The last alphabet of tomorrow 17
「Q」



『questions』






「ねえ三橋先生、好きな人いるのー?」
問いは図書委員の女子によって軽やかに投げられた。






南方の窓の外、見えるグラウンドは土砂降りの雨で薄っすらと白く霞んでいる。
普段は常連さんが数人訪れるだけで、後は当番の図書委員がいるだけの放課後だが、
11月の図書館まつりが開催される1週間だけは、
図書委員とその仲間たちで図書館が溢れかえっている。
この雨では今日の社会体育は行われないだろうから、
その分もかなりの人数が揃っていた。
今日は図書館まつり初日の月曜日で、しかも天気は雨で、
昼休みの図書館は身動きができないほど、児童でごった返していた。



各曜日の当番ごとの図書委員がグループを作り、
それぞれにイベントをいくつか担当している。
阿部がいる金曜日グループはクロスワードパズルと紙芝居の読み語りの担当となっていた。
解答用紙の採点作業をこなしているのは阿部だけではない。
あまりの難しさに人気のないクロスワードパズルですらそうなのだから、
大人気の間違い探しやぬり絵のグループなどは初日から大変なことになっている。
各グループ問題等、1種類だけではなく数種類あり、
1種1枚応募の決まり故、重複応募の洗い出しもあって、
図書委員の作業量は半端無い。






喧騒の中で降ってきたその問いを、三橋は上手くキャッチできるはずもなく、
口を開けたまま呆けてしまった。
「あ、それオレも気になる!彼女いるのとか!」
近くの水谷の声に我に返り、頬を赤らめながらも頭を横に大きく振った。
同時に大きな音がして、水谷の頭にダンボールで作成された30センチ四方ほどの、
クロスワードパズルの応募箱が目の前を飛んできた。
投げたのは阿部だ。
音の鈍さから察するに、昼休みに詰め込まれた三桁はあろう量の解答用紙は、
全部が取り出されたわけではないらしい。
「いったーっ!阿部!!」
「くだんねーこと言ってねーで、箱から用紙出せ!」
「大体阿部の仕事じゃないか〜。オレ図書委員じゃないのにぃ」
泣き言を言っている水谷の傍で栄口は頭を抱えている。
「褒美のアイスは昨日食っただろーが!」
「それも2つもねぇ。つか阿部は自作のクロスワード懲りすぎだろ?
全問正解者いないんじゃない?」
栄口は冷静にあれこれ突っ込んでいる場合ではないはずなのだが。
横で水谷が表情を派手に崩している。
「さかえぐちぃ」
「あ、ありがとう、お手伝いうれしいよ」
ヘタれている水谷に、三橋は頑張ってフォローになっていないフォローを入れる。
「それでどうなの?」
「水谷っ!」
阿部の怒声には図書委員の皆は慣れたのか、
誰も気にせず図書館内は騒がしい。
「最近女子がさあ、三橋先生かわいーとか言ってっけど、
彼女とか好きな人とかいんのかなーと思うわけ」
阿部が遠くで睨んでいるが、水谷の態度が変わるわけも無く、
かえって女子に煽られている。
「彼女、いない、よ!」
両手もぶんぶんと振りつつ、再度否定する。
「好きな人も?」
「う、うん」
あまり長く頭を振ったせいか、
ふらふらしてきたので床に三橋はぺたりと座り込んだ。
「ちょ、大丈夫なのか!?」
阿部がイスを後ろに蹴り飛ばしつつ、こちらに駆けて来る。
「あ、阿部君」
「座ってろよ、先生。5時くらいまでには撤収させっから」
肩をぽんぽんと軽く叩かれる。
これではどちらが子供か分からない。
「先生だいじょうぶ〜?」との女子の声には、
「さっさと今日の分終わらせろよ!」と阿部は声を投げていた。
だが、一番採点に時間がかかるのがクロスワードパズルなので、
焦らなければいけないのは実は阿部のほうである。
「あり、がと」
三橋は膝を抱えて座り、額をその膝に乗せて座る。
思考と意識はぐるぐると回っているし、
心臓はばくばく鳴っているが、不思議と嫌な気分ではなかった。
なのに自分の中に痛みを感じていることに驚く。
喧騒と、叩きつけるような雨の音。
世界は一雨ごとに冷やされて、冬に近づいていく。




5時を過ぎて皆を帰らせ、
図書館内には三橋と阿部栄口水谷という常連メンバーだけが残っていた。
いつも時間があれば、書架の整理を手伝ってくれている。
「阿部君、……怒ってる?」
阿部の傍に寄り、三橋はそう声をかけた。
「別に、別に怒ってなんかねーから。つか先生なんだからもっと堂々としてろよ。
あんまり女子に遊ばれてんじゃねーよ」
「うん」
淡々とした阿部の物言いに安心と不安がごちゃ混ぜになって、
頭はさらにぐるぐるしてくる。
「卒業しちまったらオレ、もう何の手助けもしてやれねェんだよ」
向けられた笑顔に切なくなった。
「うん、分かって、る」
3月の卒業式で阿部とはお別れだ。
それだけは確定事項として三橋の中にあった。
「……」
「分かってる、よ。ありがとう、阿部君」






ちくりとした胸の痛みはどこから湧き出たのだろう。
嘘を吐いた時の小さな痛みにそれは似ていて、
だからこそ本当の気持ちを自覚しつつもあったのだ。



「誰に」対する「何の」気持ちなのかも。













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2010/10/2 UP





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