月篠あおい Side





今日が最初のいろは 12
「を」



『名を』










名を、
呼んだ。





田島は、1度呼んでみたかった。
きれいな一文字の、
漢字の意味はよく分からないけれど、
その名を呼んでみたかった。





日々の過ぎるのは早くて
あっという間に冬はやってきて
こうしてこの生徒会室という場所に
慣れ親しんでしまった場所に
2人きりで居るのはもうきっとこれが最後だった。





「梓」
「…どうしたんスか?田島先生」
笑顔の花井だった。
その花井は最後まで田島のことを「田島先生」と呼ぶ。
視線はそんなにも熱くて真っ直ぐなのに。
田島でも、その意味に気が付くほどに。






*






名を、
呼ばれた。





花井にとってお世辞にも
気に入っているという名ではなかったけれど
田島が呼ぶと、語感が少し違って聞こえるような気がする。




「田島先生、オレ、明日の引継ぎで生徒会長終わりなんですよ」
「ああ、そだな」
「もう毎日ここには来ないんすよ」
「わかってんだよ、そんくらい」




生徒会室の窓際に丸椅子を移動させて、
そこに座って田島はいつも空を見ていた。
今日もそうだった。
たぶん明日も、明後日もそうだろう。
花井がいないだけで。
花井の替わりに、他の生徒がいるだけで。




「田島先生」
抱えている想いは強すぎて、持て余してばかりの毎日だった。
「なんだよ、梓」
「……」
「梓」
「…どうしたんスか?田島先生」
「何か言いたいことあるんなら、今のうちだぞ」
「……どうすっかな。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「ん?」










「1度だけ、抱き締めてもいいですか?」










くりくりとした田島のその瞳が
花井のほうを向いて大きく見開かれるのを、
笑顔のまま、花井はただじっと見つめていた。














いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん






2006/11/9 UP





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