月篠あおい Side














そうして、
春がやってくる。


哀しくもあり、
楽しくもあり。









『ただ春を待つ』

(『ほ(抱擁)』の続き)
(2006年12月11日阿部お誕生日記念SS)







いつもの放課後、いつもの生徒指導室のことだった。
オレ、阿部は三橋に泣きながら抱擁されていた。





抱擁されながら、触れていく唇は熱く、柔らかく
意識はどこまでも浮いて飛んでいきそうで
現実への帰路を探していた頃、様々な記憶が脳裏を過ぎる。

















「三橋を、頼んでもいいかな?」と
学年主任だった西広先生にオレが声を掛けられたのは
ちょうど1年前、春休みを控えた昨年の春待ちの季節だった。






西浦中学校では、1.2年の担任を持つ教師は、
異動などの場合を除き基本的に上の学年に持ち上がるのが普通で、
その学年の教師たちがそろって学年全部のクラス分けを
毎年この春待ちの季節にやっている。
学校図書館を貸切にし、生徒1人1人のカードを広げて
生徒たちとその保護者のいろんな事情を考慮しながら
クラス分けを行っていく。
年に1度の大事な作業である。
もちろん1日で終わるはずもなく、数回かけて決めていく。






「じゃ、三橋は泉と揃って9組で。
担任は異動がなかった場合、阿部先生ということでいいですね?」
西広先生の穏やかな声が閉館中になっている図書館内に響く。
三橋は1年生の時、入学したこの学校に馴染めなくて
学年の半分を登校出来ず、家に引きこもって暮らしていた。
誰かに苛められていたという訳ではなかったのだが、
環境の変化に上手く適応できなかったらしい。
現在は異動になってもういないが、当時の担任教師に
三橋は理解してもらってなかったようだ。
それでも数少ない友達である泉や沖の頑張りが功を奏して
時々ではあったが、学校に顔を出せるようになったのが
1年生の冬のことだった。
進級と卒業の検討会もなんとかクリアして、
無事に2年生になることが出来ていた。
2年生の春、当時の三橋のクラスの数学の教科担任になっていたオレは、
三橋の提出したテストの書き直しのやり方に大きなミスを見つけ、
校内放送で呼び出した。
それがゆっくり話をした最初だった。
半泣きでおどおどとした様子にろくに言いたいことが伝わらなくて
イライラしたのを覚えている。
がしゃがしゃと鳴る指し棒代わりとなってしまった大きなコンパスの音。
その音に震えていたのを、…今でも覚えている。






西広先生が何を思ってオレを三橋の担任に押したのかは分からないが
3年になってからの三橋はそれまでとは随分変わった。
気が付くとオレの親衛隊など出来ていて、その親衛隊長にまでなっていた。
けしかけたのが田島だと知って理由を尋ねたら、
田島は笑いながら即答した。
「だーってさ、何でもいいから肩書きついたら、
人と接することって増えるんじゃねーの?」
本人は自覚しているのかどうかは分からないが、
教師として大事な「モノ」をちゃんと持っている。
その田島が三橋につけた肩書きは、泉たち9組連中にも助けられ
三橋が外の世界へ馴染むきっかけとなっていった。





後はなんとかして、希望の高校に入れてあげたかった。
成績も覚束なく、あのオドオド振りでは面接の評価もかなり低くなるだろう。
その辺を兎に角どうにかしようと思って、
生徒指導室で個人授業をするのを学年部会で提案し、それを許可され、
毎日放課後の三橋との付き合いが始まったのだった。





三橋と毎日接していく中で、自分の中で確実に何かが変化していった。
怒鳴ってばかりいて、三橋は怯えてばかりいた初めの頃より
穏やかに2人向き合うことが出来るようになっていった。
自分を抑え、三橋が持っているペースを大切にするということを
オレは覚えていった。
三橋のことを待てるということは、大体において他のどの生徒のことも
今までのように怒鳴り散らすこともなく、焦りもせず待てるということで、
それはそのまま自分の心の余裕に繋がっていった。
「阿部先生は変わられましたね」
怖いもの知らずにそう言ってきたのは、文化発表会当日、
当時生徒会長をやっていた花井だった。
田島の暴走にも、表面上は、あくまでも表面上は穏やかに
対応できるくらいにはなっていたのだ。
















