振り返ると
月だけが浮いていた










『みつめている月』










田島が自転車のパンクに気がついたのは
登校前のことだった。
ジイちゃんが、修理に自転車店に持っていってやるというので
今日の朝は歩いて学校へ来た。
こういう時、家と学校が近いというのは便利だ。





夏が近づいた、でもまだ季節は春の、春の夜。
帰り道。
田島は家までの道をのんびりと歩いていた。





見つめられているような気がする。



視線を感じて振り返ると
そこにはぽかりと
月だけが浮いていた。
きれいな満月だった。





2、3歩進む。
また振り返る。
自分が歩くのと一緒に
月がついて来ているようだ。





見つめられているような気がする。



その視線は何処かで感じていたものと
同じような、違うような…。



「よく分かんねェ」
呟いて、そのまま歩を進める。
ただ寂しくはなかった。
歩いてもたった5分ほどの帰り道。
月に見守られているような気がして
寂しさだけは感じなかった。














「田島っ」
声に振り返ると、
自転車でこちらに近づく花井の姿があった。
「…はない…」
「どうしたんだ?ぼーっとして」
「何でここにいる?」
「お前、昨日貸した英語のノート、今日返すって言ってたのに
そのまま帰ったじゃねーか。オレあれないと困るんだけど」
「おわっ、忘れてた!」
「早くよこせよ」
「持って来てねェ…家だ」
「田島ぁ」
田島は花井の目をじっと見つめ、顔の前に指をぴっと1本たてた。
「よし!このまま家まで行こうぜ。すぐだし」
そう言うと、さっさと歩き出した。
「…お前はいっつも元気だよな」
花井も大きく息をつきながら、自転車をひいて田島の後を追う。
なんだかんだといろいろ花井には世話になっている田島だったのだが、
そのことを本人はまったく自覚していなかった。






視線を感じて。
またも、振り返る。





花井は笑顔でこちらを見てる。
「どうした?」
「ううん」
ぶんぶんと首を振り、田島は視線を少し上方に移す。
月もほわりと浮かんでこちらを見てる。
月を2つ連れて歩いているようで、
何故だかとてもうれしかった。





家にすぐついてしまうのがもったいなく感じる。
このままずっと月と花井を連れて
歩いていたいな…と田島は思っていた。









2つの月を見ながら、田島は後ろ向きで歩く。
「危ないぞ、田島」
「だーいじょうぶっ…っとと」
そう言いつつ踵を段差にとられて、コケる。
「おい!」
花井は自転車を放り出して、田島の傍に駆け寄った。
「大丈夫か?」
じっと花井に見つめられて、うれしい、うれしい。
田島の中でうれしさがいっぱいになって
弾けるような笑顔で花井に抱きついた。
「はーないっ♪」
「ちょ、田島っ」
へへへーと田島は笑う。
赤い頬の花井を見て、次に月を見て笑った。











月がきれいな、まだ春の夜の話。














まだ痛みに気がつく前の
田島を書きたかったのです。




BGM : Every Little Thing 『azure moon』






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2006.4.7 up