まなざしのあたたかさが
春のようだ








『菜の花』










日本で「花」といえば桜を差すことが多いが、
春の花は桜だけではないと思う。




その花は、水谷が好きな桃の花と一緒に活けられていた。
西浦高校には年配の女性で、
フラワーアレンジメントやら生け花やらを趣味としている教師がいる。
校長室前に腰高の木で作ってある台がひとつあり、
花器を置き、彼女による季節の花がいろいろと活けられていて、
玄関などに置いてある大きな花瓶のたくさんの花と共に皆の目を楽しませていた。
今は黒く光沢のある平たい陶器の花器、その奥に数十センチほどの背丈の花桃が数本と、
手前には春に相応しい鮮やかな黄の色を持つ、
野で見るよりはずいぶんと短く切られた花がひと固まり在った。
相対的な見方をすれば1種ではなく、
それは「菜の花」とアブラナ科アブラナ属の花の総称で呼ばれることが多い。
いくつもの花桃の木と並んで菜の花が一面に咲いている、
そんな幼いころの記憶も探せばどこかにあるような気がする。
水谷は人当たりの良い、柔らかい笑顔の栄口の姿を思い浮かべる。
自分が花桃に似ているというのなら、菜の花は栄口の印象がある。
その2つが一緒の花器に活けられているのがうれしかった。




大気を通す光は鮮やかさを、そよぐ風は柔らかさを含んでいて、
季節はもうしっかりと春だった。
今年は桜の開花も南の地方では始まっており、例年よりは時期が早めだ。
3月も終わりに近付いている。
水谷や、西浦高校野球部の面々も2年生になろうとしていた。









闇に薄く雲は広がり、「菜種月」と呼ばれる春先の朧月が世界の天辺に浮いていた。
夜も遅く練習後の帰り道。
コンビニ、CDレンタルショップを経由して、
そこで皆と別れた後も店の裏側、駐車場のそのまた奥に自転車を停め、
別れがたさを抱えて水谷と栄口はその場で話し込むことが日課になっていた。
心にも身体にも野球が染みている人生の中で、その毎日の中でほんの少しだけでもいい、
たとえ数分でも願わくばもっともっと長い時間を栄口と2人で過ごしたかった。
メールも電話もするけれどそれだけじゃ足りない、更に温もりを求めたい。
「デートしようよ」と、水谷は栄口に向かって言葉を投げかける。
「うん、したいなあ」と栄口からはあっさりと返って来た。
「しようよ」と簡単に言えないのはよく分かる。
毎日2人でいられる割には2人きりになるのは難しかった。
野球漬けの毎日に不満があるわけでは決してないけれど。
闇に紛れてこっそりと繋いでいた手に力を込める。




「水谷」
名を呼ばれて反射的に顔を上げたら栄口に頭をぽんぽんと軽く叩かれる。
「どっか行きたいトコでもあんの?ん?」
優しい言葉と大好きな笑顔に水谷は目頭が熱くなっていく。
ふにゃりと表情を崩した水谷に、栄口は更に言葉を重ねていった。
「次の試験休みになっちゃうけど、って5月か。その時どっか行こっか?
2人で勉強するって周りには言ってさ」
「今の時期が、いいな。無理だけど、簡単に行けないって分かってっけど」
「どこ?」
「……フラワーパーク」
「桃の花か!そうだよな、今が一番いい季節だもんなあ」
自分たちが住んでいる市からは少し離れているが、
埼玉県の南東に四季折々の花が咲いている自然公園がある。
花桃が咲く時期にはお祭りがあっていて、
水谷は子どものころに何度か連れて行ってもらった。
何連かに連なった大好きな花桃の木の一群を見ては、
目の前に広がる春の情景にいつも幸せな気持ちになっていた。




「菜の花もたくさん、花桃の傍に咲いてるんだ」
「……なのはな?」
「オレが花桃に似ているというなら、栄口は菜の花だよ」
水谷は周囲に人がいないことを確認してから、繋いでいなかったもう片方の手で、
一瞬だけではあったけれども栄口をきつく抱きしめて離した。
そして再び顔を近づけ、小さな小さな声で水谷は栄口の耳元で囁く。
「あったかくって優しい。春の光のようで、好きなんだ」
「ばっか!お、おまっ……」
店から漏れる明かりは2人の立つ位置にまで微かに届いていた。
栄口の顔が真っ赤なのが分かって、水谷はうれしくなる。
「栄口と、一緒に見たかったなあ」
「見ればいい」
頬に赤みをまだ残しつつ水谷を真っ直ぐに見つめて言いきった、
そんな栄口の顔を思わず見返す。
「いつか、……そう、野球部を引退してから、高校を卒業してからでもいいじゃないか。
今は無理でも、絶対一緒にこの時期に花たちを見に行こう」
「さかえぐちぃ」
栄口から自分に向けられるまなざしは、いつもあたたかい。
それだけじゃない。
掛けられる言葉も、繋いだ手も何もかも。
氷の塊のように自分が心の奥底でこっそりと抱えている不安も、
そのあたたかさで溶かしてくれないだろうかと思う。
栄口は水谷の頭をこんどはゆっくりと撫でた。
「毎年ちゃんと、桃も菜の花も咲いているよ。
大丈夫、オレたちはずっと一緒にいるから、お前とは絶対に離れないから。
……って、痛い、水谷痛いって!」
どうやら繋いでいる手に力を入れ過ぎたらしい。
慌てて離して、だがすぐに栄口の手を両手でそっと包んだ。
俯いて、目を閉じる。







思い浮かべるその情景には、
春の風が吹いていた。




次々に風を抱え込んで揺れる桃の枝。
広がる菜の花畑。
一面の、一面の菜の花。
桃の色も菜の花の黄も、青い空に映えてきれいだった。




幼いころの記憶に、水谷は自分たちの姿を重ねてみる。
いつかその場に立つ、現実になる未来を信じて待ちながら。









永遠というものが、自分がいるこの世界のどこにもないということは、
この年でも、もう十分過ぎるほどに分かっていた。



それでも、今はただ信じていたかったのだ。


















栄口くん、お誕生日おめでとう!











2009.6.8 up