いちばんほしかったものは
てにいれたんだ











『雫の詩(うた)』










寝ている巣山の胸に、涙の雫を落とした。





一粒落とした。
その筋肉質の身体に良く似合う
ランニングシャツの生地に
その雫は滲みこみ、吸い取られていった。





音も無く、二粒、三粒と落として。
落ちていく雫を水谷は見つめていた。





真夜中に。
部屋の中には闇が充満していて。
窓の外では、雨も落ちていて。





眠っている巣山の身体の脇に手をついて
顔を上から覗き込んで、水谷は泣くのだ。












境界線はとうに越えてしまっていた。





溢れ出るものを堰き止めることはできない。










「すやまぁ…」
一緒に言葉も落とした。
愛しい人の名まえは声になって
雨音だけが響く空間に、落ちて転がっていく。





「…文貴。また泣いてるな」
そう言われたと思ったら、背中とうなじに手をまわされて
水谷は巣山に抱き寄せられていた。
重なった肌の暖かさに、耐え切れず嗚咽が漏れていく。
「起こして…ごめん」
「泣き虫だからなあ。オレの大事な水谷くんは」
「ばか」
「事実だろ。いくらでも泣いていいぞ。涙ごと全部オレのもんだから」
なんで巣山は聞いてても恥ずかしい台詞を投げかけてくるんだろう。
出逢った高校生の頃には、まだ巣山は坊主頭のいかにも野球少年で
とてもこんな台詞を吐くようなヤツには見えなかったのに。
あの頃から季節は巡り巡って、
水谷はもう野球をやってはいなかった。
巣山の髪は短めに刈り揃えてはあったけれども、
坊主頭ではなくなっていた。












既に思い出になってしまった、あの光る世界は
2人を取り囲んで、確かにあったのだ。





その中でも
一番大切なものは手に入れることができたから
他には何もいらないんだ。





言い訳でもなく、それは本音で。












「オレをあんまり甘やかしちゃ、だめだよ」
巣山の唇に小さなキスをひとつ落としながら
水谷は言う。
「なんでだ?オレは甘やかしたいよ。甘えてるお前が好きだからな」
「だって…お前と離れると、生きていけなくなっちまう」
「離れる、って、なに」
半音だけ下がった巣山の声に、水谷は答えないまま身を竦ませる。
身体を優しくではあったが引き剥がされて、巣山の左横、
大きいベッドの柔らかめのマットレスに身を沈ませる。
突然湧いたさみしさに指を泳がせた。
巣山は水谷の首の下に腕を滑らせる。
腕枕をされる格好になって、うれしくて、少し恥ずかしくて。
ぎゅっと目を閉じたら、涙がまた流れた。







大体何故、水谷は泣いているのだろう。
自分でもその理由はよくは分かってはいなかった。
分からないまま、雫は零れて落ちる。
心から何かが染み出して、雫となって落ちるのだ。







巣山は空いたほうの手で、水谷の髪を何度も梳いた。
「なあ、文貴」
バリトンの声は優しく部屋に響いた。
雨の音とはまた違う音階を持っていて、水谷の鼓膜を震わせている。
「オレはな、お前に出逢って人生が変わったんだよ。
分かってないだろ。オレがお前のことがどのくらい好きなのか
全然分かってないだろ。
ずっとお前が欲しくて欲しくて、やっと手に入れたのに。
離れることなんて考えるなよ。お前はオレのもんだ」
「……」
瞼をそろり上げると、巣山が真っ直ぐこちらを見つめていた。
その瞳の色が、水谷は好きでたまらなかった。
「どうしようかと思うくらい、惚れちまってるんだよ」
「…うん。知ってるよ」
「このままここに閉じ込めてしまいたい…」
「閉じ込められたい気もしちゃうけどな」
「でもそれはできない」
「なんで」
「それはお前の幸せにつながらない。そんな愛し方はしたくない」
水谷にとっては、もう巣山しかいらなかったのに
巣山はそれではダメだというのだ。
「じゃあ…どうすれば、いいのかな」
「答えは簡単だ。一緒に歩いていくんだ」
「簡単に言うなよ。そんな簡単じゃないよ」
目の前にある大きな胸にしがみついて水谷は首を振った。
「…オレと一緒に生きていくのは、イヤか?」
さらに首を振った。
「オレを拒むなよ」
掠れた声が届いて、返事をしようとした水谷の唇は
巣山に何度も啄ばまれて、声も、流れてきていた涙も吸い取られていく。






「離れたら生きていけなくなるのは、きっとオレのほうだ」
「……すやま」
「好きだ」
「へへ…オレも、オレも好きだ」
涙はいつまでも止まらない。でもうれしくて笑顔になった。
その水谷の表情を見て、巣山も笑って、言った。
「泣きながら笑ってんじゃねぇよ。そんな可愛いとまた襲うぞ。
もう寝てしまうんだな、明日も早いし」
「……すーやま」
とろりと睡魔が水谷を支配していく。
巣山からのやさしいキスを受けながら、水谷の意識は雨の音と共に
静かに夜の闇の中に落ちていこうとしていた。










流れ落ちていった涙の雫は
何処へ行ってしまうのだろう。





巣山の心に滲みこんでいけばいいなと
水谷はそれだけを思って眠りについた。














あれは全部が
「愛しい」という名の気持ちだろうから。





巣山への愛しさは溢れて、
雫となって落ちていくのだ。























いちばんほしかったものは
てにいれたんだ




もういらない




ほかには
なんにもいらない










ほしかったのは
すやまだけなんだ


















シリーズ「In this Room」
(続きがあるのかはまったくの未定…)


12121キリリク作品
由岐さまにキリ番をゲットしていただきました。
リクエストは「砂吐くほど甘い巣水」でした。
砂が吐けるかどうかは分からないのですが
糖度は高めてみました(笑)
リクエストありがとうございました!!



BGM : Every Little Thing 『雨の鳴る夜、しずくを君に』








2006.9.4 up