それは2月14日のことだった。











『あまいゆび』
(『あまいかおり』その時その後)
(2007年4月6日巣山お誕生日記念SS)











雨が降っていた。
確かに降っているはずだった。
雨の音は鼓膜を通り過ぎても、その存在を認識することはなく
ただ意識の何処かに響いているようだった。





オレ、巣山は水谷を見つめていた。





人影も疎らになった教室で
水谷の指から口の中に入ってきたものは
思ったより柔らかい。
思ったより甘くない。
より甘さを感じたのは、水谷の、その指だ。




離れていくのが惜しいと思うほど、
手首を掴んで、再び引き寄せたいと思うほど甘く感じて。
決して甘いものが好きだというわけではないのに。




「美味いな」
揺れる意識を立て直して、口腔を満たす甘い香り、
口に入れられた一粒のチョコレートについて、そう素直に感想を漏らした。
「そう」
水谷の笑顔は一層ふわりと柔らかくなる。
月を偲ばせるほどの笑顔は、雨の落ちる、色を抑えた世界の中でそれでも光る。
「誰かから貰ったのか?」
「それは貰ったもんじゃないよ」
「お、そうなのか…?」
貰ったものではなければ、自分で用意したものなのか。
今日は、バレンタインデー。
オレは戸惑ったまま、彼の揺れる瞳を見つめる。
何故オレに…と思う。
それとも、そんなに深い意味はないのだろうか。





水谷は俯いて目を伏せる。
長めの睫が小さく揺れる。




「好きだよ」とそう聞こえた。
囁くような水谷の声が自分の鼓膜を通して届いて。




もう雨の音も聞こえなくなっていた。
早鐘のように鳴る鼓動と、口の中に残る甘い香りだけを感じていた。







周囲を見渡すと、いつのまにか教室にはオレ達2人だけになっていた。
時はちゃんと流れているのか、それとも何処かで止まっているのか
世界を曖昧に認識したままで、オレはただ水谷を見つめていた。



水谷に対する気持ちを今までどう言葉にしていいのかが分かっていなかった。
白い月の姿を彼に重ねて、月ごと彼を思っていた。
空に溶けるほどのその白さは自分には持ち得ないもので
本当をいうと憧れてもいた。
気が付くといつも探していた。
穏やかに自分の傍にいる、水谷という名の白い月。



水谷が発した「好き」という言葉が、なんの捻れもなく
心の何処かに嵌った気がして、オレは驚いていた。
たぶんオレも、水谷のことが好きなんだ。
男同士だとかそういうことは関係なくて
ただ「好き」という気持ちを持っていたのは確かだった。
シンプルな2文字で、抱えていたこの気持ちを表すことができたんだ。
水谷から言葉をもらって初めて気が付いた。




突然に言葉は零れた。
ぽろりと零れて音になった。
「オレも好きだよ」
それだけを言って、やっと雨の音が戻ってきた。




雨が降っていた。
本当はずっと雨が降っていたはずだった。
最初から雨の音はあったのか。
ただ自分の意識だけが外界の音を遮断してしまっていたのか。
先程の時間の中で、切り落とされてしまった雨の音は
どこに紛れてしまったのだろう。
水谷を見ると朱の色を取り込んだような月の、そんな色の頬をしていたが
もう俯いてはいなかった。
揺れる瞳はそのままだったが、真っ直ぐにオレの顔を見ていた。
「笑ってくれよ。お前の笑顔がオレは好きだよ」
笑ってくれよ、オレのしろいつき。
「……ありがと、巣山」
水谷は笑った。
ふわりふわりと柔らかに、目を細めて笑っていた。




「なあ。チョコって一粒しかないのか?」
「ん?まだあるけど……食べる?」
「お前が食わせてくれるんなら」
「…え。ええ?ちょ、ちょっと待ってて」
慌てて水谷はカバンの中をかき回して、チョコが入っていたのだろう箱を取り出す。
四角いチョコレートをもうひとつつまむ。
微かに広がる香りの元であるそれを挟んだ水谷の手が近づくのを待った。
欲したのはチョコレートでは決してなかった。
きっと甘い香りでもなかったと思う。







欲したのは、水谷の。



その甘い指。

















しろいつきの

ゆびはあまく



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巣山!!お誕生日おめでとう!!




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2007/4/6 UP