『そこに月は在るか』
(2009年4月6日巣山お誕生日記念SS)










蒼色の空をぼんやりと見ていた。




試験前で2人、ノートの見せ合いをしていた放課後の屋上だった。
淡く白い色だけで東の空にひっそりと在ったらしい満月は、
夜に向かい世界が光を失くすほどに、
ほんの数十秒の間に西の涯に沈む太陽の光を受け取り纏い浮かび上がっていく。
夜と昼との狭間の時間、数秒ごとに変化を見せる空がある。




座り込んで床に投げ出していた手に、何かが触れたような気がした。




小指の先だけに微かに触れる。
たぶん、それは指。
男っぽくがっしりとしている大きな掌と共にある、節くれだった長めの指。
坊主頭に落ち着いた声、そんな彼によく似合っている。
隣に座っている彼のノートを捲る音が聞こえてくる。




僅かな感触を無くさないように、神経を研ぎ澄ます。
視線はあんまりにも空に探した蒼の色に固定されていて動かせない。
広がる薄闇と幾分かは強くなってきた風。
偶然でもいいから、触れていたかった。
だからこちらも偶然を装って、もう少しだけ触れあう指の面積を増やす。
僅かな隙間すら埋めるように小指を寄せた。
光を増した月は動かすことができずにいた視界の端に浮かんでいる。
暮れゆく空を見つめつつ、もうしばらくはこのままで。




微かながら感じる熱量の増加に気がついた。
小指に数本の大きな指が絡められている。
彼の意思がそこにはあるのだろうか。
そうであればいいなと思う自分の期待が膨らんで、
感覚を惑わせているのだろうか。
もしかすると。
もしかすると。
鼓膜の内側から鳴り響くのは心臓の鼓動から派生したもの。
五感の優先は皮膚感覚のそれで、角膜を通す空の色を追えなくなっている。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。




偶然かもしれないじゃないか、触れた指は。
絡めた指すらも。




名を呼びたかった。
けれど喉は嗄れきって、声になるはずの音を失くしてしまっていた。
何処を探したら声が戻ってくるだろう。
夕闇に混じり溶け込んでしまったのだろうか。
呼びたかったのだ。
巣山と、ただその名だけを呼びたかった。
月が輝きを増す、ほんの短い時間。
夜の帳を下ろす静かな時間に、
必死で自分の中のあちらこちらに落ちている勇気を探す。




偶然でもいいじゃないか、触れた指は。
絡めた指すらも。
それでも。




視線は彼の居る方角に向けることが出来ないままで、
それでも精一杯の勇気を出して手をくるりと裏返した。
半分くらい重なった互いの掌は、きっといつもよりは熱を持っているだろう。
ノートを捲る音も、シャーペンを走らせる音も聞こえなくなっていた。
反応の無さに、それ故の恥ずかしさに頬が火照っていく。
目をぎゅっと瞑った。
声を探す、探す探す。
掠れてはいるけれど、落ちていた。




口を開こうとした、その時だった。
自分の手は大きな彼の手にしっかりと包まり、握られている。
痛いと思ってしまうくらいに力を込められていた。



「水谷」



優しい声で、自分の名が紡がれる。
はっきりとそう認識ができる。




重ねられた手の温かさも、
こめられた痛いくらいの力も何もかもがうれしかった。
この身体が震えているのは下がってきた気温のせいではないはずだ。




もう少しだけ勇気を足して、顔を上げたい。
願わくば、今この瞬間、彼が笑顔でありますように。
彼をちゃんと真正面から見つめて、
そして「好きだ」と告げてもいいだろうか。









それを自分は何に問う。




ずっと2人を見つめていた存在が、
今この時ひとつきり在っただろう。




濃くなった闇との対比で鮮やかに光る月はまだ、
まだそこに在るか。












END






巣山、お誕生日おめでとう!





2009.4.6 up