それは遠い場所の何処かで
自分の知らない誰かが
手に入れた魔法の種なのかもしれない






『種 9』(最終話)
(2010年1月4日水谷お誕生日記念SS)







掌で包み込んだその中に、一粒の種がある。
ある半月の綺麗な夜だった。



オレ、栄口に種を握らせたのは水谷で、彼は言った。
「捨ててもいいから、むしろそうしてくれていいからさ。
もう友達にも戻れないかもしれないけど、好きな気持ちは変わんないから」
「……お前、それって、ひどい」
嘗て自分が持っていた、……それとたぶん同じ種。
オレは渡せなかったのに。
浜田からもらった種を、どうしても渡せなかったのに。
終わらせる勇気があったんだ、と、そう思うと悲しくて辛かった。
オレには始める勇気も終わらせるそれも持っていなかった。
持て余していた怒りと涙が流れた顔はぐちゃぐちゃで、
でも水谷とはちゃんと対峙しなければならない。



「それでも、オレは、お前が……」
お前が好きで、好きで好きで好きで。
言えないけど。
「好き」という気持ちは声にはならずくぐもっていくばかりで、
少しもオレを幸せにはしなかった。
今の関係を失い変わってしまうのが怖くて、
オレはとうとう何もできなかったのに水谷にはできるのだ。
それが悔しくて、悔しくてたまらなくて、
同時に水谷を好きな気持ちだけが溢れている。



それでもオレは
水谷のことが
好きだから



言えない言葉ごと、種を飲み込んだ。













最初に小さな種を手にしたのは、
2年生になり、2度目の球児の夏を終わらせた残暑の季節だった。



部長会議の後、副主将として援団関係の伝達事項があり浜田の元を訪れた。
思い返せば何かの拍子に話を振られたのだと思う。
「栄口って、始終水谷ばっかりを見てんだなあ」
第三者からでも見て分かるという事実を突きつけられた形になり、
オレはしばらく呆然として表情すらも固まらせていた。
「……そ、そうかな」
掠れた声を辛うじて絞り出す。
浜田は頭を掻きつつ言った。
「や、好きなんだなあと思うけど、それにしちゃなんか辛そうで」
言って、財布の中から小さな種を一粒取り出したのだ。
この種は植えるのではなく、口に入れるのだという。
「想い合っていると頭に咲いた花が見えるんだってさ。
自分の気持ち確かめたいなら、種を渡してみれば?」
その頃の自分は水谷との間にある「友達」という関係を持て余していた。
「もしかすっと何かの切欠にはなるかもしんないね」
と言われて種を受け取ったものの、
見える、見えないということの前に「渡す」という行為が重く、
その一歩踏み出す勇気をなかなか持てないでいた。
もらった種は大切な人への想いを否が応でも見つめなおす切欠となる。
水谷への「好き」という気持ちを自覚した、それはいいとして、
種を使うことで水谷の気持ちを量りたくはなかったのだ。
逡巡の挙句にとうとう渡せないままで一月ほどが過ぎ、
オレの気持ちは更に沈殿していった。
自己嫌悪という言葉がぴったりと当てはまるのかもしれない。






「頭に花が咲くとか、冗談だろ。なんだそれ、信じられねーよ」
そう言い放ったのは阿部だった。
一人で抱える種は重すぎて、まるで冗談のように口にしたのが秋の初めだった。
同中でお互い副主将で気のおけない仲となっている阿部だからこそ、
こんな話もできたのだ。
予想通りのリアクションに何故か安心する自分がいた。
なので「もらっていいか?」と問われた時には大変驚いた。
もうどうせ水谷には渡せない種なのだ。
自虐を含んだ感情のまま、「好きにすれば」と言い捨ててしまった。
しばらく指で摘んだ種を見つめていた阿部だったが、
次の瞬間には口の中に放り込んでいた。
「ちょ、阿部っ……!」
「もし本当に葉が生えたら光合成でもさせるさ」
阿部は気怠そうな面持ちでそんなことを言っていた。
この時はまだ本当に頭の天辺から芽が出て、葉が出て花が咲くとは、
オレも、もちろん阿部も思ってはいなかった。



「見えるか……?」
それから2週間ほど経っただろうか。
真顔での阿部の問いには苦笑するしかなかった。
頭の上には細い花弁の白い花が咲いているらしい。
「……見えないねえ」
「三橋には見えるみたいなんだよな」
零す言葉と彼の照れ笑う様子はらしくないが微笑ましい。
「それは、よかった」
オレも、笑顔でそう返した。
浜田から回ってきた種は無駄にはならなかったのだ。
ずっと抱えてきた罪悪感が少しでも薄れた気がしていた。



夏の終わりに渡せなかった種は、
秋になってようやく阿部に渡りキレイな花を咲かせたようだ。
冬が近づいて、どこをどう巡ったのか再び種を手にしたオレは、
今度は自分でその種を使うことになろうとはその時まで思いもしなかった。











