The last alphabet of tomorrow 5
「E」



『eyes』










その双眸はあまりにも大人びた色を持っていた。







新年度が始まって一月半あまりが経った初夏の夕暮れ時、
陰が広がる人気の無い長い北校舎の廊下に、
小学6年生にしては長身の彼の姿を泉は見つけた。




両の耳に入る自分の足音のリズムが心臓の鼓動と共に少しではあったが早くなる。
同じ学校内にいてもなかなか話すチャンスはなくて、
でも話したいことがあって少々焦れていた。
そんな矢先だった。
さすがにもう小さく見えるランドセルを背負っている彼のその背に近付く。
声を掛ける前に振り向いた。
「あれ、泉先生」
「浜田。……オメーは『せんせい』言うな。いつまで経っても慣れねぇんだよ」
学校に勤務している大人はそのすべてが「先生」という呼称を持つ。
それは学校給食栄養士であっても例外ではない。
ただ浜田にとっては泉は、まだ1年ちょっとの先生としての期間より、
遥かに近所のお兄ちゃんだった期間のほうが長いはずで。
あっさりと身長を追い抜かれたのは、泉にとって少しだけ心の傷になっている。
「何で給食委員になんなかったんだよ」
この際だから、愚痴てみる。
「何で……って言われてもなあ。
今年、泉先生人気で給食委員の倍率は高かったみたいでさ、
一応希望はしたんだけど全然入んなかった。
気がついたら美化委員になっちゃってて、トイレのスリッパ並べましょうだよ」
教師の間でも大荒れだったと評判の、今年度の委員会構成である。
フタを開けてみれば各委員長も個性派揃いだった。
大きなイベントのない給食委員会など、委員長は誰でも良かった感は確かにある。
泉は苦笑しつつも話を本題に入らせた。
「そうそう、お前んトコのばっちゃんに伝言頼む。
来月初めの運動会、オレが今年も特製弁当作るからそのつもりでいてって」
両親と弟は事情があって遠くに住んでいて、
今は病気がちの祖母と浜田は2人で暮らしている。
泉の母親と浜田の祖母は、町内の行事でもよく会う仲良しさんだった。
「……今年も一緒に食うの?」
「悪いか?今までだってそうして来たんだし」
「うわ、無駄に女子が寄ってきそうだなあ」
浜田のぼやきは笑顔で華麗に無視する。
「昨年と一緒で仕事中だからあんま長くは一緒にいれねーけど、
給食がない分少しはマシだから」
もちろん給食はなくても、運動会の準備や当日の進行など全部役割が振られていて、
ゆっくりしている余裕はあまりない。
けれど、少しでも一緒にいたかった。




もし一人で弁当を食べることになったとしても、きっと平気な顔をしているだろう。
寂しくてもそれを微塵も感じさせずに笑っているのだろう。




「わぁーった。ばーちゃんに伝えとく、ありがとう」
そしてひらりと手を振り、「さよなら、泉先生」と言って去っていく。
「だから『せんせい』ゆーなっつの!」
軽く足を踏み鳴らしつつ、去っていく浜田の背を見送る。
その背を見て、泉の中に急に溢れ出る何かがあった。
「浜田ぁ!」




本当は「浜田さん」と呼ばないといけないのかもしれない。
男女ともに「さん」をつけましょう、とは、いつの頃からか定着し始めた学校のお約束。
だが「さん」でも「くん」でも敬称をつけてしまえば、
泉と浜田のこれまでの歴史を壊すような気がして仕方がなかった。




「お前、ちゃんとメシ食ってんのか……?」
浜田は少しの間を置いて俯き加減のまま振り向き、
腰を屈め顔を上げて泉を見てくる。
だからだろうか、視線は同じ高さにあった。
真っ直ぐにこちらを見つめる眼差しは、もう小さい頃の彼ではない。
浜田は照れたような笑顔のままで言う。
「泉先生の給食、スゲー美味いよ」
そうじゃなくて、と泉は言いたかった。だが、言えなかった。
毎日の、朝晩の食事をちゃんと取れてんのかと訊いたつもりだった。




たとえ毎日がどんなに辛くても浜田は笑顔だけを泉に返して、
自分の気持ちは封じ込めてしまうのではしまうのではないかと、
予感だけが泉のどこかに沈殿している。









遠くに行ってしまった。
そんな気が泉にはして、悲しい気持ちを抱えてしまった。




それは「寂しい」という感情に、とても似ていた。













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2009/1/24 サイトUP





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