青空のどこかに
確かに月がある



昼の世界に
居心地の悪さを感じながら



それでも太陽の光を受け
白く淡い光を纏っている








『ゆれる』

(2008年1月4日水谷お誕生日記念SS)












青い空にある白い月は、一度その存在を心に留めてしまえば
視線を逸らすことができない。




もう春、と呼んでもいい時期だった。
梅も桃も咲いてしまい、学校の桜の木、
その蕾が綻び、花が開くのを待つだけになっていた。




いつからなんだろう。
気が付くと、オレ、巣山は、いつも水谷の姿を目で追うようになっていた。
「好き」だという気持ちを自覚する前からなのか、
自覚してからなのかは分からない。
見つめる。
見つめてしまう、オレの白い月。




いつも見ているからこそ分かることがある。
水谷は最近あまり笑わなくなった。
オレはそれをずっと自分のせいだと思っていた。
3月に入ったばかりのまだ肌寒い日に、
刈りたてのオレの頭に気軽に触れてきた水谷の手。
今までの自分では在り得ない程の驚いた反応に、
水谷の笑顔を無くした表情を忘れることができない。
あの後気持ちを落ち着かせて、水谷を追いかけた。
「気にしないで」と水谷は言う。
その時も、オレには笑顔を見せてくれた。



やがて別のことにも気付いた。





思い返せば秋の学校説明会の頃からだっただろうか、
グラウンドにまだ中学生くらいの人影がちらほらと見られるようになったのは。
受験生が学校見学に来ているのだろう。
それに伴って、水谷の守備に不自然な凡ミスが見られるようになった。
西浦での練習試合で、簡単なフライを落としたのは昨日の夕方のことだった。
さすがに後でモモカンに呼ばれて、注意を受けていたようだった。
もしかすると頭を握られていたかもしれない。
「気にすんなよ」とオレは言う。
確かにその時もまた、水谷は笑顔を見せてくれた。
だが。



次の日、朝練に出てこなかった。
出したメールに返事もなかった。










「何で来てんだよ!授業は!!」
水谷がオレに向かって叫ぶ。
ここは水谷の家で、開け放たれたドアの前で。
2人立ちつくしていた。
朝練の後オレは学校を抜け出して、今、水谷の前にいる。
「……逃げんな」
オレの言葉に、一瞬ではあったが水谷は表情を崩した。
顔を近づけていく。
水谷は後退る。
更に奥に追い込んで、オレは後ろ手でドアを閉めた。
自転車も荷物も置き去りにしたまま、息を切らして駆けて来た。
探しても探しても青空に月が見当たらない。
焦燥を抱えたまま、駆けて来た。
学校を、授業を抜け出したなんて初めてのことだった。
「水谷」
オレの右肘に水谷の左手が触れる。
触れられたことによる自分の感情の高まりに驚いて身を引いた。
その様子を見て項垂れる水谷の顔が見れない。
「ここじゃなんだし……上がんない……?」
顔を上げ、向けられた柔らかい笑顔にオレは何だか切ない気持ちになった。




水谷の部屋に来るのは、月のケーキをあげた誕生日以来だ。
ラグに座り込んだまま、水谷は窓枠を通して青く澄んだ空を見ている。
淹れてもらった紅茶を啜りつつ、どう声を掛けてよいものか分からず、
少し離れたところにいる水谷の横顔を見つめ続ける。
静かな室内で小さな小さな溜息の音を聞く。
「ミスは誰にだってあるさ。あんま気にすんなよ」
「……巣山は、不安になんない?」
「不安、って」
「4月になって新入生が入ってきたらさ、レギュラー取られんじゃないかって、
そんなこと考えたことない?」
「何か言われたのか?モモカンに、とか」
水谷は黙って首を振っていた。
よく考えれば、様子がおかしいのは昨日今日の話じゃない。
立ち上がり水谷の傍に移動する。
見上げてくるその目は、赤かった。
「何があった、何がそんなに不安なんだ」
顔を逸らす水谷の顎を掴んでこちらを向かせる。
「すや、ま」
「言ってみろ」
更に首を振る水谷に苛立ち、その場に押し倒す。
抵抗はしないで黙ってオレを見つめてくる彼が愛しい。
流れる柔らかめの髪に触れたくなって、そっと指を通した。
「聞いちゃったんだ、中学生の会話」
水谷は話し始める。
「……何、を?」
「10人しかいない野球部だから入ればすぐレギュラーになれるって。
中学の時のチームメイトにもそんなこと言われたことがあって、
オレでもレギュラーになれんだから、西浦入ればよかったって」
なんだそいつら、と苦い感情が胸の奥に渦巻く。
「言わせとけよ。そんな声に負けんな」
「お前は野球上手いから、きっと分かんない」
「なんだそれ」
「……ごめん。……ずっと平気な振りしてたけど、
あんまそういうのって考えないようにしてたんだけど。
3学期になって暖かくなってきて、練習見に来る中学生増えたよな。
4月が近付くにつれてだんだんと怖くなってた。
オレ、あんま他のヤツより伸びてないような気がしてっし。
西浦……スゴいヤツばっかで、オレ、ここにいていいのかって思う時もあるんだよ」
「水谷……」
抑揚のない声で淡々と話している。
無理して笑顔を作ろうとしてるのが分かって、切なさだけが自分の中で増していく。
「才能ある1年が入ってきてさ、オレ、ベンチ暖めるのも覚悟してっけど、けど、
……そんな状況から逃げたくなる自分も居るんだ」
首の後ろに腕を回され、抱きついてくる。
水谷の髪に顔を埋め、その震える身体をオレも強く抱き締め返した。





