今宵は、まだ長い。










『Birth』











肌に感じる風の冷たさが、本格的な冬の到来を実感させていた。
広がる木々はその葉の色を変化させ、世界をただ鮮やかに染め上げている。
微かなる音を立てて葉は舞い落ちて、地にも彩を広げていく。
そうして、緩やかに季節は替わる。





あれは11月に入ったばかりの頃の、休み時間で場所は廊下だった。
「誕生日のプレゼントは何がいい?」とオレ、泉に向かって浜田が訊いてきた。
普段が普段だから誕生日くらいはと、つい本音を漏らしてしまった。
「物はいらない。……浜田の傍にいたい」
小さな声で、呟くように言ってみる。他の誰かに聞かれないように。
「うわ、そんな素直でどうしちゃったの!泉!」
なのに浜田が大声で叫んだから、向こう脛を思いっきり蹴ってやった。
注目浴びまくってんじゃねーか!も少し空気読みやがれ!と、頭に血が上る。
浜田は痛さに後退るが、無視して教室に入り自分の席へ戻った。
熱を持っているような頬を両の掌で押さえる。
浜田はすぐに追っかけてきた。
「誕生日に2人っきりでパーティしようよ」
今度はそっと耳打ちしてきた。
誕生日当日の夜は家族と焼肉パーティになるから無理だと言ったら、
では前日からお泊りで一緒にいようと持ちかけてきた。
浜田の家にはちょくちょく遊びに行ってはいたが、
親が迷惑をあまりかけるなとうるさく言うので、泊まるのは本当に久しぶりだった。
黙って頷くと、浜田があんまりうれしそうに笑うので、
オレは自分の内の熱を持て余しながらも、目の前の笑顔を暫しそのまま見ていた。




西浦に入って、初めて迎える自分の誕生日だった。
浜田が一足先に中学を卒業してからはしばらく遠ざかっていたが、
運命のいたずらなのか今年クラスメイトになってしまい、
再び幼馴染としての付き合いも復活して心地良い日々を送っていた。
援団を浜田が作って野球部に関わり始めた頃から、
取り戻した2人の距離より更に近付きたいと思うようになり、
それはいつからか「好き」という気持ちに変わっていた。
余りにも穏やかな変化に最初は自覚していなかったが、
浜田に告白されたのが秋の初めで、その時にやっと気が付いた。
だが野球三昧の毎日で、日々は慌しく過ぎていく。
たまに交わす口付けと抱き締め合う時の浜田の体温に、
その優しい関係に、自分の気持ちはずっと穏やかだった。




おでんが食べたいと言ったら、その夜はおでんパーティをすることになった。
ケーキはチーズケーキ、飲み物はカモミールティーでと指定もした。
浜田の作るものは何でも美味しくて、あんまりリクエストをしたことがないけれど、
やはり誕生日だけは特別だと思う。
せっかくのプレゼントの代わりなんだから、我儘をちょっとだけでも言いたかった。
心は躍る。
誕生日を迎えるのがこんなに楽しみだなんて、ガキの頃以来だ。
少しくらいは素直でいようとオレは思う。
もちろんそんな気配なんて微塵も浜田には見せないけど。










待ちに待った11月28日の夜になった。




夕方から降り出した雨は夜になるにつれ、その強さを増していく。
雨でも放課後の室内練習はしっかりと行われていた。
明日の天気予報は雨で、話し合いの末、野球部の朝練は中止になったと、
室内練習の後に主将である花井から連絡があった。
少しでも長く浜田といれる、そう思うとうれしかった。
一度家に寄って、明日の準備をしてから来たので
随分と遅い時間になってしまった。
外は土砂降りの雨だった。
「だーっ!家からの5分の間に濡れたっ!」
ドアを開け放ったまま叫んだら、
浜田の姿がちょっと奥から覗いて、すぐにタオルが投げられた。
「泉!風呂沸いてっから!」
「おう」
バスルームに駆け込み、息をつく。
家中におでんの気配があって、音も、匂いも。
お湯をたっぷり張った湯船につかって、身体も心も温まる。
うれしさを抱えて、緩む頬が止められなかった。




