月篠あおい Side





今日が最初のいろは 8
「ち」



『着火』










着火点が、何度だったのかはもう忘れた。
確かにもう、火はついている。






まだまだ暑い日は続いていた。
「田島先生、もう10分経ちましたよ。起きるんでしょう?」
生徒会長である花井は、生徒会室の掛け時計を見ながらそう言った。
生徒会顧問である田島は机に突っ伏している。
「はないー、扇風機もっと強くして」
「…はいはい。職員室、エアコン入ってるんじゃないんスか?」
「だって、職員室じゃ寝れねーじゃんか。わりー、あと10分」
生徒会室は仮眠室じゃねーんだけど、と思いつつも、
花井はこの新任2年目の田島に甘かった。
強い野球部の顧問をしていたら(顧問は3人もいるけれど)、
土日もないだろう。
持ち帰りの仕事も多いだろう。
今も出張の研究授業の帰りで、真っ直ぐここに来て撃沈している。
回っている小さな扇風機は以前田島が持ち込んだものだ。
教師という職業は思ったより激務なのだ。





撃沈しつつも薄目を開けて、田島はこちらを見る。
「花井は、オレのこと『タジくん』とか『タジー』とかで
呼ばねーんだよな」
「呼びませんよ、田島先生」
「うにー、あと5分」
と、言いつつ5分では起きそうにないほど
深い眠りにつこうとしている。
花井も、もう起こすつもりはなかった。
しばらくゆっくりと眠らせてあげたかった。





目の前で眠っている彼は
小さくて、ガキっぽくて、それでも本質はやはり教師で。
どうしようもなく、可愛く思ってしまう。
いつからだろう、何処からだろう。
火がついてしまったのは。
ちりちりと心を焦がしてしまうほどの。





「田島…」
そっと、名を呼んだ。






花井の心を焦がしてしまうほどの、
着火点は、既に超えてしまっていたのだ。














いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん






2006/8/18 UP





back