月篠あおい Side





今日が最初のいろは 39
「ゆ」



『唯一』







卒業式の日は、突き抜けるような青空だった。





「三橋、廉!」
「は、はい!」
卒業式の正式名称は、卒業証書授与式である。
メインはもちろん証書の授与にある。
3年の担任はそれぞれ、自分のクラスの生徒の名まえを前に出て読み上げる。
オレ、阿部も、自分が担任をしている9組の授与の番が回ってきて、
体育館前方、ステージ脇のマイクスタンドの前に立つ。
3年生の担任になったのは初めてではなかった。
なのに、何故こんなにも緊張するのだろう。
それは自分のクラスの生徒に三橋がいるからだ。
一番の心配はやはり三橋で、リハーサルでもその姿には落ち着きが感じられず、
本番はどうだろうかとかなり心配をしていた。
名まえを呼んだ。ちゃんと返事は出来た。
席から立ち上がり、決まった位置に移動する。
前の生徒が壇上に上がり、卒業証書を受け取ろうとしている。
次は三橋の番だ。
「!!」
三橋は壇上に上がる階段に躓きそうになり、オレは声無き叫びを上げる。
心臓を揺さぶられつつも平静を装って、次の生徒の名まえを呼んだ。
帰り際にこちらを見て、三橋はオレが好きな笑顔を見せる。




その時に、本当に三橋はこの学校とはお別れなんだと思った。
今までは実感がなかなかわいてこなかったのだ。




自分のクラスの授与も終わり、生徒達の横、職員の座席に戻る。
生徒を挟んで反対側には来賓の席が在る。
9組の生徒達の座席は来賓側にあり、三橋の様子は職員席からでは窺えない。
あのオドオドして、人と上手く話も出来なかった三橋が、
この1年で驚くほどに変わった。
親衛隊のおかげかもしれないが、友達も増え、明るくなった。
高校も普通に受験し、この西浦中学校から巣立って行こうとしている。




三橋自身を手放すつもりはもちろんなかったが、
今までのように毎日会うことはできなくなる。
それが寂しかった。
こんな寂しさを味わうのは教師になって初めてだった。
『阿部くんが、好きです』
三橋から真っ直ぐに向けられた好意が、オレの人生を変えていった。
この1年はオレにとって特別な意味を持つ1年だった。
その締めくくりである卒業式。
いろんな思い出が、残る記憶からフラッシュバックする。



送辞、答辞、在校生による「蛍の光」の合唱が終わり、
卒業生による「大地讃頌」の合唱が始まる。
なかなか三橋が歌を覚えられなくて、
卒業式前には時間を取って、生活指導室で練習をした。



すべてが思い出に変わっていく。
すべてが。



視界が揺らいでいくのに気が付いたが、
自分ではどうすることも出来なかった。
鼻の奥が微かに痛んで、喉が熱く感じている。
女教師のすすり泣く声もあちこちから聞こえてくる。
今日くらいは泣いてもいいだろう。





オレを泣かせることが出来るのは唯一、
愛しいお前だけかもしれないと、
脳裏に浮かぶ三橋の笑顔をオレはずっと思っていた。


















いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん












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2007/12/24 サイトUP