そら そら



ほら 視界いっぱいの








『そら』
(2006年5月17日三橋お誕生日記念SS)









初夏の風が爽やかに吹いていて
だんだんと質量を増してきた緑の木々たちが
学校の中でもその風に吹かれて揺れていた。










練習も終わり、阿部は帰ろうとして
三橋の姿を第1グラウンドの側で見かけた。
もう着替えも済ませて後は帰るだけなのに
何をしているのかと思う。





三橋は突っ立ったまま、ずっと上を見上げている。
阿部は横に並んで言った。
「何見てんだ」
「…そら」
今日の空の青はとても澄んだ色をしていた。
青の色を西から追いかけるようにとても大きな夕日と
夕日が持つ朱の色が広がっていく。
地平の近くには夏の季節を先取りしている入道雲が残っていて
天に向かってその背は伸ばされていた。
その空のまだ残る青の部分を三橋はずっと見上げていた。
部室を出るのも遅かったため、辺りにはもう人影もない。








三橋は阿部を見て、そして夕日に向かって手をかざす。
「おおきい夕日…まぶ し、いね」
沈みかけた太陽に向かってかざされた三橋のその手に、
阿部はそっと自分の手を重ねた。
重ねた手から温もりがじんわりと伝わってきて
ただそれだけなのだけど、うれしさが体全体に染みとおっていく。
「阿部君」
「ん?」
「そらが、高い」
「そだな」
2人は手を下ろしたけれど、ずっと重ねたままだった。
三橋は空の青い部分を再び見上げる。
阿部もつられるように昼の名残の青色に視線を移した。










「好き」と三橋から告白されて、
阿部も同じ気持ちだと返して
それからしばらく穏やかな日々を過ごしていた。
三橋は春に比べたら随分と落ち着いてきたように思える。





ただあんまりお互いが傍にいるこの状況が自然だったので
お付き合いをするとか、恋人同士だとか
そういう意識をまったく持たないまま、ここまで来てしまった。





お互いがお互いを大事に思っていて
お互いがお互いを本当に好きで
それだけではダメなのだろうか、と阿部は思う。





人のつながりって
もっと複雑で難しいものなのだろうか。










「なあ、三橋」
三橋は驚いた顔で阿部の方を見る。
少しびくびくし始めたが、構わず阿部は続けた。
「こないだの夜、お前が告白してくれた夜。
『オレのこと嫌いか?』って聞いたよな」
「っ…きらい、じゃないよ!」
慌てつつもはっきりそう言ってくれることがうれしい。
知ってると言って阿部は、重ねた手を裏返して繋ぎ、力を込める。
「今もひとつだけ訊いていいか?」
まだ不安そうな表情をしているが、
それでもちょっと間を置いて、三橋は頷いた。
「お前、自分のこと好きか?」
訊いた瞬間三橋は固まる。
ずっと黙っていたが、やがて静かに首を振った。
そうかなとは思っていた。
その自信のなさは何処から来るのだろうとずっと思っていた。
三橋はその大きな瞳に涙を溜め、やがてそれは頬を伝い流れ始めた。
ああ、どうしよう。
やはり泣かせてしまった。





「オレが好きで、好きでたまんないくらいのお前なのにな。
お前はそんな自分が好きじゃないんだな」
「ごめんな さい」
繋いだ三橋の手にも力が込められる。
ふいに肩が隙間なく寄せられた。小さく震えているのが分かる。
「泣かせてごめんな。…でもさ、人は変わってくもんだから」
昔から三橋はこんなだったとは思いたくない。
やはり中学時代、何処かで何かがうまく合わなくて
自信も笑顔すらも失くしてしまったのだろうか。
どうすればいいのかは分からない。
今の阿部はできることをただ手探りにやっているだけでしかなかった。





まずは三橋の、今の三橋の全部を
ちゃんと受け止めてあげようと思っているのだ。





三橋から投げられた「好き」の気持ちは
ちゃんと返すことができた。
阿部も持っているその同じ気持ちをたくさんたくさん
投げることができたとしたら三橋は笑ってくれるのだろうか。
泣いてばかり、オドオドしてばかりではなく、時折阿部に見せる
ふわりと笑う、そんな柔らかい笑顔でいることができるのだろうか。





誰も答えなんかくれない。
その答えは、自分で見つけていくしかない。





阿部は繋いだ手を一度離して、再び繋ぎなおし、
指を三橋の指に絡める。
「あべ…くん」
三橋の頬が赤く染まっていくのを見て
その細い体を抱き締めたくなったのだが
敢えてそれはせず、そのまま動かないで
2人で空をただ見ていた。
夕暮れの色をした世界の中で
静かな時間だけが流れている。














「そ ら」
三橋が言葉を漏らす。
いつのまにか三橋は泣き止んでいた。
流れているのは2人でいる時間だけではなかった。
朱に染まりつつある空の色も、薄く広がりつつある雲の端も
三橋の髪の毛先のところを揺らして通り過ぎていく風も
気づかないくらいにゆっくりと
阿部と三橋の視界に映る世界を流して変えていく。





気持ちだけは変わらない。
流れても流れても変わらない。
そう信じている。
確信も何もないのだけれど、そう信じることだけが
まだ心を触れ合わせることを始めたばかりの
阿部にとって唯一できることなのかもしれなかった。

















そら そら









空を見ている。








2人で手を繋いで
心も少しずつ繋ぎながら
今日の終わりを告げて
色を闇に落としていくそんな空を。



















明日も明後日も
ずっとずっと遠い時間の涯までも
きっと変わることのない












…そんな空を見ている。




















青空シリーズ、阿部と三橋のイメージは
手を繋いで空を見ている2人でした。
書けてうれしかったです!



三橋、お誕生日おめでとう!!




BGM : KOKIA『そら』

ずっと繰り返し聴きながら、書いてました。
静かで優しいこの曲が大好きです。
(ハープの音と歌声が合わさって、それがまた素敵で…)
青空シリーズのテーマ曲にしたいくらいです。









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