その熱は
何処にゆくのだろうか














『ねつのゆくえ』










だんだんと冷たくなっていく秋の風に、
坊主頭じゃ真冬は寒いだろうなと
そんなことを考えながら、オレ、巣山は
朝の早い時間に自転車を走らせる。
夏のときのように、とんでもなく早い時間ではないのだが
それでもほぼ毎日朝練はあって。
夏は終わっても、冬が近づく秋の終わりでも
また来年に向かって野球でいっぱいの日常は続く。














そんなある日、水谷が風邪で学校を休んだ。





熱がかなり高いらしく、連絡を受けた主将である花井が
代表でその日お見舞いに行った。
オレは『ゆっくり休めよ』と携帯メールを水谷に入れた。
『ありがとう』と一言だけ返ってきて、
それがいつもメールには花を咲かせる水谷らしくなく、心配になる。
グラウンドも今日は静かだ。
空を見上げても何処にも月は見えなくて、落ち着かない。





月を探す。
青い空でも、闇に落ちた後の空でも。
探している月が視界の何処にもないことを確認して、
それでも何度も空を見上げた。
やはり、落ち着かない。












そして翌日も、水谷は風邪で学校を休んだ。





だから会いに行こうと決めた。
見舞いというのは口実で、
オレはただ、水谷に会いたかったのだ。









ミーティングの日だったので、一度家に帰り
帰ったら親に、親戚から箱で送って来たという
たくさんのりんごを持たされ、オレは水谷家を訪れた。
水谷の親には、うちの親からちゃんと連絡が行っていたらしく
すぐにりんごの摩り下ろしを、暖かい緑茶と一緒に渡された。





水谷の部屋の前に立ち、ノックをする。返事はない。
眠っているのかな、と思いつつドアを開ける。
部屋の奥に置いてあるベッドに水谷は眠っていて、
その寝顔がひどく赤いのが、ここから見ても分かる。
机の上に運んできたトレイを置く。
まだ熱が高いのだろうか。
傍に寄って、立ったままで水谷のその赤い頬に指先で触れる。
熱を感じて、すぐに離した。
「水谷」と名を呼んだ。
水谷の瞼は緩やかに開かれて、すぐに驚いたような表情に変わる。
顔の赤みは増したような気がする。
「…す、やま」
「おう」
「どう、して」
「見舞い。大丈夫か?」





髪はボサボサで、熱のせいか少しやつれた様子で。
それでもなんとか水谷は体を起こした。
額にはペンギン柄の冷え冷えシートが貼ってある。可愛い。
「インフルじゃないらしいんだけど、熱、なかなか下がんなくて」
そう言って、ベッドサイドにあったペットボトルのスポーツ飲料を
やっとのことで一口飲んでいた。辛そうだ。
「見舞い、ありがと。うれしい、よ」
いつもの笑顔をこちらに向ける。
「花井は熱が高いからもっと落ち着いてから見舞いに行けって
みんなには言ってたけど…、親が行け行けうるさくってな。
親同士仲良すぎだよな。事情がどこまでも筒抜けだよ」
「うん」
本当は自分が会いたかったくせに、と意識の何処かから声がする。
「りんごたくさん持ってきたんだ。摩り下ろし、食べれるか」
「ありがと」
オレが持っているりんごの摩り下ろしが入っているガラスの器を
水谷は取ろうとしたが、その危なっかしい手つきに待ったをかける。
「お前ふらふらしてんじゃないか。ほら、食べさせてやっから口開けろ」
「え」
「ほら」
「オレ…子どもじゃないんだけど」
「お前ってオレの弟と同じようなコト言うんだな。病人ががたがた言うな」
オレの勢いに圧されたのか、水谷は黙り、
恥ずかしそうにしていたがやっと口を開いた。
何照れてんだ。
小さなスプーンで滑らかなりんごを掬っては、水谷の口へ運ぶ。
あんまり美味しそうなんで、一口自分の口へも放り込む。
甘いものはかなり苦手だが、このさらりとした甘さは嫌じゃなかった。
「あ、バカ、巣山」
「ん?」
「スプーン。風邪、うつる」
「うつしたら、早く治るかもな」
そう笑いながら言ったら、水谷はただでさえ赤いその顔を
さらに赤くして俯いてしまった。
水谷のそんなトコが妙に可愛くて、オレはついつい遊んでしまうのだが。
「美味いか?」
「うん…おいし…」
そう水谷が目を細めて呟くのを聞いて、来てよかったとオレは思った。
会えてよかった、と思った。





水谷を再びベッドに寝かせて、オレも傍に座って
ミーティングの内容やら、連絡事項を伝える。
小さく頷きながら、こちらを見るその水谷の視線に
離れ難いものを感じていたのだが、
熱が高いのにこれ以上長居するのもどうかと思い、
「お大事に。早く元気になれよ」と言って立ち上がった。
最後にもう一度触れたくなって、手を伸ばす。
次の瞬間、熱を感じた。





オレの手首を、水谷が掴んでいる。
熱い指。
見ると潤んだ瞳をしていて、瞼が微かに震えていた。
水谷の唇は動いて何か言葉を発したが、息だけで声にはならず
何を言ったのかは分からなかった。
「……熱いな」
「すやま」
「熱いよ、お前」
オレは再びその場に座りなおす。
離れていこうとしていた水谷の指を掴まえ、優しく握った。
「傍にいるから」
「……」
「いてほしけりゃ、ちゃんといるから。だから…泣くなよ」
水谷はその目に涙をいっぱい溜めて、
何も言わず、オレをただ見つめていた。













秋の月は
日々冬に向かって吹く風に
あんなに冷やされているようなのに。




月のように柔らかく笑う水谷の
今握っている手は指は熱くて
その熱は自分の内に
緩やかに流れてくるようで。





その熱さをオレはいくらでも受け止めようと
水谷の、熱いその指を握るオレの手に
ただ、力を込めた。








熱は少しずつ溜まっていくのだろうか。
何処に?
それは、何処に?


















月はあった。
オレの探す月は確かにここにあった。





その月はオレの傍で
こんなにも熱かったのだ。



















しろいつき

あつくて






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2006/7/20 up