その手もやはり、甘いのだろうか。











『あまい て』













触れれば思ったより柔らかい感触なのは知っていた。








オレ、巣山はチームメイトである水谷とは、
瞑想という名のついた状況で、隣同士になることが何度もあった。
照れたような笑顔とともにいつも差し出されるのは薄い色の掌。
握るとほんのりと温かくて自分の手とは大違いな柔らかさがあって、
視界の端で水谷の持つ柔らかい長めの髪がふわりと揺れている。
青空でたまに見かける白い月の柔らかい光と、
水谷のイメージは重なって、自分の視線を捕らえて離さない。
瞑想の最中には、ふわりと笑う水谷の笑顔と白い月を
思い浮かべることが多くなっていた。




バレンタインデー後の落ち着かない空気も消え、
ようやく学校内にも進級を待つばかりの時間の中で
日常の風景が戻ってきた頃だった。




「すーやま」
もう3月だというのに、空いっぱいに雲は広がり、
太陽の存在を探したくなるくらいに肌寒い日だった。
今日も部活に行くべく帰り支度をしていると、
1組の開いた教室のドアから水谷が顔を出して、手をひらひらと振っている。
オレも手を挙げると「お、じゃま、しまーすっ」と声を掛け、
教室の中に入ってきた。
早めにHRが終わったので、教室には人が疎らにしかいなかった。
手にはノートを抱えていて、
昼休みに栄口に借りた古典のノートを返しに来たのだと分かる。
窓際2列目の1番前、オレの席まで近付いてくる。
「栄口、二者面談で今いないぞ」
「ええ、なんでー」
何で、と言われてもいないものはいない。
「まだしばらくかかるみたいだな。帰りに部室で渡したほうがいいんじゃねーか」
「ああうんそだねえ」
髪をかきあげながら水谷はそう言って、オレの方にちらりと視線を向けた。
「……?」
「巣山、頭」
え、と思った途端、自分の頭の後頭部に感じた掌の感触があった。
「刈りたて?」
水谷に頭を撫でられたのだと瞬間理解した。
理解はした……はずだったのだが。
「う、うわあああっ」
思わず大きな声が出て、立ち上がり、身体を後ろに退らした。
背中が当たり、窓枠が鈍く音をたてる。
水谷は手を胸の上に挙げたまま、固まっている。
その表情は笑ってはいなかった。
瞬きすらしていないようだった。




どうしてそんな風に声が出てしまったのかは分からない。
確かに自分の頭は刈りたてで、
朝練の時に見て分かっていたのだろうとは思う。
触られる感触は大変に心地良かったし、うれしかったのに。
何故だろう、身体の調子がなんとなくおかしい。
今までにも何度となくあったことなのに、心臓の鼓動は跳ねている。
あちこちに熱を感じて、息が苦しい。
顔が熱くてたまらなくて、自分の手で覆った。




窓を背にして立っていたので、教室内に残っている数名の注目を
モロに浴びてしまっていたことに気が付いた、焦る。
「うわ、ごめんっ」
「水谷……」
「びっくり、させちゃったかな。ごめん。迷惑だったよな、悪かった。
……オレ、もう戻るからさ、また後で」
そう言った水谷は笑顔だったけれども、
無理して笑っているような感じに見て取れた。
「!!」
返す言葉は急には出なくて、
オレは振り返って自分から遠ざかろうとする水谷の手を掴んだ。





触れれば思ったより柔らかい感触なのは知っていた。
水谷の、その掌。




水谷の細い指は過ぎていった冬の時間の中で、
香りを纏う甘さを持っていた。




ただ彼が持つ指のようにその手も甘さを持っているのか、
それが妙に気になっていた。
このまま掌に手の甲に、自分の舌を這わせれば分かるのだろうか。
手だけではなく、その白い頬や薄く色づいた唇も甘いのか、と。
いろいろと触れたい、という欲求が自分の内に渦巻いてきて、
さすがに他人のいる教室内じゃまずいだろうと思っていても
このまま触れていれば抑えが効かなくなりそうで、
怖くなって水谷の手を無言のまま、離した。
言葉を無理矢理出せば、何を言ってしまうのかすら分からなかった。




水谷も何も言わずにそのまま背を向けて、
足早に教室の外に向かっていった。
残像は笑顔のそれだけが残っていて、
オレは安心感を辛うじて手に入れることが出来ていた。




自分がどうかしちゃったんじゃないか、と思うほどに
不思議な感情はオレの中に存在していた。
ぎこちなさを一瞬でも感じたのは、照れもあったのかもしれない。
思い出すのはバレンタインデー。
「好きだよ」と言われて「好きだ」と返した。
気持ちは何も変わらないはずなのに、と、ただ戸惑う。
それとも自分の中で何かが変わってしまっていたのだろうか。




水谷に対して、これからどんな顔をして会えばいいのだろう。









オレは乱れていた息遣いを整えつつ、
振り向いて窓越しの空を仰いだ。








白い月は、いくら探しても
視界の中には見当たらなかった。
空いっぱいに広がる雲が
隠しているのかもしれなかった。















しろいつきの

てはあまい?









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2007/12/2 UP