The last alphabet of tomorrow 20
「T」



『time』
(「U(under)」の続き)









自分が持ち合わせていなかった言葉を
目の前にいる彼は世界に落とす










「お前だって。私立には、……受かったじゃないか。
阿部と同じ学校に行くんだろ?」
その近い声の在り処に、
カウンターの下に潜り込んでいた水谷は反射的に顔を上げた。
栄口の顔の高さはもう自分とあまり変わらないところにある。
目を逸らし、赤く染まったその顔をしばし見つめる。
への字に曲がってしまった口をただ見つめた。
意図して出された言葉ではないのはすぐに分かった。
栄口の心が後悔と自己嫌悪に侵食されていくのを、水谷は理解する。
確かに阿部と同じ私立中学には合格していて、
それでなくても受験した中学を全部落ちても地域の市立中学には通えるのだ。
栄口は学校での成績は大変良かったのだが、
家庭の事情で公立のみで、私立中学の受験はしなかった。



手をつないで、どこまでも一緒に歩いていこう。
そう思っていたのに、できなかった。





水谷には確かめたいことがひとつだけあった。
今、ここでなくてもいいことなのかもしれないが、
このままずるずると卒業まで何もできないような気がする。
卒業まではもうあまり時間がない。
向き合う時間もないままに流されてしまうかもしれない。
だから、だからこそ。
「栄口、こっち向いて」
涙の顔を水谷は無理やり袖口で拭った。
真っ直ぐに顔を見たい。
「ねえ栄口」
「……うん」
まだ頬に赤みが残る顔をこちらに向けてくれた。
「学校が違っても、友達でいてくれる?」
「人生は、自分の思い通りになんてならない」
がたん、と図書館の絵本コーナーの辺りから物音がした。
三橋が整理中の図書を落としたのだろう。
自分の中をどんなにかき回しても、人生がどうとかなんて言葉は出てこない。
難しいことは分からない。
栄口の言っていることの中身は大人びていて重くて、
水谷は沈黙するしかなかった。
「でも……それでも、」
静かな図書館で、囁くように小さな栄口の声だった。
「オレもさ、水谷とはずっと友達で、いたいよ」



水谷はうれしくなって、カウンターの中から這い出て、
両手で栄口の手を力を込めて握った。
ますます顔を赤くしてうろたえているが気にしない。
「あ、でも、行かなきゃ」
突然栄口が立ち上がった。
つながった手を引かれて、水谷も立ち上がる。
「もう行くの」
「だって、きっと阿部が待ってる」
「うわ、それやば!」
「三橋せんせ!」
栄口の声に三橋は書架の陰から姿を見せると、カウンターまで駆けて来た。
普段は「図書館では走ってはいけません」と注意する立場のはずなのに。
「……話、終わった?」
「ありがとう、せんせ。水谷連れてくから」
三橋は頷いて、こちらを見た。
「だ、大丈夫?水谷、君」
大丈夫だよ、と返そうとして違う音が口からは飛び出てしまった。
「ねえ、先生。先生も思い通りにならないことってたくさんある?
大人になってもあるのかなあ?」
三橋は視線を下に落とす。
数秒置いて小さな声が返ってくる。
「……自分の、気持ち、全然、思い通りにならない、よ」
「うん、気持ちかー。人を好きになったり、嫌いになったりとかはそうだよね」
何も考えずに言って水谷は、三橋が震えているのに気づき大変に慌てた。
「ご、ごめ、オレ、」
「先生?」
頭を振って顔を上げ、それでも三橋は笑顔を見せてくれた。
やっぱり誰か好きな人がいるのだろうかと、水谷は思う。
以前「好きな人がいるの?」と問うた時には「いないよ」と言っていたのに。
「水谷っ、行くよ!せんせ、またね!」
栄口に手ではなく、腕を掴まれ引っ張られた。
「う、うん、またね、さよなら!」
両手を胸の前で振っている三橋を遠ざかる視界に入れつつ、図書館を出る。
そこで、栄口の足が一旦止まった。
腕の締め付けがなくなった。



差し出されたのは、掌。
「水谷、手!」
「うわあ……っ」
栄口から手を出されたことは今まで滅多になく、感動でその場を動けない。
「ほらっ、お手!」
「わんっ」
2人の掌は重なって、そのままグラウンドへと駆け出した。
外は寒いけれども、手の温もりはしっかりと感じて。






手をつなぐことで、この先の時間も、
ずっとつなげられたらいいと水谷は思った。
人前で、今しかできないからこそ、それは大事で。



大事なのはきっと「今」という時間なのだ。













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2010/9/11 UP





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