月篠あおい Side





今日が最初のいろは 26
「の」



『濃紺』










まだ夜になりかけの時間だった。
私、篠岡の視界の半分を占領していたのは、濃紺の空だった。
完全な闇にはまだなっておらず、西方の空に姿を隠した
太陽の光を含んだその紺の色は好きな色だった。
冷え切った真冬の空気も好きだった。





月も星もまだその姿は見せていなかった。
雲の影もなく、一面に広がる闇に向かう色。





校門の前で西広先生の姿を認めて、慌てて駆け寄る。
「お待たせしました。遅くなってごめんなさい」
「そんなには待ってませんよ」
夕方に保健室でお茶している時に、西広先生から食事に誘われたのだ。
「私までお誘いくださってありがとうございます。
今日は3年の先生方で食事会でもあるんですか?
それとも英語教科の先生方でかしら」
「あなただけですよ。篠岡先生」
「え」
「お誘いしたのは、あなただけです」





どうして、と訊いてしまった。
普通は誘ってくれた理由なんか訊くことはない。
知りたくなったのだ。ただそれだけのことだったのだ。
けれどこちらの質問には答えず、
授業をしている口調で西広先生は疑問符を投げ返してきた。
「どうしてでしょう?答え、分かりますか?」
困惑して俯いてしまう。
「……分からない、です、けど」





「答えは簡単です。
それはオレが、篠岡先生を好きだからですよ」





言葉に詰まって、ただ立っているしかなかった。
濃紺の空は闇にはまだ遠く、
私の赤く染まった顔も見られてしまうのだろうか。




勇気を出して顔を上げると
西広先生の優しい笑顔が見えた。




世界を覆うのが光を少しでも含んだ空で、良かった。
その笑顔がうれしかったのだ。












いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん









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