三橋。
にっこり笑ってオレに向かって「阿部くん」と呼ぶ。
「好き」だと心のままひたすらに言い続けている。
絆されたと言われれば、確かにそうかもしれない。
いつの間にか。
本当にいつの間にかに大切な存在になっていた。








「あべ…くん」
「ん」
泣きながら、大きな目から涙を溢れ出させながら
三橋はオレの名を呼んだ。
胸が詰まる。
手を伸ばしかけて、躊躇した。
嗚咽の隙間から、三橋の小さな声が転がり落ちた。
「阿部くんが好き、です」
「うん、知ってる」
何度も何度も繰り返されてきた、魔法のような言葉。
オレの気持ちを少しずつ変えていった「好き」という三橋の気持ち。
その気持ちをきちんと返したかったが今は出来なかった。
自分も持っている同じはずの「好き」を三橋に対してはまだ言えなかった。
「…卒業、したく、ない」
「三橋…」






ただ、卒業の春を待つ。
それだけがオレのつけたい「けじめ」だった。
教師としての。






オレは三橋の震えている手を、
その両手を自分の手で包み込むように握った。
俯いたまま泣き続けているこいつに、
怯えさせないように、優しく言葉を落とした。
「なあ、三橋。お前はオレのどこを好きになったんだ?」
何故そこまでオレのことを真っ直ぐに見つめてくれるのか。
そんなにも好意を寄せてくれるのか。
知りたかった。
「阿部くん」
「うん」
「…オレに、好きだって、いってくれた」
「え?」
返ってきた答えは、自分にとっては思いもかけないもので。
慌てて記憶を出逢った頃まで遡らせてみる。
「オレ、が、頑張ってるのわかってくれた。そこが好きだ、といってくれた。
オレとちゃんと、向き合って、くれたんだ。すごく、うれしかった」
顔を上げて、口の端を緩ませて三橋は泣きながら、でも笑った。
「好き、です」
胸のうちにこみ上げて来るものがある。
じわじわと境界線を越えて押し寄せてくる感情を抑えて、
泣き出しそうになる自分を精一杯に抑えて、オレは三橋を抱き寄せた。








『オレはちゃんとお前見てるよ。お前、頑張ってんだもんな。
そういうトコ、オレは好きだよ』







思い出した。
怯えながらでも、震えながらでも、三橋のほうこそ
ちゃんとオレと付き合おうとしてくれていた。
その姿勢にすごく好感が持てて、そんなことを言った記憶が確かにある。
最初に言葉を投げたのはオレのほうだったのだ。
その重さを今更ながらに自覚する。
教師、というだけではなく、言葉は何故こんなにも
大きな影響を人の心に与えてしまうのだろうと思う。
きっと三橋は与えられた好意に精一杯応えようと思い、
いつしかそれが「好き」という感情に変わってしまったのだろう。
教師であるならば、そんな三橋を真正面から受け止めず
ちゃんと諭してやらなければならないのかもしれない。
ただもうそれは自分にはできなかった。
まるで嵐のように、自分の中にも三橋に対する恋情が駆け抜けていって
人生を突然に変えられたまま、その変化を受け止めるだけで精一杯だったのだ。






柔らかい三橋の髪を、撫でて、撫でて撫でて。
こめかみに唇を寄せた。
そのまま目の縁に流れる涙を吸い取って頬に下りていく。
「阿部くん、…好き」
「…知ってるよ」
震える小さな声が愛しくてたまらない。
泣きながら想いを繰り返し告白している三橋は、
卒業式を迎えてオレが告白するその時にも泣いているのだろうかと思う。
抱き締める腕に、抱えている自分の想いの分の力を込めて。








ああ、それでも今は。




ただ春を、待つのだ。

















阿部!大好きです!!
お誕生日おめでとう!!


そして『そ(卒業)』に続いているのです。



BGM : スピッツ『ただ春を待つ』


2006/12/11 UP





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