「やわらかくお月さまが
わらってるような気がするんだよ」










『やわらかい月』










栄口が水谷から手紙をもらったのは春の終わり、
朝練の後に着替えている最中だった。
もう桜はとっくにの昔に葉だけになっていて
木々の緑の色がだんだんと濃く変化していたころで。



もらった手紙は薄い水色の紙が1枚。
それはハートの形に折られてあって
妙なところで女子みたいに器用だなと思う。
開くとあんまり上手だとは言えない字で
「しょうたいじょう」と書かれていた。




青空も白い雲も輝く天気のいい日だった。












昼休みにお弁当を食べ終えて、
校舎の屋上に栄口は姿を現した。
そこにはもちろん、水谷もいた。
「お昼休みに屋上にいらっしゃい」
いたずらかと思ってしまうような、その1文だけが
書かれていた「しょうたいじょう」だった。



「さかえぐちー」
水谷は屋上のフェンスに体を寄りかからせて
こちらに向かって腕をぶんぶんと振った。
「水谷」
近づくと、ぽんとブリックパックのジュースを
投げてよこした。
最近西浦で人気の購買のヨーグルトだった。
水谷といえば、美味しいが底に溜まるブツが大変な
『寒天蒟蒻』のぷるるんグレープフルーツ味を飲んでいた。



「これ、なに」
水色のハートの形をひらりと栄口は振った。
「ああそれ、ほら」
と言って、南の空の高いところを指差した。
栄口は水谷の差す空を見上げる。
ほんとうにいい天気だ。空は澄んだように青く、
雲の色は真っ白で。
夏が近づいてきてるんだなと思う。
「…なんだよ」
空を見せたかったのだろうか?水谷の意図が分からない。
「あれ…雲に隠れちゃったのかな?おーいっ」
空に向かって手を振る。
応じるように、ゆらりと雲が動いた。





月。



現れたのは月。



真白い満月が青空に浮いている。





「お、出たっ。良かった〜」
「…見せたかったの?」
「そ、月。朝見つけて。
見せたかった…というより、栄口と一緒にゆっくり見たかったんだよ」
栄口はくすりと笑う。
朝に水谷がきっと慌てて書いたであろう、あの「しょうたいじょう」。
ほんとうはきっともう1文あってもよかったのだ。






「しょうたいじょう」




「お昼休みに屋上にいらっしゃい」




そして。
「いっしょに月を見ましょう」





「しょうたいじょう」にあってもいい筈の1文がなかったのは
もし月を探すことができなかった場合を考えていたのだろうか。
実は何もそのへんは考えてなかった、と
言うほうが正しいのかもしれない。
水谷らしいと言うべきなのか。





「へへ…でもちゃんと見れてよかった〜。
昼休みまでにどっかいっちゃったらどうしようかと思っててさ」
水谷がふわりと笑う。
彼の持つその柔らかさは、今空にほんわりと浮かんでいる
あの白い月と共通するものがあると思う。
青空にいて、雲と並んで、柔らかな光を反射している月。
「オレ好きなんだよな〜、真昼の月。
やわらかくお月さまがわらってるような気がするんだよ」
「ああ、そうだね」
ほんとに。水谷みたいに笑っているようだ。






うれしかった。




きっと月を見つけられなくても、
一緒に見たいと思ってくれたことがうれしかった。
「水谷」
「ん〜?」
ずずずと音をたてつつ、ブリックパックの底に残った
ブツと格闘しながら水谷はこちらを向いた。
「ありがとう」
「えへへ、オレはさ」
「うん」
「栄口が喜んでくれたら、それが1番いーんだよ」
にっこりと笑って水谷は言う。
栄口は照れてしまって、それを悟られないように
またあの空の月を見上げた。
水谷も視線を空に向ける。





春の日の昼休み。
2人の間には、穏やかな時間だけがただ流れている。











水谷からもらった手紙の紙の色は
まるで青空のようで
いつまでもその色は心の中に残っていた。











幸せなミズサカが書きたかったんです…。
こだわるわたしなので
ハートの水色の手紙はきっと後で使うかも。




BGM : Every Little Thing 『azure moon』






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2006.3.31 up