ふたりがはしるせかいで
つきだけがひかる














『ひかる』
(『うそつき』の続き)















オレ、巣山は屋上に続くドアの前で水谷を抱き寄せる。
肩に埋められた水谷の顔は見えなかった。




水谷を引き剥がして、可愛いだろう、
その泣き顔を見たいとも思うし
逆にこのまま、腕の中に置いておきたいとも思う。





昼休みも残り僅か。
しろいつきを掴まえている。




さて、どうしようか。









「水谷」
じりじりと減り続けているであろう昼休みの時間を気にしつつ、
そっと息だけを紡いで、名を呼んだ。
満ち足りた静かな時間に、そうして息を吐きつつ力を抜いた。





…が、次の瞬間に胸を強い力で押されて、バランスを崩す。
水谷は腕の中から出て数歩下がって
ちょっと怒ったような表情でこちらを見ている。
「あっかんべえ!!」
舌を出し、あかんべいをして、そのままオレの横を通り過ぎ
階段を下りていってしまった。
突然のことだったので、しばらく状況が把握できなかった。




去っていった。
去っていった、のだ。




に…逃げられた。
そう、つまりは逃げられたということで。
しかも子どものようにあかんべいをしながら、声まで出して。
怒った顔も可愛いよなと思いつつ、もしかして
傷つけてしまったのではないかと不安になる。
少々調子に乗りすぎたというのは自分でも十分に分かっていた。
謝らなきゃ、と階段を降りかけたら予鈴が鳴って
「ああ、くそ」と言葉を零した。
オレの1組と水谷の7組は校舎の階も違って
教室の前を通る振りをして様子を伺うこともできやしない。





泣き顔をもっと見てみたかった。
怒った顔も可愛かった。




だがやはり太陽の光を浴びて
白く淡く輝く月のような
水谷の笑顔を欲していたのだった、自分は。




雲に隠れたしろいつき。
何処でまた捕まえようかと思う。










教室に向かいながらオレは水谷に携帯メールを打った。
焦っていたのか「会いたい」と4文字だけの
自分でもこれは間抜けだろうと思うメールだった。
「会いたくない」と言われたらどうしようか。
その時はメールでもいいからとにかく謝ろう。
ちゃんと返事が来るだろうか。
不安がじわりと広がっていく。






待っている時間はただ長く、
5時間目の授業は全然頭に入らなかった。
授業の終わる時間が近づいて、
僅か10分間の休み時間に7組まで行くのか
それともメールの返事を待つのか
迷っているところにベルが鳴り、しばらくして
手に握り締めていたマナーモードの携帯電話が数秒震えた。
「部活後に」と、水谷らしくない文字だけの簡潔なメールだった。
熱が出て、動けない時がそうだったように。
いつも絵文字顔文字色とりどりで楽しいのに。
彼の真意を推し量りかねて、オレは自分のしたことに
ちょっとだけ後悔しはじめた。
どうもオレはあまり何も考えなしに、動いてしまうようで。
傷つけてなければいいとただそれだけを思う。





優しく光る白い月を
見失いたくはなかったのだ。













その日の部活後に、ぐずぐずと部室を
いつまでも出ることができないでいたオレを、
水谷は自転車置き場でずっと待っていたようだ。
「巣山」
掛けられた声に反射的に振り向いた。
陽はとうに堕ちてあたり一面が闇、星も見えず、
月だけが頭上の宙にあって、水谷の顔が見える。
その表情が笑顔だったのを見た途端、
オレは水谷の手を掴んで駆け出していた。







ただ月だけが、光る。
2人が走る世界には。







校舎間の中庭である万葉の庭の隅まで
オレはただ走り続けて、水谷は黙ってついてきた。
立ち止まって、息をついても
手は握ったまま離さないでいた。
ちゃんと伝えなきゃならないことがある。逃げてちゃいけない。
息を整え、オレは水谷に向かって言った。
「ごめんな。オレ、昼休みはちょっと調子に乗りすぎたみたいだ」
「……」
「嫌いに…ならないでくれ」
月明かりの中、水谷は俯いてしまって
その表情はよく分からなかった。
「…何言ってんの。嫌いになるって…そんな訳ないじゃないか」
「傷つけてしまったんじゃないかと思ってた」
「うれしかったよ、傷ついてなんかないよ。オレこそ、逃げてごめん」
顔を上げた水谷は照れたような笑顔で、
その笑顔がすごくうれしかった。
「うれしかったって…何で」
「それは…上手く言えないんだけど」
「水谷?」
「オレ、ずっと自分の中で膨れ上がって持て余している感情があって、
持っているのが辛くて、でも失くしたくはなくて。
自分がバカなのは分かってるけど、それでも失くしたくはなかったんだ」
抑揚のない声で紡ぎだされる言葉は、
オレにとってどういうことなのかはよく分からないけれど。
それがどう「うれしかった」という表現に繋がっていくのかも
まったく分かっていなかったのだけれど。
「失くしたくなけりゃ、持っているしかないんじゃないか?」
「うん、そだね」
「自分の気持ち、自分がちゃんと受け止めてやんなくてどうすんだよ。
どんな自分でも自分だからな」
「……うん」
「オレが代わりに受け止めてやれればいいんだけどな」
そう言葉が出た。
いつも明るく見える水谷にもいろいろ抱えているものがある。
もしそれをオレにでもいいから出すことができて、
少しでも楽に慣れればいいのになと思う。
不意に2人の間の空気が揺らいだような気がした。
繋いだ手から震えが伝わってくる。
水谷は泣いているようだった。





空いているもう片方の手で、水谷の柔らかい髪を梳いた。
「泣くなよ。……笑ってくれよ。
自分の中で抱え切れなくなったら、
その時はオレも一緒にお前の気持ち抱えてやっからさ」
「……うん」
水谷は何度も何度も頷く。
「ありがとう巣山」
そう言いつつ、涙を腕で拭いながら
水谷は再び笑顔を見せてくれた。








泣き顔よりも、やはり笑顔がいいなと
オレは思っていた。
太陽の光を優しく白さに変えて纏う、
昼間の白い月のような笑顔が見たかった。
優しく光る、その笑顔が見たかったのだ。





彼の笑顔を失くさないために、
オレにできることは何だってしてあげたいと
思うようになっていた。








しろいつきを、
再度近くに置きながら。





















しろいつき

ひかる







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2007/1/3 UP