The last alphabet of tomorrow 26
「Z」





ゼロにはならない、気持ちがある。




『zero』
(最終話)








初めて阿部から三橋の携帯電話にメールが来たのは、
三橋が西浦を離れて一月半が経った、三橋の誕生日の当日だった。
お誕生日給食に浮かれていた昨年を思い出す。
阿部に誕生日の日付を訊かれたのもその頃だった。



それから何年経っても、誕生日とクリスマスには必ずメールが届く。
件名は「三橋先生へ」、と決まって届く。
『お誕生日おめでとう』と『メリークリスマス』。
毎年同じ文面で、当たり前のように。
忘れていないよ、と確認するかのようにメールは届く。
自分も何を返事していいのか分からないので、
『メールをありがとう』『メリークリスマス』としか返すことができなかった。
もう自分はとっくに先生ではないのだけれど、まだ阿部君の心の中では先生ですか?と、
訊けない言葉は封印し、阿部を忘れられないままでもう何年も経ってしまった。
三橋は西浦小学校図書館を退職後、新設される公立図書館分室に開室スタッフとして入り、
開室後もそこで働く忙しい毎日が続いている。
時折、学校図書館で過ごした日々のことを三橋は思い出す。
思い出は綺麗な状態で心の箱に仕舞われている。
箱からはみ出して、阿部の笑顔だけはいつでも近くにあった。
2度と会えなくても、忘れないよ。
いつかメールが来なくなったら、その時が阿部への思いを断ち切る時なのだろう。
覚悟だけは抱えていた。いつでも。








阿部からのメールを開いたディスプレイに、いつもとは違う言葉があったのは、
西浦を離れて10年が経った、桜花が視界に入る3月末のことだった。
10年目にして誕生日でもクリスマスでもない日に阿部からメールが来たことに驚き、
その文面に三橋は更に驚いた。
『電話していい?』と挨拶文もなく、シンプルな文がそこにはあった。
まだ夜中とまではいかない夜の時間、
自分のベッドに正座した状態で三橋は両手で携帯電話を抱えて逡巡している。
ぐるぐるとネガティブな思考が三橋の内を駆け巡る。
眩暈がするほどに。
ちょうど10年だ。
きりのいい10年の節目で、年に2回メールをやり取りするというだけの間柄を、
終わらせようと阿部は思っているのかもしれない。
だから最後に電話をして直接声を聞きたいと思ってくれたのかもしれない。
それはうれしいことだけれど、終わってしまうのは悲しい。
だがちゃんと、自分なりに誠実に向き合わなければならない。



何年経とうともゼロにはならない、気持ちがある。
たとえもう2度と会えないのだとしても。
もしも先の時間で、気持ちがゼロになってしまっても、
その現実を受け止めようと思う。




何度も深呼吸をして、三橋は震える指をようやく携帯電話に伸ばした。
ちゃんと阿部に「ありがとう」と言おう。
阿部を大好きなこの気持ちは無くならない。
それなら大事に抱えて生きていけばいい。




『電話、待ってます』とこちらも一文だけの返信をする。
間を置かずにコール音がしたので、三橋は慌てて着信ボタンを押した。
「あ、ありがとう!阿部君!!」
直前まで言わなくちゃ、と思っていたこともあり、
言葉は声になり、勢いづいて喉から飛び出してしまっていた。
携帯電話を通して沈黙が伝わってきて、
せっかく10年振りに話せたのに、こんなんじゃ嫌われてしまうと、
三橋は悲しい気持ちになった。
だがすぐに携帯電話の向こうからは阿部の笑い声が聞こえてくる。
『変わんないなあ、三橋先生は』
あの頃より幾分か声は低くなっているようだった。
いつまでも小学生の彼の姿が記憶にあって、
大人になっているはずの阿部がすぐには想像できなかった。
「……阿部くんは、」
それだけようやく声に出せた。
文章は完結しておらず、切れた声の続きを、阿部は黙って待ってくれている。
三橋はうれしい気持ちを抱えている。
ちゃんと話せずに何度もいらいらした阿部から怒られていた、
あの日々が懐かしくなるほどに時間は過ぎているのだと、自覚しないわけにはいかなくなる。
「元気、ですか?」
『……オレ、東京の大学に通ってたんだけど、
やっと卒業して、就職も決まってて、来月からは社会人になるんだ』
「おめでとう!!」
それを報告したかったための電話なのだと理解できて、
三橋は更にうれしくなった。
『そんで、地元で就職したんで、こっち戻ってきてんだよ。だから三橋先生に、会いたい』
「え?」
『もう子供じゃない。三橋先生に会って、ちゃんと言いたいことがあるんだ』