「うわー……、すげェな、これ」
居間のこたつの上にどかんと陣取っていた、
仕切りがあって四角い、卓上の保温用おでん鍋を見てオレは目を輝かせる。
「たぶん親が前にどっかでもらってきたもんだとは思うけど……。
1人でおでんはつまんねーから、しばらく仕舞いこんでたんだけどな。
これ、鍋自体をコンロで直火にかけられるんだよ。
こっちの底の部分にヒーターがついていて、熱々のまま食べられるんだ」
「へー」
テーブルの上にはおでんだけではなく、泉の好物のメニューが並ぶ。
チーズケーキももちろん置いてある。小さなロウソクが立っていて。
ロウソクは数えるとちゃんと16本あり、それがとてもうれしい。
ほんの短い期間だけだが、浜田と同じ齢になる。




火の点いたロウソクを見事に1度で消しきった。
パチパチと斜め前から浜田の拍手の音がする。
こたつに向かい合って座っているわけではなく、オレの左斜め前に浜田は居る。
手を伸ばせば、触れることのできる距離だ。
ジュースで乾杯して、おでん鍋のフタを開ける。
いろんな具が入っていて、どれから食べようかなと順番を考え始めた。
こんなにたくさんオレのためにしてもらって、
もちろんうれしくはあったのだが、準備が大変だったんじゃないかと思う。
「1日早いけど、お誕生日おめでとう」
「あ、ありがと……けどさ」
「けど?」
浜田は首を傾げてる。
オレはその目を真っ直ぐに見ることができずに俯いた。
「……こんなご馳走いっぱいで。お前に無理させてないかオレ?」
「馬鹿だな」
長い腕が伸びてきて、オレの頭を無造作に撫でた。
「喜ぶ顔を見たいから、プレゼントってのはするもんなんだよ。
素直に喜んでくれたほうがうれしいよ」
「……うん」
「それにおでんとケーキ以外はお前ん家からの差し入れだよ。
折角なのでおでん少し持って帰ってもらった」
その言葉に驚いて顔を上げる。
「ええっ!マジか!?」
「『不束な息子だけど、孝介をよろしくね』って言われちゃったよ、どうしよう。
明日の焼肉パーティにも呼んでもらっちゃったんだけど」
「……あ、あの親は……」
何をやって、何を言ってるんだと恥ずかしさで頭を抱えたくなる。
照れくさそうに笑っている浜田を見て、オレも笑顔になった。
もう数時間後にはほんとの誕生日で。
年に1度くらいはこんなに素直な自分でいるのも、悪くないかもしれない。
「ありがとう」と再び言った。











ケーキも美味しく戴いて、食べ終わった分を2人で片付けて、
何杯目かのカモミールティーを飲みながら、浜田が風呂から上がるのを待つ。
まだ日付は替わってはいない。夜は思ったより長い。
心臓の音がうるさいくらいに鼓膜より内側から響いていて、それがいやに癇に障る。
雨の音より響いているような気がする。
オレはぱたりとこたつの天板に突っ伏した。
睡魔が身体の内のどこからか誘うけれども、このまま眠ってしまうのはさすがに勿体無い。
それでも睡魔に負けて意識を手放そうとした時だった。
「泉」
いつの間に来たのか浜田の声がして、急に身体に腕がまわり、後ろから抱き締められた。
「ちょ、浜田、髪ちゃんと拭いとけ!」
濡れた髪の感触に小さく身震いし、身体を起こして怒鳴った。
怒鳴ったことで睡魔を蹴り倒し、覚醒する。
「うん分かった」
「……いつも分かってねーだろが、風邪引くぞ」
「泉あったけー」
「温いのはオメーの方だ風呂上がり」
浜田はおとなしく腕を離してバスタオルで髪を拭きながら脱衣所の方へ戻っていく。
その余りの適当さに、拭くのを手伝いたい気もしたが、
追いかけてまではどうもな、と、自分の気持ちはそのまま放置する。
仰向けに寝転がって天井を見上げた。




聞き慣れた足音。
視界に影が差したと思ったら、
大きいミネラルウォーターのペットボトルを抱えた浜田の顔が見えた。
瞬きも忘れたようにその顔を見つめる。
ああ、好きだなあ。
何でこんなに好きかなあ。
揺らぎ始めた視界に不安になって目を閉じた。
ここで泣いちゃうのはいくらなんでもおかしいだろう。
ペットボトルが置かれる音がする。
近付く気配があって、優しく唇が重なった。
涙が零れたのにも、しばらくは気が付かなかった。