ずっと、揺れていたのだ。





誰も気付かないところで、ずっと水谷は揺れていたのだ。
「どうしてここにいてもいいんだろう」と、
例えば青空の下(もと)に星の姿も見えないのに、
独りぽつんと存在している昼間の月のように、
何故太陽の光を纏って場違いな処にいるんだろうと。
月が光るのは決して夜だけではなく、ちゃんと昼間の世界にも存在しているのに。
夜の月のように、そんなにも明るく光らなくてもいいんだ。
青空の下、白く淡くお前らしく光っていればいいじゃないか、と言いたいが、
水谷の抱える不安が分からないでもなかった。
「バカなこと考えてんだな」
「そうだね、……バカだね」
「あれだけの練習をこなして、夏も秋も一緒に戦ってきて、なのにそう思うのか」
「……うん」
「逃げんな。いろんなもんに負けんな。
気持ちが負けてたら、みんなの前に本当に居れなくなるぞ」
「……うん、吐き出せて、楽になった。ありがと、巣山」
このまま抱いてたら、なんだかおかしくなってしまいそうで、
水谷の背に回していた腕をはずして身体を起こした。
寝転がったまま、水谷は動かなかった。
髪に手を伸ばす。さらりとした感触が心地良い。
こちらに真っ直ぐに向けられる視線に、照れを感じてしまう。








「最近笑わなくなっていったのもそのせいなのか?」
投げかけた問いに水谷は表情を強張らせた。
「……たぶん……それは違う」
「じゃあ他に理由があんのか」
水谷の零す、言葉の調子は重い。
他にもあるんならそれも含めて、憂いはすべて受け止めてやりたい。
「ねえ」
暫しの沈黙の後の水谷の声。
「ん?」
「笑えなくなったの……お前のせいだって言ったらどうする?」
「え」
「お前、あんま……優しくすんな。いろいろさ、期待しちゃうから」
「期待って……?」
「お前とは友達のままでいたかった」
掠れた声と、その語気の強さにオレは驚く。
「……!」
「好きになんなきゃよかった!」
水谷は叫ぶ。
「も、いい……。巣山を好きになんなきゃよかった。
自分ばっか気持ち抱えて辛くなって笑えなくもなって。
もうどうにもなんなくなってんだよ!」
両の目は真っ赤になって潤み、大粒の涙が零れた。
腕を顔の上で交差させて、呆然となったオレの傍で泣いていた。
触ろうとすると身を捩って嫌がった。
「ご、めん。ごめん、ね、巣山」
「何で謝る」
「好きになって、ごめんね。友達と思えなくてごめん。
お前の「好き」が友達の延長線上ってのは分かってんのに、
オレはそれに縋っていたかったんだ。
関係を壊したくなくて、でも気持ち持て余して……何もかもが痛いんだ」
水谷の気持ちの告白に胸がじわりと熱くなる。
熱。
水谷が高い熱を出した時に掴まれた手首の熱さを思い出す。
あの時自分の内に取り込んだ熱は、確かに、今も有る。
「好き」の気持ちはちゃんと自分の中に有って、
それは決して友達に対するもんじゃない。
衝動のままに水谷の手首を掴み、顔から腕を引き剥がした。
掌を自分の顔に近づけて舌を這わせる。




その手も甘いのかと思っていた。
あの香りのように、指のように。
だが想像していたように甘くはなく、涙の味がした。




「ちょ、何してんだよ、巣山!手!」
水谷は慌てて起き上がる。
だが手を離してやるつもりはなかった。
今度は手の甲に舌を這わせつつ、
水谷の頬がだんだんと赤く染まっていくのをオレは見ている。
「オレにとってお前はただの友達じゃない」
そんなぼろぼろに泣いて、キレイな顔が台無しだと思う。
だがその泣き顔が可愛いと思う自分がいて。
「水谷」
泣きながら、水谷はただ首を振った。
この愛しい存在をオレは大事にしたい。
幸せにしてやりたい、と強く思う。
今までオレはいろいろよく分かってなかったみたいだ。
オレが持つ「好き」な気持ちを水谷が図りかねて不安になっていることも。
その前に自分の気持ちの自覚も。
「水谷」
顔を伏せ、泣きじゃくる水谷の頭を空いた方の手で軽くぽんぽんと叩く。
「オレがお前の彼氏になりたいってのは、おかしいか?」
「……うえ?」
きょとんとこちらを見ている水谷に、愛しさは倍増してくる。
「なあ、おかしいかな?」
「おかしく……ないかも?」
ずず、と鼻をすするその姿も、ああもう何もかもが可愛い。
「ちゃんと、好きだからな。友達として、なんてもんじゃじゃないからな。
水谷、そこは信じてもらわないとオレも困るぞ」
「ほんとに、……ほんとにほんとの、好き?」
「お前はな……いい加減分かれよ」
「オレと、おんなじくらい好き?」
「ああ、好きだよ」
「オレ……逃げないで頑張れるかな。もっといろいろ頑張れるかな」
「おう」
笑顔でそう答えて、包み込むようにそっと、そっと抱き締めた。
やっと安心したのか、水谷は力を抜いて凭れかかってきた。



「すやまぁ、大好き」
愛の言葉を口にしてふわりと笑うその水谷の笑顔は、
久しぶりに見るものだった。
それだけで、オレは幸せだった。
あとはオレが水谷を少しでも幸せにする番だ。







腕の中の、白い月。
柔らかい笑顔でオレの傍に在る。
青空のどこを探しても見当たらない月は
ちゃんと傍に在ったのだ。





その月はオレにとっては特別な月で
青空の下、太陽の光を受け
白く淡い光を纏っていた。










揺れながらも。
















しろいつき

ゆれながらも



水谷、お誕生日おめでとう!





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2008/1/4 UP