい。
花井はオレたちのこともいろいろと知っているような気がする。
水谷見てれば、自然と分かるのかな。
こないだの「嫌い」発言のときは迷惑かけちゃったからなあ…。
「ありがと。気持ちだけもらっとく。
つーかさ、花井は人のことに気を廻しすぎだよ」
阿部を見ると、さっきから全然話し合いになってないにも係わらず
それを責めることもせず、廊下側をずっと見ている。
三橋が来るのを待ってもいるのだろう。
いろいろ気づいていても、干渉しないというのが阿部のスタンスのようで
(もちろん三橋が係わることについては、まったく別だが)
敢えて何も言わずにいてくれる、その気遣いが伝わってくる。
そういうのが、すごくうれしかった。
「さ、話し合い、始めよう」
オレは笑顔でそう言った。
自分の気持ちを隠すことなんて、今更だけど慣れている。
笑顔の下で、どろどろとした感情が
あちこちを支配し始めているというのに。
それでも、笑うことには慣れてるんだ。










やはり気を遣われてか、話し合いは早めに終わり、
少々時間を持て余してしまった。
喉が渇いたので購買の自販機で
ブリックパックのヨーグルトを買って、
教室に戻るのも嫌だったので、
校舎の屋上に上がっていった。
頭上に広がる、空が見たかった。





屋上で淡い青色の空と、流れる薄い雲を見ながら
オレは泣き出しそうになるのを必死で堪えていた。











ああ、いやだ。





この心を巣食う、
どろどろしたものから
逃げたい。





いつか自分を包み込んで、そのせいで
水谷を責めてしまうようでそれが怖い。
さみしいよ、って。
好かれてる自信なんかとっくに無くなってきていた。
水谷を自分の元に繋ぎとめておけるような
そんな関係でもないだろうし。




ねえ水谷。
こんなさみしさが生み出すこの感情で
オレはお前の笑顔を壊したくは無いんだよ。





こんな風に誰かに依存してしまうことが
よくないって分かってる。
独りで立つことも、
忘れてしまいそうになる。






水谷はオレにははっきりと
「好き」だとは言ってくれない。





好意は持ってくれているようだけど、
抱き締めあったり、キスをしたこともあるけれど。





それでも。
すごく不安で、さみしい。
水谷は誰にでも優しいから。
きっとオレより大切な人が何処かにいるかもしれない。
そんな不安まで抱えてしまう。




水谷は知らないだろ、きっと知らないだろ。
オレがこんなにもお前を求めているなんて
そんなこと気づいてもいないんだろ。







さみしい。






ああどうして、
こんな感情が自分の内にあるんだろう。





さみしい。
さみしい。






堪えきれずに、ぼろぼろと涙が零れていく。
両手で顔を覆った。
給水タンクの陰で誰にも見られてないのに安心したのか、
オレはそこでしばらく泣いていた。

















「栄口、いた!」
突然の水谷の声に、オレは驚いて振り向いてしまった。
こちらに駆け寄ってくる。
泣き顔を、見られたことに気が付いて
この場から逃げ出したくなった。





「泣いてんの…?」
「……」
顔を覗き込まれて、水谷に濡れる頬を触れられて、
オレは固まってしまった。
「もしかしてオレのせいで泣いてんの?」
図星だったけど、それには答えたくなかった。
泣いてる自分が、すごく恥ずかしかった。
「寂しがらせて、ごめん」
「なっ、なんでそう思うんだよっ」
優しく抱き寄せられて、
それでも悲しくて苦しくて水谷の腕の中でもがいた。
「だって、オレも寂しかったから。
栄口もオレと同じ気持ちなのかなって思ったんだよ」
なんでそんなに簡単に言葉にできるのかな。
簡単に「さみしい」って言えちゃうのかな。
「同じ気持ちって…」
水谷の肩に顔を埋めて、オレはそれだけをようやく言った。
「栄口。だって、オレ…。だって…」
何かを言おうとするけれど、何度も言おうとするけれど
結局言えないようで、そのまま水谷は黙り込んだ。
気持ち、伝えようとしてくれてるのかな、とも思う。
けれどお互い、なかなか後一歩先へ進むことが出来なくて。




オレからも伝えることが出来ていなかった。
本当の気持ち。
受け入れてもらえるのか、それがまず怖くて。
だって受け入れてもらえるのかは、その時にならないと分からないんだ。
上手くいかないことだって、きっとある。
あの時、電話の向こうで、泉の咽び泣いた声が忘れられなくて。
あんな風に自分が泣いてしまうのが怖くて。
怖くて怖くて、もう何処へも行けなかった。








ねえ、水谷。
呼んでよ。





手を鳴らして、
ここにおいでと、呼んでよ。
そうしたら、きっと。











予鈴が鳴り響いて、水谷は慌ててオレから身体を離した。
「戻ろう」と、オレは言った。
水谷の見慣れた笑顔は、少し寂しそうだった。











きちんとした名まえのつかない、
気持ちを持て余していた。




オレたちの関係は、やはりまだ曖昧なままで。


















もしもその手を鳴らしてくれるのなら、
たとえ空の何処を飛んでいても
お前のところに降りていくのに。





愛しい、その手の鳴るほうへ。

























彼らは彼らなりに
前に進もうとはしているはずなのです。




BGM : Cocco 『手の鳴るほうへ』







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2006.10.04 up