やばい、と思った。



直球が来た。









『直球』










「泉、笑ってよ」
浜田がそう言い出すことを
オレ、泉はまったく予想だにしていなかった。





湿気が6月を連れて来た。
そんな夏の初め。
夜に電話で突然呼び出されて、オレは浜田の部屋に来ている。
何事かと訝しんでいるオレの前に、
生クリームが添えられたシフォンケーキと紅茶が並ぶ。
「…これ、オメーが?」
「そ。味見してね。甘いモン嫌いじゃなかったよね」
「…いただきます」
手を合わせると、浜田は小さなテーブル越しにオレを見て
にこにこと笑っていた。
「ウゼー」
「また泉はそんな言い方っ。ちゃんといただきますしてて
可愛いなって思ってるだけなのに」
「だけが余計なんだよ。…ケーキは美味いよ、うん。
こんなん作れるなんて知んなかったぞ」
「オレ、家事は得意よ?裁縫とかも」
「立派に主夫になれるな」
「嫁にもらってくれんの?」
「やだよ」
即答したら、ヤツは黙り込んだ。
オレは気にせずケーキをもくもく食べる。
紅茶もごくごく飲んでやる。
「なあ泉」
「……」
「マジな話…していい?」
浜田が家に来る…ではなく、浜田の家のほうに呼び出されたので
なんかあるとは思ってはいたんだ。
「…なんだよ」
らしくなくどきどきしながら、浜田が口を開くのを待つ。
「オレの前で昔みたいに、泉、笑ってよ」
やばいと思った。
直球だった。
もちっと考えて、上手く変化球にすればいいものを、
浜田は言葉を真っ直ぐに投げてきた。





そして、打ち返せない、
投げ返すこともできないオレがいた。












オレの好きなのは、
浜田先輩じゃなくて浜田だった。





好きになってしまったのは「浜田」と呼ぶようになってからだった。
4月に同級生になって、クラスメイトにもなって
まだガキだった頃のように、お互いの部屋を行き来することも再開して
「泉」と間近で呼ばれるその声のトーンにも慣れた頃に
その恋はやってきた。






それから上手く笑えなくなっている。
ヤツの前では。





幼馴染のままでよかったのに。
先輩後輩のままでもよかったのに。
なんで今更好きになってしまったんだよ、と自分に戸惑い
野球をもうやっていない浜田にも大いに戸惑い、
それを認めたくなくて、曖昧さの中に気持ち誤魔化して
それでも日々は過ぎていってた。





毎日余計なことを考える余裕もないほど、練習で疲れてて
それが逆に良かったのかもしれない。
しれないが…浜田にこんな風に真っ直ぐ問われてしまうと
どう答えを返していいのか分からない。











いっそこのまま
何も返さず逃げてしまおうか?







逃げたい。



逃げたい。



「何言ってんだばぁか」と軽口叩いて
逃げてしまいたい。
素直になんかなれない。





無言で立ち上がって部屋のドアに向かって走るオレの
手首を掴んで、浜田は引き止めた。
掴まれた手首は引っ張られて
オレはヤツの大きな体にそのままぶつかり、ぎゅっと抱き締められる。





「オレ、ムリさせてんのか」
浜田のマジな声が上から降ってくる。
「お前に笑ってもらおうって、それってムリさせてんのかよ」
痛いくらいに感じる浜田の腕の力。









好きなヤツに笑ってほしいって言われたら
それで自分の好きなヤツが喜ぶというのなら
笑ってやるのなんて簡単なことじゃないかと普通は思う。





実際、水谷や栄口なんかは、すぐににっこり笑顔を向けて
簡単にそういうことができそうな気がする。









けれどオレには難しいんだよ。
上手く笑うことができないんだよ。





そんな簡単なことすらできず、
投げられた直球を辛うじて受け止めることだけはできて
けれど打ち返すことも投げ返すこともまだできなくて
こうして抱き締められているのに、固まったまま動けない。





