伸ばされた手を
どうしよう
あんまり愛しくて
離せなくなりそうで












『伸ばされた手』











阿部に向かって、三橋の手は伸ばされる。






「阿部君、オレ、阿部君が好きです」
「……」
「だか、ら、…オレと、お付き合い、してください」






伸ばされた三橋の右手を、ボールを投げる手を
黙って阿部は見つめて。
ゆっくりと自分の、ボールを受ける左手を伸ばして
その手を甲側から握る。
思い出したのは三星戦でのやけに冷たかった
三橋の手の温度だった。
そういえば、あの時も今みたいに泣いていた。
だが掌に伝わる暖かさだけは感じて、胸を撫で下ろす。





「三橋…ひとつ訊いてもいいか?」
三橋は泣きながら、それでもこくこくと頷いた。
「好きだという、気持ちだけじゃ、ダメなのか?」





阿部にとっては
ずっと抱えている、問いだった。





























木々はすっかり色づいて
そこから落ちた枯葉が視界の端で舞う、
夏と冬の狭間の季節だった。
物憂げな風が肌に触れつつ通り過ぎていく。





野球部の皆の様子がどこかぎくしゃくしているのは
もうとっくに気が付いていた。
干渉も詮索もするつもりはなかったとしても、
やはり巻き込まれてしまうことはある。




ここへ来て、キャパシティーがいっぱいになってしまったのか
主将である花井の様子が周りにも分かるくらい変で。
まあ、大体感情が表に出やすいタイプではあるのだが、
それに田島が係わっているのは、見ていても明白で。
「数学は引き受ける」と言ってしまってから
田島のここ最近の数学のひどさを知って、唖然となった。
いい機会だと田島につきっきりで試験前。
三橋のことを放っておいた形になったのはまずかった。
部活が無い放課後はろくに会えなくても、
昼休みにはいつものように三橋は7組にやってきていたし
態度も落ち着いていたようなので、気が付かなかった。
「自分の思っていることをちゃんと言葉にしろ」と三橋に言っているのは
阿部が自分のニブさを認める形になっている訳で。
2人の関係を何も知らないはずの西広から
やんわりと笑顔で「ちゃんと構ってあげてね」と言われたときは
阿部は感じた不甲斐なさもあって、少々途方にくれかけた。






「ちょっと田島の家に寄って、後でお前ん家にいくから
先に勉強始めてろよ。数学やるぞ」
今日は中間考査1日目。数学は明日だ。
そう阿部は三橋に言って、三橋も頑張ると言ったので
田島の家に言って、最後の詰めの勉強と
ついでにどかんどかんと大きな雷も落っことして
そんなこんなで三橋の家に行くのがちょっと遅くなってしまった。
もちろん携帯にその旨のメールを入れていたのだが
返事は来なかったので読んでいるかどうかは怪しかった。




闇が落ち始めた空の下を阿部は自転車を走らせる。
月はまだ何処にも見えてはいなかった。
たぶん三橋を癒しはしていなかった。





三橋の家の前で放り出された彼の自転車を見て、嫌な予感がした。
玄関の戸を開けると、靴もカバンも投げ出したまま、
三橋が泣いていた。





この状況は自分のせいなのだと、
阿部にはそれだけは分かったのだ。





「あ、べくんっ、あべくん、あべくん」
「三橋、ごめんな」
「う、うう…」
「なあ、言ってくれよ。ちゃんと、言ってくれよ。
本当は言われなくてもお前の態度とかでいろいろ分かってやんないと
いけねーんだろうけど、オレはその辺分かってやれねーんだよ。
だから言ってくれよ。そんな風に独りで泣かないでくれ」
玄関を上がって、泣きながら座り込んでいる三橋を抱き締めて、
阿部は言葉をかけた。
「阿部君、…怒る」
「怒んねーよ。オレは怖いもんなんかねーし。
例えお前に嫌われたとしても、それをちゃんと受け止めるよ」
「嫌いじゃ、ない!」
三橋は叫ぶ。














そうして、言われた。
「お付き合いしてください」と。
阿部は問いをひとつ投げかけた。



「好きだという、気持ちだけじゃ、ダメなのか?」


























そういえば同じような問いを水谷に対してしたことがある。
あれは三橋が昼休みに7組に来始めた頃だったか。
水谷は答えを持っていたようだったのに、
こちらに返してはこなかった。
三橋はこの問いの答えなんか出せないだろう。
だけど、訊いてしまった。
訊かずにはいられなかった。
「…っ、ワリ。突然こんなこと訊かれても分かんないよな」
明らかに動揺しているのを見て取って、阿部は言う。
唇を噛んで、横を向いた。
「ま、待って」
三橋の声が阿部の耳に届く。
「…オレ、ちゃんと、ゆうから。答える、から、待って」
見ると、あ、とか、う、とか声を漏らしながら
一生懸命言葉を捜そうとしているのが分かった。
阿部はもう片方の三橋の手も取った。
伸ばされた手は愛しくてたまらなかった。





「阿部君、オレを嫌いに、なる、かもしれない、よ」
泳ぐ視線と震える声で三橋がそう前置きした。
穏やかに努めて、阿部は返した。
「なんねーよ。だから言ってみろよ。答え持ってんなら、オレにくれよ」
「阿部、君」
「うん」
「…オレ、気持ちだけ、じゃ、イヤなんだ」
「何で」
「オレ、…オレ、阿部君を、独り占め、したいんだ!」
「……」
「全部、オレのもの、に、したいんだ!」
泣きながらの三橋のその告白に驚いて、阿部は言葉が出なかった。
独り占めしたくて、だからこそきちんと付き合いたいと三橋は言うのだ。
不意に目頭が熱くなって、今度は阿部が動揺する番だった。
ここで泣いてしまうのは、さすがに恥ずかしい。
独り占め、されたいかも、と思ってしまった自分がいて。
うれしかった。
どうしようもなく、うれしかった。





項垂れている目の前の三橋に向かって、思わず言葉を漏らす。
「やべー、…お前って可愛すぎる」
「ご、ごめんな、さい」
「ああ?何でそこで謝るんだよっ」
震える三橋の、掴んでいる両手を引き寄せて、
驚いて顔を上げた三橋に優しく優しく口付けた。
触れるだけで。怖がらせないように。
そして、力いっぱい抱き締める。
「あ、…べくん」
「全部お前のもんにしていいよ」
「ふ…、うええ…」
「恋人同士に、なろうな。ちゃんとなろうな」
三橋はぼろぼろに泣いていた。
しばらくはその涙は止まらないようだった。
その涙でいっぱいの顔を見て、思い出す。







阿部は、初めて「好きだ」と言われて「好きだ」と返した、
あの初夏の、綺麗な三日月があった藍色の空を思い出していた。





今宵の月は何処にあるのだろうか。
三橋に見せてやりたかった。






地球はその引力で、こんなにも月を掴んで離さない。
長い時間がたって、引力が途絶えて
もし月が遠くに離れていくことがあっても
その時は地球はそれを黙って受け入れるんじゃないかと思う。
怖がりもしないで、その時を迎えて、
離れていく月を見つめ続けるんじゃないかと思っている。






だけど、まだ今は、こんなにも2つの星は引き合っていて。
阿部と三橋の2人も、引き合っていて。














その「今」を大事にしたいと、阿部は思った。
伸ばされた手を大事にしたいと思ったのだ。



























阿部の強さに憧れます。
ずっと抱えていた話でした。







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2006.9.24 up