1年7組という、場が好きだった。











『Classmate1』











野球漬けとなった高校1年生という人生の時間において、
花井にとっての1年7組というクラスは、
癒しを兼ねた心穏やかになれる場であった。




野球部の主将である自分と、副主将の片割れである阿部が同じクラスなこともあり、
話し合いなどは1組の栄口を迎えて昼休みの7組で行われることも多かった。
事あるごとに水谷が用もないのにそこに顔を出し、
阿部に煙たがれてもいたのだが。
他のクラスメイトともほどほどに仲が良く、
たまに9組からの乱入組もいるが好意を持って受け入れられている。
担任の教師もその優しい人柄で皆を見守ってくれていたこともあって、
穏やかな雰囲気を持つ、静かなクラスになっていたと思う。




夏の「熱さ」を心の何処かに抱えたままで、
季節は緩やかに移っていく。




冬に向かい始めた時期に、2年生のクラス編成の希望調査があった。
西浦高校では2年になると、理系と文系でクラス分けがある。
花井は得意教科や自分の嗜好を考えてみても明らかに文系で、
そうなると如何にも理系だという感じの阿部とはまず同じクラスにはなれない。
栄口は古典が得意だというし、文系でクラスも同じか、近いだろう。
2年生になってからの野球部の話し合いは、
阿部にわざわざ文系クラスの方まで来てもらってからになるのかと、
そこで花井はちょっとした寂しさを感じていた。
主将副主将、3人そろっての話し合い以外でも、
トレーニングの内容についてだったり、他校のデータの話だったり、
専ら野球中心ではあったが、阿部とは毎日何かしら話をしていた。
思い返せば、出逢った日の3打席勝負からお互いの垣根は半分ほど吹っ飛んでいて、
遠慮なくいろいろ話せる間柄になっていた。












1月も終わりに近づいた寒い冬の日に、それでも埼玉県の上空では大雪にはならず、
土砂降りの雨が降っていた。
ちょうどミーティングの日で、練習にはさして支障はなかったのが幸いだろうか。
マネジの篠岡があちこちから入手し、まとめてくれたデータを阿部と見ようと、
ミーティング終了後7組の教室で待ち合わせをする。
少しの時間モモカンやシガポと打ち合わせをしてから教室へ行くと、
阿部はやはりとうに来ていて窓際後ろから2番目の席で突っ伏して眠っていた。
そんな阿部の姿は7組ではよく見かける光景だった。
教室に残っている者はいないようで、エアコンのスイッチを入れてから、
カバンを放り投げて彼の斜め後ろになる窓から2列目一番後ろの自席に花井は座る。
頬杖をついて、小さく息をついた。
こちらを向いている阿部の寝顔を暫し見遣る。
雨は窓ガラスを激しく叩いて、風とともに世界の揺れを誘う。
この教室は外界からは遮断されていて、
まるで花井と阿部、2人だけの空間のような気さえしてくる。




「阿部、あーべ」
然程には大きくない声で呼びかける。
もう少しその寝顔を見ていたいと思う気持ちに反して、
2人きりでいれる時間の短さに焦れてしまい、花井は阿部を起こすことにした。
手を伸ばし、指先で阿部の背を突く。
肩は微かに動いて、しばらくすると身体を起こし腕を上げて伸びをする。
花井の方を振り返って阿部は言った。
「ワリ、寝ちまってた」
「……なあ、阿部」
「あ?」
手の甲で寝ぼけ眼を擦りつつ間の抜けた返事をしてくる阿部を、花井は可愛いと思う。
「お前にキスしてーんだけど」
花井が抱えていた要望を軽めに口にしたら、
その言葉を向けられた阿部がそれは見事な程に固まっていた。




今思い返しても大きなきっかけとなったのは、3学期の始業式直後の席替えだった。
西浦高校には毎月が席替えだというマメなクラスもあるが、
7組はそういうわけではなく、学期の最初にくじ引きによる席替えが行われていた。
この冬の季節、人気の陽が入る窓際後ろから2番目を阿部はゲットして、
廊下側の端、それも一番前というかなり微妙な席のくじを引いた水谷から、
大層羨ましがられていた。
2人よりちょっと後にくじを引いた花井は窓際から2列目の一番後ろで、
阿部の斜め後ろの席になり、おかげで水谷がひとり拗ねまくる状況になっていた。
懲りずに水谷は昼休みに教室を横断して、花井の横、
窓際の一番後ろをめでたくゲットしたヤツの席を借りて弁当を食べるのが、
ここしばらくの習慣になってきていた。




