The last alphabet of tomorrow 23
「W」



『White Day』
(2009ホワイトデー記念)









もう3月も半ばになったというのに、今日はずいぶんと寒い日だった。
桜の開花も今年は早いらしくて来週末くらいからは咲きそうな勢いで、
春は気が付いたらすぐ近くまで来ているのに。
花冷えと呼ぶには些か時期が早すぎるかなと三橋は思う。
細い雨がずっと降っていた。
冬から春のこの時期にしては今年は雨の日がやけに多かった。
思い返せばバレンタインデーも、
三橋が阿部にチョコをもらったその前日も雨だった。




「受験も終わったし、学校も決まったし、息抜きにいいよな」と、
阿部はそんな台詞を抱えて、ちょくちょく図書館に顔を出している。
本を決して読むわけではなく、そこがちょっとだけ残念なのだが。
地元の中学に上がるのではなく、東にある私立の中学に行ってしまうのだという。
阿部がやってきて書架の整理をしたり、
修理が必要な本などを出してくれるのは大変に助かっていた。
やはり1年図書委員を経験すると整理はかなり上手くなっていて。
まだ返却本をあちらこちら適当に突っ込むことのある5年生に、
見習わせたいとまで思ってしまう。
「三橋先生、これ、修理よろしく」
「あ、うん」
たくさんの本を両腕に抱え、阿部はカウンターの前に立っている。
「あり、がとう」
全部の本が図書館に返ってくる3月が、本のメンテナンスには最適の時期だった。
本を分割して受け取って、
カウンターの後ろに置いている修理用コンテナの中に入れた。
2人きりの放課後だった。
春休み前の特別校時期間で通常よりは早く授業は終わり、
5年生の図書委員はもうとっくに帰ってしまっていた。
放課後の遅い時間に阿部が一人きりで顔を出すのは大変珍しいことだった。
卒業までは、残すところあと数日となってしまった。
2人でいれる時間はもうないかもしれない。
「阿部君」
「ん?」
「もう、帰んないと。4時半まわってる、よ」
「……ああ、もうそんな時間なのか」
カウンター越しに阿部と視線が合った。
三橋は、叫んでしまいたくなる。





このままでいたいよ。
このままでいたいよ。



このままで、いたいけど。





阿部は来週の卒業式でこの学校からは巣立っていくし、
三橋自身もいつまでこの西浦小学校にいれるのかは分かっていなかった。





「阿部、君」
三橋は手招きして、カウンターの中に阿部を入れた。
カウンターの中に入れるのは図書委員だけの特権で、
仕事をしながらバーコードリーダを扱ったり、司書と談笑する6年生を見て、
図書委員になりたいと思う児童も多かった。
「なんだよ?」
また背が伸びたかな、と三橋は思う。
自分の横にいる阿部の姿をちらりと横目で視界に入れて、すぐに目を伏せた。
恥ずかしがっていてどうすると思う。
勇気を出して三橋は阿部の手を取った。
顔は上げられないままで。
阿部のその手に握らせたのは個包装してある一粒のキャンディだった。
「……三橋、先生」
「明日、ホワイトデー、だよね?
お返し、ほんとはもっとちゃんとしたかったけど、けど、オレ、」
三橋は自分の想いを形にするのが怖かった。
たった一粒に楽しかった1年間の感謝をたくさんたくさん込めて。
けれど自覚したくはなかった「好き」という気持ちは、
どれだけ込めたらいいのか分からない。




泣きたくなってしまったけど、阿部が悲しむからそれは我慢する。
我慢しても卒業式には泣いてしまう気がするけれど。
自分のことは忘れていいよ、と三橋は思っている。
これから先の自分の時間は、
新しい出会いと人生が待っている阿部の幸せだけをただ祈っているから。
だから忘れていい。
そう思っていたのに。








不意に抱きしめられてしまって、三橋は狼狽した。
阿部の温もりと湧き上がる愛しさに、
どうすればいいのかすら分からないでいた。






雨の音が図書館全体を静かに満たしている。




優しい雨が、世界には降っていた。














2009ホワイトデー記念



BGM : 音速ライン『優しい雨とこのままで』





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2009/3/14 UP





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