唇を離し、浜田はこたつのオレの横に潜り込んで、ペットボトルを開けていた。
オレはまだ転がったままだ。
「何で泣いてんの」
「分かんね」
「分かんねーのか」
「悲しくて涙が出るんじゃねーから、それはちげーから!」
お前が好きだから泣いてんだよ、とか、口が裂けても言えなかった。
どうにかして話題を変えようと思う。
「なあ、来月はオメーの誕生日だよな。なんか欲しいもんとかあんのか?」
してもらうばかりだとさすがに心苦しい。
幸せな時間を浜田にもあげたかった。なので問うてみる。
「そーだなー。欲しいものはあるけど、ちょっと手に入れるのは無理だもんなあ」
「何だよ、それ」
「んー」
「気になる。言ってみろよ」
「……んーとね、今欲しいのは『タイムマシン』」
「はあ?」
「言ってみただけだよ。無理ってちゃんと分かってっから」
「その、タイムマシンに乗って、何処行くんだよ。
過去か未来か、それとも人生どっかいじってやり直したいとか」
軽い気持ちで言ったけれども、人生やり直すことができれば、
浜田はまたオレと一緒に野球が出来るかもしれない。
「泉」
浜田を見上げたままの自分の頬に、指が触れる。
その指は頬を撫で続け、浜田は目を細めてオレを見ている。
「な、何だよ」
「自分の人生はどうでもいいんだけどな」
「じゃあ何処に行きたいんだ?」
「生まれた日のお前に逢いに行く」
浜田から返って来た答えは、オレの予想のどれとも違っていた。




「誕生、おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、って言いに行く」
「浜田……」
浜田の指は動いて、オレの唇をなぞり始めた。されるままで動けなかった。
「その後は毎年のお前の誕生日に時間を合わせて飛んでいく。
1年、いろんなことがあったけど生きててくれてありがとうって、毎年言いたい。
だってそうだろ?
過去が積み重なって、今のお前が……、オレが好きな、今のお前がいるんだからさ。
お前は分かんねーだろうけど、オレはお前に出逢って、
また今年、お前がオレの前に居ることでこんなにも救われてんだ」




浜田の抱えている事情をオレは知らない。
留年した理由とか、1人暮らしになった理由とか、詳しいことは何にも知らない。
噂話のかけらは近所や親からも少しは降ってきてはいたが、
浜田がオレに直接言わない限りは何も信じない。
自分の存在が、浜田にとってどのくらいの救いになっているだろうか。
分からないけれど、生まれてきてよかったと、それだけは思う。
オレも浜田に出逢ってよかったと、それだけは。




「はま、だ」
「まあ、タイムマシンは無理だとしても。
前倒しでくれるんなら、欲しいものはあるかなあ」
「だから何だよ。それを言ってみろって」
愛を注がれるばかりじゃ苦しい。オレも浜田に何か返したい。
長い沈黙の後に、浜田はやっと口を開いた。
「このままお前をちゃんとオレのもんにしちゃいたい。
オレの誕生日のプレゼントは……お前がいい」
それって……そういう意味、だよな。前倒しって……今か。
気付いて、その途端、顔中が熱を持った。
学校の桜の葉のように、真っ赤に染まっているだろう。
戸惑っていると、唇をこじ開けて浜田の親指が入ってくる。
「や、……あ…」
浜田の表情はマジで、否定の言葉を吐けそうにはなかった。
もちろん否定をするつもりもなかった。
オレは浜田の腕を押しのけて、起き上がった。
「ここじゃヤだ」
「……」
「ベッド行くぞ、ほら」
浜田の手を取って、引っ張る。デカイ身体の浜田はそのくらいじゃ動きはしないけど。
「泉、……いいのか?」
なんだか恥ずかしくなって、ただ頷いた。
手は繋いだままで浜田は立ち上がる。
「痛いの、ヤだからな……?」
上目遣いで見上げそう言うと、浜田は「努力する」とオレが大好きな笑顔を見せた。
温かい腕に優しく抱き締められて、その心地良さに幸せをただ感じる。
オレも浜田の背に腕をまわして、力を込めた。
「好き、だ」
「……ほんと、最近やけに素直だねえ、どしたの?」
「誕生日、くらいは、な」
「ああ、もう日付替わったな。おめでとう、泉」




11月29日。
好きなヤツと一緒に居れる、幸せな誕生日。
浜田の誕生日にもこうやって、
一緒に居れればいいなとオレは思った。








今宵はまだ長い。
2人の夜はこれからだった。









END








*
「浜泉誕生祝企画」さまに参加させていただきました作品です。
ハマイズでお誕生日話をちゃんと書いたことがなく、
楽しく書かせていただきました。










2008.1.6 up