これ以上好きにならないうちに
逃げてしまおうか











『真夜中の寝息』











「水谷っ!!寝てんじゃないっ!」
秋の夜長、真夜中の自室でうろうろしながら、
自分の携帯電話に向かって、オレ、栄口は声を張り上げる。
実際は電話の向こうでお気楽に寝息をたてているはずの
水谷に向かって怒鳴ってしまったのだけど。
寝てられたら困るんですが。
非常に非常に困るんですが。









水谷に頼まれて、英語のワークを貸したのは今日のこと。
それは別にいいんだけど、明日までの課題だったプリントを
ないないと探し続けて、うっかり英語のワークに挟んだまま
貸しちゃったことに気が付いたのが夜になってからで。
慌てて同じクラスの巣山にメールして、
明日プリントの答えを見せてもらうことになったからいいとして、
本当にワークにそのプリントは挟んであるのかどうか、
不安になって水谷にもメールする。
だが、全然メールの返事が来ない。
待っても待っても来ない。
しびれを切らして、水谷に電話したのがもう真夜中だった。
水谷は寝ていたらしく、何回ものコールの後
やっと繋がって、それでもまだ寝息をたてていた。









「水谷っ!」
そりゃ、こちらの都合で真夜中に電話なんてかけちゃったし
部活で疲れてんのも分かってる。
「…ん…、何だって?」
起きたようだ。ぼそりと声が聞こえてきた。
「だから今日貸した英語のワークにプリント1枚挟まってなかったかって
聞いてんだけど?明日提出のヤツだったんだよ。
答えは明日、巣山が見せてくれるっていったんだけど、
ちゃんと挟まってたかどうか確認したかったんだ。
…起こして…ごめん。先にメールしたんだけど」
「こっちこそごめん。今日早く寝ちゃったから。
ああ、そういやなんかプリント入ってたみたい」
それを聞いて安心する。
「明日それ朝練のときに渡してよ」
「はーい…」
「ごめん水谷、おやすみ」
「うん、おやすみぃ。あ、栄口の声」
「え?」
「すごーく、気持ちいー。子守唄聴いてるみたい…」
「…な、何言ってんだよ。あ…!水谷ーっ」






電話の向こうから、もう声は聞こえなかった。
水谷は携帯電話を抱えたまま、眠ってしまったようだった。
こちらから通話を切ろうとしたが、
微かに感じる寝息の気配に、それができなかった。
携帯を耳に当てたまま、ベッドに上がり掛け布団の中に入る。
そのまま目を閉じれば、水谷が傍にいるような気がする。



……涙が出た。


















すごく不安だった。
携帯メールの返事、待っても待っても来なくて
不安に意識が食いつぶされそうだった。
実は水谷にとっての優先順位、自分はぜんぜん上のほうじゃなくて
メールも無視されてんのかななんて、そんなことあるはずないのに
ネガティブな考え方に落ち込んでしまっていたのだ。
こんな真夜中に電話なんかかけたら
嫌われてしまうんじゃないだろうかと思って
携帯電話片手にずっと部屋をうろうろしていて
やっとの思いで水谷に電話をすることができた。











どうしよう。
自分の中が
水谷でいっぱいになっていく。





水谷の中には
オレの存在はどのくらいの割合で占めているんだろう。





これ以上近づくのが怖かった。
抱えている気持ちは確実に恋で
このままどんどん好きになっていったら
きっと辛くなるのは自分だ。





水谷は誰にでも優しい。
本人が思っているより、ずっと人気があるんだよ。
水谷の傍には、いつもたくさんの人が居て。
なのに、なんでオレをこんなに見てくれているのかが分からない。
きっとそのうちオレなんかより
優しくて可愛くて、素敵な女の子が傍に来て
その女の子のほうを向いて、幸せになるんだ。





オレはそのときにも、笑顔で「幸せになれよ」とかいって
彼を新しい世界に送り出すだろう。
そして、…きっと独りで泣くんだろうな。
胸が張り裂けそうなくらい、辛くなるんだろうな。





だからこれ以上好きにならないうちに逃げてしまおうか。
そう思うことがよくあって。
ほんとうに、そんなことができたらいいのに。






それでも
水谷がオレを見て、笑いかけてくれるのがうれしくて
オレは、何処にも逃げることができないんだ。









「み、ずたに…」
流れ落ちた涙と共に、声が漏れた。
掠れた声に自分で驚いた。






このまま朝まで電話を繋げたままでいたいけど
電話代のことを考えるとそんなことができるはずもなく
「おやすみ」とひとこといって、そっと通話を切った。
ふらりと、視界から入る世界が揺れる。


















さみしい






さみしいよ








忘れかけてたのに。
「さみしい」とその単語は何処からかふわりと浮かんで
そのまま消えずに、意識の奥にこびりついたままだった。





オレは、この時初めて「さみしい」気持ちを
ずっと抱えていた自分に気が付いたのだった。




















次のお題「手」の
『手の鳴るほうへ』に
続くんじゃないかなと思います。







2006.7.24 up