忘れ得ぬ記憶と重なりつつも
春の終わりの空色を背景に


その花は
ここに在る











『紫木蓮 2』










季節は春から初夏に緩やかに移ろうとしていた。
風だけはまだ十分に春の名残があって、木々を揺らして強く吹いていた。
空を見ると薄めの雲が流れている。
雲を流すほどの強い風が高い場所にはあるのだろうか。
世界を覆う空の色は爽やかに青く、その色を背景にして花は在った。



田島は道端に立って、家の近所にある和風の大きな家、
その塀の向こうに見えている花をつけた木をただ見上げていた。
その花には名がなかった。
種類としての「紫木蓮」という名はついていたけれども、
固有の名は持たず、田島はその花をどう呼んでいいか分からなかった。
呼びたい名はあるのだが。
「花井」と呼びそうになるのを、喉の奥で押し留める。






花は「花井」ではない。






花井と同じような雰囲気を持っている花である。
そのどちらにも「好き」だという気持ちを田島は抱えている。
存在は同一では有り得なく、それぞれに。
花井をこの場所に連れて来て並んだところを見て、
似ているから好きなのだと分かってしまった。
どちらも好きで、田島にとって大切だった。




風によって一斉に花弁が揺らされるのを見る。
その優しく揺れる様に田島は涙が出そうになった。
揺れて揺れて、花井が笑うように揺れて。
花井の笑ってる顔が好きだ。
こんなに似ているのに、存在を重ねるような気がして「花井」と呼べないのなら。
「こっそりと『梓』って、お前のこと、呼んでもいっかな」
返答は勿論なかった。
それでも否定はされていないと感じて、「梓」と再び小さく小さく声を出す。
花井に対して呼べない名を、大好きなもうひとつの存在に名づけてもいいだろう。
「……梓、だいすき」
言ってしまったことで、余計にうれしくなって田島は笑う。
塀に邪魔されて木を抱き締められないのが非常に残念だった。




「田島」
声と、頭に掌の乗る感触があって、慌てて振り返った。
「うお!花井!!」
もしかして告白を聞かれてしまったのだろうかと、らしくもなく焦る。
「なーに、ブツブツ言ってたんだ?」
空いた方の手にはコンビニ袋をぶら下げている。
中身は頼んだアイスだろう。
ブツブツの内容までは聞き取られてなかったらしい。
「お前が花を見ていたいっつっから、1人でコンビニまで行ったんだからな。
ずっと見つめて笑ってるなんてな、ほんとにこの木蓮が気に入ってんだなあ」
「花井に似てるから好きなんだよ」
「だから外でまであんまり好き好き言うなと言ってんだろが」
照れて頬を染めた花井は、「梓」にその色までも似てくるようで。
「もう花もぼちぼち終わっていくから、その前にも一度だけ会いに来たかったんだ」
「ん、そうだな」
「花井とはずっと一緒にいれるけど、
花をつけたこの木にはこの季節にしか会えないんだもんなあ」
「ああ」
「オレ、花井にぎゅーってしたい。抱きついていい?」
横に並んでいた花井との距離を更に縮めて田島は一応お伺いをたてる。
「ここではすんな」
「ちぇー」
「……お前ん家、帰ってからな」
目の前の紫というよりは桃色に近い花弁のように色づいた花井の頬と、
田島が大好きな、空に映える笑顔がそこに在った。















大好きな木に、その花に、
田島が花井を連れて会いにいったのは、彼の誕生日の翌日だった。
「紫木蓮」という名の木なのだとその時に知った。
どちらも好きだった。
素直に「好きだ」と言葉にしたら、
少し時間を置いてちゃんと同じ言葉を返してくれた。
花井の笑顔が当たり前のように自分の傍にあって、
田島はこの上ない幸せを感じていた。






それからしばらく経った頃の、話。






END















花井、お誕生日おめでとう!
この話の田島がとても好きです。







2008.4.28 up
(2008年4月28日花井お誕生日記念SS)