泣かせたかった。
水谷を。














『うそつき』










水谷が熱を出して、5日間も学校を休んだのは
冬待ちの季節だった。





見舞いに行って、オレ、巣山に向けられた水谷の潤んだ瞳に
意識はずっと囚われたままだった。
熱い手に触れて、感じた熱を胸の奥まったところに溜めて
水谷と会わない数日間を過ごした。
野球部内もやけに静かで、あいつの持つ明るくて
柔らかいムードがこの場の空気を和ませていたんだな、と思う。
かき回しても、いたけれど。





高い熱で消耗したのか、やっと学校に出てきた水谷は
その細い身体をますます細くしているようだった。
「大丈夫なのか?」
朝練の時に声を掛けると、口元を緩ませて笑った。





昼間の空のとおくにひっそりと存在している
薄い月の様に笑った。
白くて薄くて、空が透けて見えそうだった。












昼休みに購買でばったりと水谷に会った。
「巣山、いいとこに来た。はい」
渡されたのはブリックパックのりんごジュース。
「お、ありがと」
「りんごたくさん食べたよ。巣山のお見舞い、うれしかったよ」
「そうか。元気になってよかったな」
「うん」
ふわりとした笑顔は変わらない。





いつものように明るくて、いつものように笑顔だけど。
あの時握っていた手はまだ、熱いのだろうか。





確かめてみたくなる。





オレは手を伸ばして
自分用のジュースを抱えている水谷の手に触れた。
熱さは感じなかった。
ゴツゴツしているオレの手とは違う、柔らかい感触だけがあった。
驚いたのか、水谷はびくりと震えて一歩後退る。
目だけは大きく見開かれて、オレを見つめている。
そして一拍置いて、口を開いた。
「…オレ、熱、けっこう高くてさ」
「ああ、うん」
「せっかく巣山来てくれたのに、話したこととかあんま覚えてないんだ。
もしかすっと、バカなこと言っちゃったりしちゃったりしたかもしんねぇけど、
忘れてくれていいから。ごめんね」
「え」
水谷は自分の言いたいことだけ言って、
踵を返して、去っていこうとする。
「水谷っ!ちょ、待て!」
名を呼んでも、振り向きもしないで駆け出したので、
慌ててオレはその後姿を追いかけた。
まるで逃げるような水谷の態度に、苛立ちを隠せない。





なんで逃げるんだ。
なんでオレから、逃げるんだ。







校舎の中に飛び込んで、特別教室棟の階段を駆け上がる。
屋上に続くドアの前で水谷に追いついた。
ドアに背を預け、大きく息をついている。
病み上がりなのを忘れていた。夢中で追いかけてしまった。
震える声で、こちらに問うてくる。
「なんで、追いかけて、くんの」
「…ってお前が逃げるからだぞ」
思い余って掴んだ手も震えていて、どうしたのかと思う。
「ごめんね」
謝りながら目を細めて笑顔を作る。無理に作る。そう見えた。
「あの時はあんなに熱かったのに」
「巣山」
「お前、嘘つきだな」
そう言うと、水谷は笑顔を歪めた。
大きな瞳には涙が薄っすらと浮かんでいた。






もっと泣かせたい、と思ってしまった。











ブリックパックは床に落として、
水谷の細い肩を両手で掴んで、軽く揺すった。
俯いて、黙ったまま何も言わない。
「本当は覚えてるんだろ?
熱のせいで何にも覚えてないなんて嘘なんだろ?」
荒げる声に比例して、気づかぬうちに手に力が入る。
「巣山…や…」
涙目で小さく首を振っていた。
「水谷」
「…意地悪」
「お前、嘘つくなよ。なかったことにしてしまうなよ」
本当に覚えてないのなら、あんな風には謝ってはこないはず。
オレはくやしかった。
何を隠そうとしているのかは知らないが、
あの時の手の熱さも、心惹かれた水谷の涙に濡れた瞳も、
そのすべてを否定されたようで、くやしくてたまらなかった。
「ごめん…」
零れた涙とその言葉に、衝動は止められず、
そのまま腕を水谷の背にまわして抱き寄せた。
「覚えて、いるんだよな」
「……うん、ごめん」
「バカなことなんて、お前はしてないし、言ってもいない」
「……ありが、と」
「泣いた顔、見せて」
「っ、や、やだ」
「見せてくれよ。減るもんじゃなし」
水谷はオレの肩に顔を埋めながら、
引き剥がされないようにしがみついていた。
「なんでそんなの見たがるんだよ」
そう小さく言葉を零した。
うれしくなってしまって、知らず知らず顔が綻ぶ。









オレは変わってるのかな、と思う。




同じ男の、それも友達である水谷の
見舞いに行ったときの泣き顔が
今見せているその泣き顔も、とても可愛くて。






だから余計泣かせたくなってしまったなんて。













水谷を引き剥がして、可愛いだろう、
その泣き顔を見たいとも思うし
逆にこのまま、腕の中に置いておきたいとも思う。






昼休みも残り僅か。
しろいつきを掴まえている。










さて、どうしようか。

























うそつきな

しろいつき





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2006/9/11 up