「なあ、泉。オレ、お前にムリさせてんのなら…」
首をぶんぶんと振る。肯定だけはしちゃいけない。





そうじゃない、そうじゃないんだよ、浜田。














「オレ、野球部の援団、作ろうと思うんだ」
突然のその告白に、頭の中が真っ白になる。
「…泉?」
震える。震える。唇。
熱いものが喉を上がる。やばい。
泣きたくない。
「だから。今までよりも近くにいることになるからさ。
オレ、お前に笑っててほしーんだけど。
笑ってももらえなくなるほど、嫌われてっとは思ってねーんだけど」
当たり前だ。
嫌いじゃねーもん。
嫌いなら、今ここにいねーって。
そんくらい、わかれよ。ばぁか。





潤んでくる目に動揺する。
…泣きたくない。
泣いてなんかいられない。



援団を作るってことがどういうことだか分かってんのか?



問わなくちゃいけない。
それは問わなくちゃいけない。





自分の気持ち以上に
逃げてたコトがひとつだけあって
今問わなくちゃいけない。
もう逃げられない。
返さなきゃ。投げてでも打ってでも。






「オメー、直球で言ってくれたから、俺も直球で返していいか?」
「いーよ。泉の直球、うれしいよ」
顔は上げれないままで、オレは言った。
抱き締めたまま、オレの髪を優しく撫でて、浜田は言葉を返す。
「最初で最後だ。2度は言わない」
「うん」
「援団を作るってことがどういうことだか分かってんのか?」
「………分かってるよ。分かってんだよ、泉」
腕を伸ばして、浜田を押して体を離す。あっさりと離れた。
オレも真っ直ぐに浜田を見つめた。
唇。震える。それでも言うんだ。
「野球部…入んねーの?オメー、もう、野球やんねーの?」
「…体、もうついていかねんだよ」
「………」
浜田の前で、泣いてしまえたら楽になるのかもしれない。
この時ばかりはそう思った。
でもオレは泣きたくなかった。
なにかが崩れる音は聞きたくなかったのだ。
「泉」
「分かった」
「いずみ」
「それ以上言うな、何にも言うな。謝ったりしたらマジで殴るから」





再び浜田に抱き寄せられる。
「ほんとにいいの?援団」
「…分かったって言った。それ以上訊くな」
「後でみんなの名まえとかポジション教えてよ、ね」
「…後でな」
「笑って、いずみ」
ああ、そうだな。
オレも笑いたいよ。オメーのこと、喜ばせたいよ。
それがほんとの気持ちだよ。
ちゃんと投げよう。
オレも、直球で。ほんとの気持ち。
好きだとは絶対に言わねーけど。
「……それ、少し待ってくれっか?きっと笑えるようになっから」
「うん」
「もしかすっとずっと待たせっかもしんねえけど」
「うん、いーよ、待ってる。ありがと。ケーキ、まだ残ってるよ。食べよ」
浜田は、うれしそうに笑った。
オレもその笑顔を見て、うれしくなった。
笑う代わりに浜田の目をじっと見てたら、
「可愛い〜」と言われたので、ヤツの長い足をがんと蹴った。









オレには分かっていた。
いつか、そう遠くないいつかに浜田に対して
ちゃんと笑えるようになる日が来るのだろう。





でもその時は、笑うのと引き換えに
自分の心に欲が出てくるのかもしれないんじゃないかと
少しだけ怖くなる。











「オレのことを好きになって」
そう願う日が来てしまうんじゃないかと、
怖くなるんだ。







そう遠くない、いつかに。






















相手の前で
笑うことができるようになって
それで世界が変わって、


相手の前で
泣くことができるようになって
また世界が変わっていくのです。


泉にとって、
どちらももうちょっと先の話。





この『直球』はずっと抱えてた話だったので
書くことができてうれしかったです。





BGM : レミオロメン 『流星』









back

2006.5.28 up