席が近くにあると数日の間でも、
今まで見えなかったものがいろいろと見えてくる。
阿部は隙間の時間にちょこちょこと、それも授業中にも関わらず、
また授業が始まる直前などにも眠っているため、
花井は無駄にはらはらと心配させられることも多かった。
起こそうと、その時持っている筆記具で背を突くこともある。
人の心配をよそに阿部はのんびりと伸びをして授業に戻る。
野球部内だといつも三橋に怒鳴っている印象があるが、
クラスでは思ったよりも静かで、周りから見ても何を考えてるか分からないらしい。
きっと頭の中は野球関連でいっぱいなのだろう、と花井には容易に想像がつく。
それでも数式が入る余裕はあるようで、数学の成績は自分に比べるとかなり良かった。
数日前は花井が数学で突然当てられた時に、斜め前の席からノートが飛んできた。
助かった、ありがとうと礼を言うと、照れたような笑顔を一瞬だけ見せた。
無口というわけでは決してなく、むしろ弁が立つ。
自分や水谷はかなり阿部に遊ばれていると思う。
例えば同中だった栄口のように、
気心が知れてくると阿部は相手をいじるようになるのが常なのだろう。
無愛想とまではいかないが、女子に対する気遣いはあまりないようだった。
クラス行事にも積極的に係わるほうではなく、
これはもう野球以外のことには興味がない、と言ったほうがいいのかもしれない。
野球関連以外の持ち物やお洒落にもこだわるほうではないようだが、
電卓だけはお気に入りの性能のよいものを持っていた。
阿部は窓の外を見ていることも多かった。
外の天気は練習の内容に反映されるので花井も気にしてはいるのだが、
そういうわけではなくただぼんやりと視線を窓の外に持ってきている。
教室の大きな窓から、冬の情景を見ている。
そんな阿部を、花井はずっと見てしまう。




今花井がこうして阿部と毎日近くにいるのに
進級して阿部とクラスが別れてしまったら、
彼の近くに現在ある自分のポジションにはきっと他の誰かが座るのだろう。
それはイヤだった。
理由もなく、感情で「イヤ」としか思えない自分がいた。
クラス替えという小さな別れさえ受け入れられず、
花井は己の器の小ささを実感しつつも認めねばならない気持ちがある。




1年7組という、場が好きだった。
きっとそれは阿部がいたからだ。














雨の音は放課後の教室で、2人の間に落ちる沈黙をなぎ倒して存在している。
花井には呆けた顔の阿部をただ見ているのも楽しかった。
遊ばれたと思われたのならそれでもいい。
しばらくして顔を伏せてしまった阿部は、その後ぽつりと言葉を落とした。
「好きにすりゃ、いいだろ」
「阿部、」
「オレたちは、……付き合ってんじゃねーのか」




付き合っているというその事実がこうして阿部によって確認できることが、
花井にとってはうれしくてたまらなかった。
ずっと一緒にいたかった。
ずっと、一緒にいたかった。
この先も、クラスが別れてしまっても。
野球だけの付き合いではなく、
それ以外の阿部を、日常で関わるすべての彼を独り占めしたかった花井がいて、
この瞬間にこうして2人は同じ場にいる。
花井は阿部の確認ともとれる問いかけには答えずに、
自分の机を回り込んで阿部の傍に立った。




ちゃんと最初は手を繋ぐことから始めた。
やっと肩を抱いたのは先週のことで、記憶にはまだ新しい。
今まで野球のことばかりが詰まっていた彼の意識に自分の存在が入り込んでいく。
その進行形のうれしさを花井はどう表現していいのか分からずにいた。
手を取ろうとして、更に近づいたら阿部は弾かれたように顔を上げる。
その表情はかなり強張っていて、それが花井の笑みを誘う。
「キスの経験、ねーのか」
「おめーはいちいちうるせーよ」




まだ誰も恋情を持っては触れたことのないであろう阿部の口唇に、
背を屈めて花井は同じそれを静かに合わせた。
世界にまさに今降り注ぐ雨粒たちのように、
溢れ零れて落ちそうなくらい、阿部への想いを抱えていたのだ。


























「Fairy tale」のひかる様にこのSSを捧げます。

花阿を好きになったのはもう2年以上も前。
花阿のお部屋を増やしたい増やしたいと思いながらもなかなか実現せずにいました。
ひかるさんのサイトでお題リク企画をされた時に、
私の出したリクを素晴らしい作品たちで書いていただき、
ご恩返しをしたいなと思っていまして。
今回「何かリクありませんか?」と申し出たら、
「付き合い始めて間がない二人」というリクをいただきました。
ありがとうございました!書けて幸せです。

『Fairy tale』さま
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2に続きます。
次は阿部視点です。











2009.4.18 up