『種 7』
(2009年11月29日泉お誕生日記念SS)







初冬の夜の空気はひんやりとしている。
だからなのだろうか浜田のベッドに泉が潜り込むと、
既に居る彼の体温の温かさをより感じてしまうのは。



「帰れ」と浜田は言い、泉は「帰らない」と言った。
「お前に移したくない」と浜田は言い、
泉はその発言を軽やかに無視して未だ浜田の部屋に居る。
風邪っぴきの浜田の熱は微熱と呼べるほどまでに下がっていたけれども、
吐く息の荒さは取れておらず、一人きりにして帰りたくはない。
浅い眠りしか取れてないのだろう。
頻りに寝返りを打っていた。
泉も眠れなかったが、傍にいたかった。



「いず、み」
「どした?」
掠れた浜田の声に泉は体を起こす。
「その辺、水、ある?」
ベッドサイドにある小さなスタンドライトを点けて水を探したが、
空のペットボトルしか見つからなかった。
「冷蔵庫にペットあるよな?取ってくる」
「頼む」
寝る前に気を利かせて水が残っているかくらいは、
ちゃんと確かめればよかったと泉は思う。
逆の立場ならそういう気遣いがいつも自然に出来ていた浜田に、
普段甘えていることを泉はこんな時ほど自覚する。
冷たい床を裸足でぺたぺたとキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開けて、暫し悩んでリクエストのミネラルウォーターのペットボトルと、
泉がこっちがいいんじゃないかと思う、自分が買い足したポカリの2本を手に取った。
冷え冷えペンギンシートも貼ってやろうと1枚だけ箱から抜き出す。
ベッドに戻る途中に放り出したままだった自分の荷物に目を留める。
ペットボトルと冷え冷えシートを一旦床に置き、
自分のカバンを開けて筆箱の中からメモ紙を畳んだ小さな包みを取り出した。



包みの中には数粒の種が入っている。








「浜田、熱また上がりそうなら水よりポカリがよくね?」
「ああ、うん」
ペンギンシートを浜田の額に貼り付け、
それから了承も得たのでポカリのフタを捻って開ける。
「ありがと、泉」
手を伸ばしてきた浜田にポカリの入ったペットボトルは渡さずに、
泉は自身の手で浜田の手を取った。
浜田の上に泉は覆いかぶさって、冷たすぎるのは良くないだろうと
そんな理由を勝手につけてポカリは口移しで浜田に飲ませた。
種も一粒一緒に含ませて浜田の喉に流し込む。
気付くだろうか。
気付いただろうか、小さな粒の違和感に。
何かを言おうとした浜田の口を再度塞ぐ。
「……まだ、足りない」
いつもよりは赤い顔をして浜田はこちらに両手を伸ばしてくる。
足りないのは水分なのか、それとも泉の唇の甘さなのかは分からない。
照れくささと罪悪感が交じり合った複雑な感情に泉は耐えられなくなり、
ポカリのペットボトルを浜田に押し付けて、ベッドの中に潜り込んだ。
「泉くん、あの、」
「明日も早いんだよオレはもう寝る」
お泊りの時用の自分専用の羽毛布団に包まって、
その中から畳み掛けるように言葉を返した。
「ああもうこんなうれしいことされちゃったら、
このまま襲いたくなるんだけど」
「くだらねーこと言ってねーで、さっさと寝ろ。病人だろうが」
泉は体を丸めつつ、ぎゅっと目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、自分に種を差し出した時の三橋の笑顔だった。




ちょっと前の三橋の様子がいつもの彼とは明らかに違っていた。
やけに上機嫌な日が続くな、と思って三橋本人にその理由を訊いてみたら、
「阿部君の花が咲いた」のだと、うれしそうに泉に話し始めた。
阿部の頭に花が咲いて散って、採れた種を自分も飲んで、
今まさに三橋の頭に蕾がついている花があるのだという。
記憶をいくら辿っても阿部の頭に花なんか咲いてなかったし、
目の前に居る三橋の頭にも何かが生えているのが見えているわけではない。
どうやら誰にでも見えるわけではないらしい。
まさか妄想じゃねーだろーな、と勘ぐってもみるのだが、
阿部にそのまま突撃したらあっさりと肯定された。
自分に見えないからにはそれ以上どうすることもできなかったので、
バッテリーが幸せならそれでいいかと、花の話はそこで終わるはずだった。
その後、三橋から取れた種を数粒受け取るまでは。
「花を咲かせたら、ハマちゃんに見せたらいいよ」と満面の笑みを湛えて、
三橋に種を渡された時にはどうしようかと思った。
想い人同士ではないと花は見えないのではないのか。




西浦の野球部入部をきっかけに浜田とは幼馴染の関係を戻した。
それから1年半以上が過ぎ、互いの気安さかそれとも寂しさからなのか、
幼馴染としては触れ合う肌の近さに些か距離を縮めすぎた感があるが、
恋人同士になったわけではない。
泉の中に燻っていた恋心は自覚していたものの、
何か進展を望むわけでもなく、浜田の気持ちも掴めないままだった。
その状態で花は見えるのか。
種を自分の体内に入れて花を咲かせても、
浜田がそれに気付かず自分にしか見えなかったら、
彼の気持ちが自分にないのが分かって、
そうなったら今の曖昧で心地よい関係ではもういられない。
ずっと涙に暮れるのかもしれない。
三橋の場合は種があるところからではなく、どうやら阿部の頭に、
葉が生えているのを見たところから話が始まっているようなので、
泉が抱えているような不安はなかったのだろう。
三橋は阿部に促されて自分が種を入れる時に、
咲かせる花が阿部に見えなかったらとかは思わなかったのだろうか。
見えた阿部の咲かせた花、それがあるからたぶん三橋は信じることができた。
だから。
だから泉は自分で種を入れずに、まず浜田に、と思ったのだ。
浜田の頭に花がもし見えたら、宙ぶらりんな恋心も居場所があるのだと、
安心することができるのかもしれない。







睡魔を引き寄せられずに中途半端に意識を沈殿させたまま、
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
「泉」
名を呼ばれて、泉は目を開けた。
水分をまだ欲しているのかと、
ペットボトルを取るために布団を剥いで起き上がろうとした。
だが、まだ朝には遠い時間の夜闇の中、
突然に浜田に体を押さえ込まれて動けない。
「ちょ、はま…っ」
発した言葉は泉に口移しで流し込まれた水によって塞がれてしまった。




違和感があった。
何か小さなものが喉を通っていく。




ごくりと体の内側から飲み込む音を聞きながら、
熱さを伴い深くなっていくばかりの浜田の口付けに、
心は溶けていきそうになる。









喉を通っていったもの、
それは種だ。



きっと、種なのだ。














泉、お誕生日おめでとう!

浜田お誕生日記念である『種8』にそのまま続きます。

※ここまでの種の行方

阿部→三橋→田島→花井→水谷→栄口
     ↓
     泉←→浜田







2009.11.29 up