普段あまり頻繁には見ない洗面所の鏡の存在を、
気にして覗く回数が増えたのはここ数日のことだった。
鏡にはまだ何も映らない。
だが坊主頭ほどではないが、短めの髪に指を伸ばせば、
生えてきた小さな芽に容易に触れることができた。
すぐに葉が生えてくるだろう、茎もだんだん伸びてくるだろう。
水谷の目に触れる日もそう遠くないのかもしれない。
そう、見ることがさえできれば。
水谷の様子はあれから何も変わりがなくて、あの日「好き」だと言われたことは、
自分の見ている都合のいい思い込みだったのだろうかと思ってしまう。
「顔色が悪い」と何も知らない家族がここしばらくのオレを心配している。
確かに精神的にも胃腸の調子もぼろぼろで、
きっとそれが表に現れてしまっているのだ。
自分の気持ちを信じて、
そして水谷のオレに対する気持ちも信じることができればどんなに良かったか。



その次の日の早朝、ちょっと大きめの葉が2枚生えていた。
「……もう、限界かな」
どうしようとオレは思い、うろたえるが何もできない。
今日は水谷に会いたくない。
もし「何も見えない」と言われたら、オレはどうすればいいのだろう。
種なんか飲まなきゃ良かったのか。



それでもオレは
水谷のことが
好きだから



言えない言葉ごと、種を飲み込んだのだった。
好きだという気持ちを肥料にして花が育てばいい。
花があるという事実は自分の気持ちを再確認させたのだ。
そのはずなのに。
水谷に見えるかどうかを確かめるのが不安でたまらない。
このまま逃げてしまいたい。
もしも見えなかったらそのことで水谷を落胆させてしまうのが何よりも怖かった。
結局のところ自分は、水谷に花を見せたいのだ。
それだけは、最低でもそれだけのことは分かった。











肌を刺すような外の空気に身を竦ませつつ、
オレは朝練のためまだ闇が十分に残る世界の中、玄関を出る。
これだけ寒いと目深に被った野球帽は防寒のためだと言い訳にもなりそうだ。
たった1人を除いては。
水谷だけは今日に限って被っている野球帽の意味に気がついてしまうのだろうが。
自転車を出し、家の前の小さな市道に出た途端にオレは声をかけられた。
水谷だった。
なんでこの時間にここにいる?
自分でも意識せず帽子を押さえてしまったのにすぐに気がついて、
歯がゆさに眉をしかめた。
「栄口、おはよ」
いつもの笑顔が朝焼けの薄い光の中に浮かぶ。
自転車のスタンドを立て、水谷がこちらに向かって歩いてくる。
帽子に真っ直ぐに手を伸ばしてきて身を竦ませた。
「さわんな」
「どして?葉っぱ、見せてよ」
そろそろ葉が出てくる頃だと水谷も分かっていたようだ。
潤む視界を自覚しつつも、首を振ることだけしかできない。
自転車のハンドルを握る指が震えている。
いつだって上手く言葉にならない。
心はちゃんとあるのに、水谷を好きだという気持ちも溢れているのに。
しばらく動きを止めていた水谷の手は片手だけオレの背に回されて、
そっと抱き寄せられる。
「栄口の気持ちはちゃんと分かったよ」
「……っ!」
「オレに花を見せたいと思ってくれてありがとう」



涙が一粒静かに頬を零れた。
その頬に水谷の唇が重なる感触があり、次の瞬間に帽子が外される。
「けっこうやわらかいんだ、葉。触ると気持ちいい」
頭をぽんぽんと軽く叩かれて、水谷は離れた。
触れる、と言う事はきっと見えもするのだ。
「みずた、に」
「可愛い葉っぱが生えてるよ、花が咲くのが楽しみだね」
そう言って笑う。
「もし見えなかったらどうするつもりだったんだよ」
涙目のまま毒づくオレに水谷は眩しいほどの笑顔を返す。
「うーん、実際に見えるかどうかより、
花を見せたい、見たいと思う気持ちのほうが大事だとオレは思うよ。
オレの花も栄口に見せたいなあ」
「じゃあ、」
オレは言葉を捜す。
言うべきことはちゃんと分かっているはずだ。
「じゃあ、この花から新しい種が採れたら、受け取ってくれる?」
「もちろんだよ」
瞬時に肯定の返事があって、それが何よりもうれしい。
水谷の頭に花が咲いているのを想像したら可笑しくなった。
きっとキレイな花を咲かせるのだろう。
そしてたいした違和感もなく存在するのだろう、花は。
今だったら、ちゃんと笑えるかもしれないと思う。











自分の頭に今、育ちつつある花はやがて咲き、
枯れた後も新しい種を残す。
巡り巡って種は再び自分の手の中に戻ってくる。
今度こそ。



渡せなかった種を渡すのだ。
そう、今度こそ。








END








大変遅くなりましたが、
水谷、お誕生日おめでとう!



シリーズ「種」 後書き



※種の行方

浜田→栄口→阿部→三橋→田島→花井→水谷→栄口
              ↓
               泉←→浜田






2010.2.21 up