見えない月を 彼は見ている 『朔』 |
月はいつも空に見えているというわけではない。 太陽の光を浴び、光の当たるその太陽との位置関係で、 地上から見える姿を変えていく。 白道を横断していく月が天空の頂に登る時間は様々であり、 月の姿を視界に入れることができる時間は限られている。 空を見上げる現在の時間に、 月がそこには無いだけかもしれない。 それとも、やはり在るのか。 どんなに巣山が目を凝らしても、空に月は見えない。 段々と闇が世界に広がって、ところどころに薄く流れる雲が影を更に加えていく。 なのに傍にいる水谷の視線は西方の空のある一箇所に固定されていて、 それが巣山には「何かを見ている」としか思えない。 水谷が立ち尽くしたまま、暫しの時間が過ぎる。 「何を、見てるんだ?」 胸に巣食う予感を置き去りにしたまま、訊いてしまった。 彼が答えれば、予感は現実のものとなるだろう。 「つき」 巣山がいる方に顔を向けつつ、空を指差す。 薄い雲が月の光を隠しているわけでもないようだ。 指差された空には月などどこにもなかった。 視線を戻して、水谷は微笑む。 その笑顔はどこに向けられているのだろうか。 「帰ろう」 巣山はそう言って、水谷の手を取った。 何処へもいかないように、そして離さないために。 もしかすると、 朔日だったのかもしれない。 所謂新月の日のことで、 太陽と同じ方向に月はあり、その存在は隠されている。 おそらく月は何処からでも水谷を見ているし、 水谷も見えない月をきっと見ている。 お互いは見つめ合っている。 巣山は水谷を誰にも渡すつもりはなかった。 やっと、やっと手に入れたのだから。 だがまさか、 月が恋敵だとは思ってもみなかったのだ。 |