『会いたい』という4文字を普段から回りの遅い思考が咀嚼した途端、
携帯電話は三橋の手から落ちていった。
硬質の音がフローリングに響いて、それに驚いたのだろう阿部の声と共に転がった。
傷を気にしつつも持ち上げた携帯電話に涙の粒が落ちる。
その涙を切欠に、三橋の阿部に対するいろんな気持ちが溢れ出してくる。



今なら、10年も経った今なら伝えてもいいだろうか。
「好きだ」と言ってもいいのだろうか。
阿部への思いは風化もせずに自分の内にある。



「会いたい」という気持ちは自分も持っていて、
阿部がそう望んでいるのであれば適えたいと思うのだ。
「あ、阿部、君」
『おう』
照れたような声が携帯電話の向こうから聞こえていて、ちょっとだけほっとする。
「一度、ちゃんと会おう、よ。オレも阿部君に言いたい、ことがあるんだ」



会ったら、ちゃんと「好きだ」って言おう。
「ずっと好きでした」って言おう。



再会の日取りを決め、阿部との電話を終わる。
跳ねる胸の鼓動をそのままに、三橋は携帯電話を閉じた。

























朝方まで降り続いていた雨は上がり、
その後は空を覆った雲の間から薄日が差していた。



阿部が嘗て通っていた私立の中学校の近くに大きな公園がある。
とりあえず、ということで待ち合わせ場所はそこになった。
週末の、まだ早い朝の時間である。
公園の中を三橋は進んでいくと携帯電話が鳴った。
「阿部、君!おはよう!」
『こっちから三橋先生が見える!東のほう、向いてみ?』
東の方角に視線を向けると、遠くに一人の男性が立っている。
背は会わない間に随分と伸びたようだ。
それでも印象は変わらない。
もう、しっかりと大人の彼だった。




「三橋先生!」
携帯電話を耳に当てたまま、阿部は大きくこちらに向かって手を振っている。
声はそのまま直に届いた。
三橋は駆ける。
息を切らしながらも、阿部のところまで。
阿部は携帯電話を閉じ、三橋に向かって手を伸ばす。
もう一度手を繋ごう。
切り落としてしまった時間を、もう一度繋ぐのだ。
繋いで、そして。



そして。























たった1年と数ヶ月の短い時間だったのに、
それでも「先生」だった日々がある。



「先生」として西浦小学校に居た時間は、
三橋の人生にとって、掛け替えのない時間だったのだ。








END



















ミハ、お誕生日おめでとう!

このお話で「西浦小学校物語」はお終いです。
ここまで読んでくださってありがとうございました!








【後書き】

中学校シリーズで本編に加え、50音で「いろは」を書いたので、
今度はアルファベットでやろうと思ったのが、
今思い返せば良かったのか、悪かったのか(笑)
英和辞典を片手に初期は(もう2年半前?)とんでもなく苦労したものでした。
きっちり追加をせずに終わらせようと思ったので、
いろいろと試行錯誤しつつも、脳内でばっちりと収まった時はうれしかったです。
現在の時点で書きたい話は全部書きました。満足です。
最終話まで作ったのは1年以上前だったような記憶もありますが、
よく書けたなあと自分で思います。
お付き合いいただいてありがとうございました!

学校図書館司書であるミハが大好きでした。
大人になった阿部と幸せになってほしいと思っています。

以前勤めていた某中学校で、
図書館常連さんだった本好きの生徒が、
昨年度今年度と2人も学校図書館司書としてうちの市に入ってきました。
大人になった彼女たちと一緒にお仕事ができるのがうれしいです。
「先生」と呼ばれることに喜びを感じています。
うちの市の学校図書館司書は嘱託職員で、お仕事の満期が5年です。
その後1年期間を空けないと復帰できません。
(次も雇ってもらえればですが)
私は今年度いっぱいで再度の退職となります。
学校現場を離れる寂しさをまた味わうのかと思うと胃が痛いですが…。

創作はのんびりとこれからも続けていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。










ABCDEFGHIJKLMN
OPQRSTUVWXYZ




2011/5/17 UP





back