熱い吐息が落ちてくる
夜明けの光とともに












『夜明けの吐息』











日中の空は、すっかり夏の色だった。
その色はあっさりと闇に飲み込まれて、
そうして、夜が訪れる。







もう夜中になろうかという時間帯に
オレ、泉はさっさと夢の中に
入っていてもいいくらいの状態だったというのに
突然に携帯電話は鳴って
その電話から聞こえる声は
いつもの声で
いつものあいつで
「数学の課題がどうしてもわかんねー。見せてくれー」
と泣きつかれてしまって
オレもその悲痛な声に何故だか情がわいてしまって
気が付いたら、浜田はちゃっかり家に来ていて
オレが眠いのに頑張ってここ数日取り組んでいた課題を
必死こいて写していた。






「泉は寝てていーよ」
「言われなくても寝るから。明日も朝練あんだから。おやすみ」
ベッドの中から浜田に言葉を投げる。
「おやすみ」
「よくもそれだけ課題を溜めやがって。バカ浜田」
「……泉がいじめる」
「自業自得だろ?」
「こんな夜中にごめんな。ありがと」
「……」
何だかこっぱずかしくなって、黙って黙って、夜の闇、
そのとおくに無理矢理意識を潜りこませようとする。
浜田が再び自分の名を呼んだような気がしたが
もうその時はゆっくりと眠りに取り込まれてしまい
そのまますぐに何にもわからなくなってしまった。




















目を覚ましても、まだ夜は完全には明けていなかった。
が、ベッドの傍の窓、カーテンの隙間から見えた景色は
ブルーのフィルターがかかったような蒼の世界になっていた。
夜の闇はもう、地球上の何処かに移動してしまっているのだろう。
携帯電話にセットしている目覚まし時計代わりの着メロも
まだしばらくは鳴り出さないような、そのくらいの時間だった。





背中に温もりを感じて寝返りをうつと、目の前に浜田が寝ていた。
「……!!」
一瞬驚いたが、よく考えれば夜中にこの部屋に居て、
オレのここ数日の苦労の結晶である数学のワークを写していたよな、と
その姿を思い出していた。
写し終わって、あまりの眠さにオレのベッドに潜り込んだんだろうなと
そこまでは理解して、…今のこの状態も理解して顔が熱を持つ。




こんな間近で浜田の顔を見つめるのは初めてかもしれない。
ずっと見慣れてきた顔ではある。
小学生のころ、浜田がオレの家の近くに越してきて、それからの付き合いで。
幼馴染で、中学に上がって先輩になって、
あろうことか今年の4月からクラスメイトにもなっちまって。
その間に浜田の、いつの間にか背はぐんとのびて、声も低くなって
へろんとした締まりのない笑顔で高いところからオレを見下ろす。
「泉」と、オレの名を呼ぶ。




こうやって寝てる顔を見てると、
昔のまんまだなあと思ったりもするけれど。







ああ、好きだなあ、と思ったりも…する。
なんだか、…どきどきもして。
ううう、浜田なのに。
ずっとずっと見てきた見慣れた顔なのに。




少し日に焼けたかな、と、その顔を見て思う。
野球部の援団を作るのだと、そう宣言したのが先日。
浜田はその後いろいろと動き始めた。
人を集めたり、横断幕を作ったり、
それ以外でも野球部の練習にランナー役などの
助っ人として参加したり。




そんな姿を見ていると、訊いてみたくなってしまう。
浜田は野球にそんな風にまた係わって、辛くはないのだろうか。
それとも。
辛くなっても、係わらずにはいられなかったのだろうか。
オレといると、いろいろと思い出すだろうに、と。









「…バカ浜田」
寝てると、なんか無邪気な顔してて可愛いよな。
その間抜けな面を見て笑ってたら、急に視界が真っ暗になった。





熱いと思えてしまうくらいの温もり。
抱き寄せられて、吐息が額のあたりに落ちてきた。




「…いずみ」
何でもう起きてんだ、と思う。焦る。
「泉、オレ見て笑った」
「…あ…!」
ああクソ、見られてたのか。
羞恥心でますます顔に熱が溜まっていくようだ。
「ありがと、すごくうれしいよ」




「全然笑ってなかったわけでもねーだろ」
「何言ってんのそれ本気で言ってんの。
他のヤツには笑顔見せて、なのにオレの前ではいつもぶーたれてて」
「何だよそれ」
「なんでずっとオレに笑いかけてくんなかったんだよ」
「そんなの知らねーよ」






嘘だよ。分かってるよ。
てか、お前も少しは気づけよ。









好きだからだよ。





好きで好きで好きでたまんなくて
その気持ち持て余してしまって、
オレは笑えなくなっちまってたんだよ。










でも今は、目を細めつつ、見えないかもしれないけど
ちゃんと笑顔でオレは浜田に言った。
「そんなに笑顔が良かったのかよ」
「だって昔から、泉の笑顔はすっごく可愛いんだもんよ」
「!…バ、バカか、オメー…」
照れくさくなって、身を捩って浜田の腕の中から逃げようとするが
その体格差を十分に活かして抱き込まれているので
オレは動くことができない。
「…やっと取り戻せたんだ。オレはもう泉のその笑顔だけで十分だかんな」
ぎゅうと強く抱き締められたままで、
熱い吐息を感じて、オレは落ち着かない。
このままだとヤバイんじゃないかと思い始めた頃、
オレの携帯が鳴った。目覚ましに設定していた着メロだ。





「はな…せ。起きねぇと」
「泉」
「朝練あんだよ!遅刻すっだろが!!」
なんとか浜田を突き飛ばして、鳴り続けてた携帯を止める。
「ちぇー」
「何がちぇーだっ。オメーはあんま寝てねーんだから、
も少しそのままおとなしく死んでろ。
親にゆっとくから、ちゃんと朝メシ食ってけよ」
ベッドにうつ伏せに転がったまま、浜田は手をひらひらと振る。
「ありがと、泉。今日もがんばれ。また学校でな」
「おう」
そう返事を返しながら、オレは部屋のカーテンを開ける。
窓も開けて外を見た。







ああ、夜が明ける。
夜が明けてまた今日が始まるよ、浜田。







「なあ泉」
「なに」
「もっかい笑って」
なんだこのバカ野郎は、と思いつつも
オレはそう言ってもらえるのがすごくうれしかった。
まだ素直になんかなれないけど。
笑いながら、オレは浜田に向かって言葉を投げた。
「ばぁーか」















始まってしまった今日の日。
笑ってしまったそのことで
オレと浜田の何かが変わっていくのだろうか。







浜田の気持ち求めて、
動けなくなってしまう日が来るんじゃないかと
オレはそれだけをただ不安に思っていた。





















この話は『夜待ち』につながっていきます。








2006.8.3 up