『たった、それだけのこと』 風音さま 「うわっ! 寒ィ!」 着替えて表に出る頃には、身体はだいぶ、冷えてしまう。 部室のドアから僅か一歩の処で水谷は立ち止まり、両手で両腕を抱えてばたばた足踏みをした。 「っくしょー、最近の天気予報、全ッ然、アテになんねーの」 「気温、上がらなかったよな」 「そうでなくても夜だぜ、寒くなるって」 口々に幾人かが水谷を避け、或いは肩を叩いて去っていく。春物のジャケットを着ただけの彼は、辛うじて防寒は手袋だけという姿で、寒空に歩き出す勇気もなくカタカタと震えた。 「閉めていいのか」 「あ、ああ」 阿部に追い出されるようにして、オレも表に出た。 確かに、寒い。 3月に入って半ば、流石に昼の陽射は優しいものの、矢張り夜はこんなもんだ。春だと浮かれているのかもしれないが、水谷の考えの浅さが微笑ましい。 「ほれ」 通りすがりにオレは、細首にマフラーを外して巻きつけた。胸元が詰まっていないジャケットの衿を、それで覆い隠してやる。 「あ、ありがと」 「ちっとはましか?」 「うん・・・」 水谷は頬を埋めて笑った。 チャリを引きながら、駅までの長くない道を、他愛も無い話で歩いた。 オレらの家はそれぞれ逆方向だ。こうでもしないと、2人で話す時間なぞ、そうそう持てない。球児は忙しい。 東口の小さなロータリーで、柵にもたれて少しでも時間を引き延ばす。涙ぐましい努力をしている、と思う。 それでも、一緒に居たい。 こいつの柔らかい笑顔を見ていたい。 ・・・たったそれだけで、互いの睡眠時間を削って、オレらは肩をほんの僅か、触れ合わせる。 白いジャケットの肩がふいと離れた。 「・・・水谷?」 彼は返事をせず、自転車もそのまま、すぐ傍に構えるコーヒーショップの看板に歩み寄った。 小首をかしげて見ている。 「・・・腹、減ったのか?」 「え? ううん」 ほんのり笑って首を振り、再び視線を前に戻した。怪訝に思ってオレは、2台のチャリに鍵を掛け、笑顔にそっと近付いた。 「・・・ケーキか」 「ミルクレープ。まだ喰ったことなくてさ」 「へえ」 三角にカットされたケーキのパネルを見て、水谷はふふ、と笑い、肩を肩でこつんとつついてきた。 「・・・喰わねえ?」 「今?」 「うん」 「ケーキを?」 「ミルクレープ」 執拗に正す。 「や・・・、喰っても、いいけどさ」 「ホント? やった!」 「どうしたよ急に」 訊ねた。と。 笑顔は唐突にぷくんとふくれ、瞳がきろりと3センチの高さを見上げてくる。 「・・・わけを、訊く?」 「え? いや、別にどうしてもってんじゃねえけど・・・」 「・・・まあ、お前らしいっちゃ、らしいけど」 「は?」 何だかつまらなそうな表情になってしまった彼は、店の入り口に足を向け・・・てすぐ、戻ってきた。 「どうした?」 「やっぱ、いい」 「え? 喰いたくねえのか?」 「喰いてえけど!」 背中を向けたまま。 え。 どうして。 どこで機嫌を、損ねたんだ・・・? 「水谷」 オレは思い切って、その肩に手を掛けた。 「・・・帰る」 「おい」 「おやすみ」 そっと手が外された。怒っているのにこいつの仕草はいつも優しい。 オレが哀しくなるくらい。 ・・・チャリのハンドルを握り、足が軽くスタンドを跳ね上げ、そして、がくん、と動きが止まった。 「ちょ・・・!」 「あ! 鍵!」 慌ててポケットから、2つのキーを取り出す。手袋のままでは上手くつまめなかったのか、そいつらは音を立てて転がった。 「悪ィ! 勝手に・・・」 謝りながらしゃがんだが、薄暗い駅の横で、小さな鍵はなかなか見つからない。水谷は冷たいアスファルトに膝をつき、手をついた。髪が落ちるほど顔を地面に近づける。 「おい、汚れる」 「もう汚れてるから」 「オレが見るから」 「いいよ・・・あ!」 オレの足元に手が伸びた。ひとつ、そしてもうひとつと、銀色の光が彼の手に乗る。水谷は無言でその手を突き出した。 カーキ色の手袋が緩い手。 自分の鍵だけを取り上げる事ができなかった。 2つのそれごと握り込んで、オレは水谷の手を引いた。 「ちょっと! 帰るって・・・」 「いいから寄ろう」 「巣山!」 「寄ってこう。喰ってこう。寒いんだからあったまって、それから帰ろう」 「巣山ってば・・・」 「わけも判らないままで?」 水谷の困惑した声がした。 「喰いてえんだろ」 「・・・オレは」 「お前がケーキ喰いてえんだから、理由なんてそれだけで充分」 そうだ。 ケーキ喰いてえんだから、喰えばいい。 美味いもん喰って、笑ってるお前を見れれば、理由なんてそんなちっぽけなもん、どうでも、いいんだ。 「・・・本当に、鈍いんだから」 苦笑と共に抵抗が消え、水谷は引かれるままに、コーヒーショップの入り口を跨いだ。 ふわりと暖かい空気は、芳しい香りを孕んでいて、空きっ腹を刺激する。 カウンターで注文を訊かれ、オレは迷わず例のケーキを2つと、コーヒーにカフェオレをと答えた。 ・・・飲み物の好みは判るんだけどな。 トレーを手にした彼を振り返ると、やや俯いて頬が赤い。彼の中にはまだまだ謎が一杯で、時にオレと擦れ違う。 今みたいに。 いつか。 いつか彼の全てが判る日が来るんだろうか。 言葉すら要らず、ただ彼の微笑だけが全てのような、幸せな未来は望んでも良いのだろうか・・・。 誰も居なかった2階の席に向かいあう。腰を落ち着けて口にしたコーヒーは、冷えた身体に有難い。 自分も白いカップから一口すすり、ふと水谷は手を伸ばした。 紙で出来た三角のPOPを、細い指先でくるりと反対向きにする。 ケーキをつつきながら何となく、その動作を見ていたオレは、一瞬で固まった。 ・・・水谷がぷっと吹いた。 「ホワイトデーにケーキのお持ち帰りはいかがですか」 Fine |
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「風洞」さんの管理人である風音さんに
バレンタインデーなので「しろいつき」シリーズの
「あまいかおり」を差し上げたら、(載せていただいてます♪)
ホワイトデーのお返しにステキな巣水小説をいただきました!
鈍い巣山に惚れてます!固まる彼が愛しいです。
ありがとうございました!