月篠あおい Side














お前の枷にだけは
なりたくはないんだよ









『枷』 前編

(2006年11月29日泉お誕生日記念SS)








「先生と生徒」なんて括られ方は心外だと
泉はいつもそう思っている。






物心ついた時から、浜田は「近所のお兄ちゃん」だった。
お互いの家は歩いて5分くらいの所にある。
春には、桜餅抱えて近所の桜並木がある公共施設に、毎年花見に行っていた。
夏には、一緒に県営のプールに行って、帰りにアイスを食べるのが楽しみだった。
秋には、近所の公園のジャングルジムで、お団子を食べながら、
お月見をしていた。
冬は雪の日にあったかい肉まんを、2人で半分こしながら食べる。
いつも、泉の傍には浜田がいた。




年もかなり離れていたので、兄弟のようでもなく
2人の関係は言葉では上手く表現できないまま、
ただ時間は過ぎていった。




浜田が「コンビニのお兄ちゃん」になったのは
泉がまだ小学生の頃だった。
大学を卒業して、気が付いたらそのコンビニの店長にまでなっていた。
教員採用試験をずっと受けては落ちていたのを知ったのは
もう随分と後になってからで。
「オレ、先生になりたいんだ」
「へー。頑張れよ、応援すっから。で、何の教科なんだ」
「ああ、家庭科」
「……家庭科っ?」
じゃあ、雑巾の縫い方とか、洗濯の仕方とか、
調理実習とかするんだろうな、と泉は漠然と考える。




教員採用試験にやっと受かったときは、
浜田は息を切らせて泉の家まで駆け込んで来た。
「いずみーっ!オレ、受かったーっ!」
がばっと抱きつかれて、その時に
心臓がぎゅって痛くなったのを覚えている。
それは浜田が彼女に(もう何人目の彼女かは忘れた)
振られた直後で、泉が自分の恋心を自覚し始めたころだった。




浜田が憧れの職業だった学校の先生になれたのはいいとして、
まさか最初の赴任校が西浦になろうとは。
自分の家庭科の教科担任になろうとは、思ってもみなかったのだ。




現在中学3年生の泉が、浜田と「先生と生徒」の関係でいるのはたった1年。
そのたった1年でも、泉にとってはその括られ方は心外なのだ。
「好き」だと、言いたかったのに。
彼女もいない今の時期だからこそ、言いたかったのに。
浜田にとっては、すっごく年下のちいちゃいころから知っている、
しかも男である自分から告白されてもびっくりするだけだろう。
それでも良かった。振られてもよかった。
すっぱりと振られて、この泉が抱えている浜田への恋心にちゃんとケリをつけて
また浜田の存在を仲良しの「近所のお兄ちゃん」に戻したかった。




だが、その願いは叶わない。




浜田が先生になって、泉が生徒になって「好き」だと言えなくなって
それでも溜まってしまった感情は一刻でも早く投げ出したくて、
平然としている浜田にムカついたまま、気持ちをぶつけてしまった。
「好きだよ、先生」
先生呼びが皮肉だなんて、浜田は気がついてもいないだろう。
近所のお兄ちゃんにも戻れなくてもいい、このまんまお別れだ。
そう思って、最初で最後のキスをした。
忘れてしまいたかった。
自分の恋心なんて、無くしてしまいたかった。




だが、その願いも叶わない。




「そんな簡単に、終わらせてなんかあげない」
と浜田は言うのだ。
「泉。オレたち、つき合おう。つき合おうよ」
抱き締められて、そんなうれしい言葉を吐かれてしまって、
泉は泣く以外に何にも出来なかった。




好きでもないのに、そんな簡単に
お付き合いなんて始めていいのかよと泉は思う。
もう若くはないんだから、
ちゃんと彼女を作ったほうがいいんじゃねえのと重ねて思う。




こんな自分で、いいのかよ…と思うのだ。





浜田の枷になるくらいなら、すべてを終わらせてしまいたい。
その覚悟はいつでも出来ていた。
















そうして季節は巡って、秋も深まる頃。
文化発表会の準備で学校中が浮き足立ってる時期だった。






夜も更けて、浜田の家でのことだった。
最近は毎日宿題を持ち込んで、夜の時間を浜田と一緒に過ごしている。
ミニテーブルを挟んで、床に座り込んで。
食後の手作りデザートもたまについてきて、穏やかなはずの夜の時間。
「何やってんの、泉」
「…ビッグアートの宿題。全然終わんねー」
泉は1センチ角に切られたたくさんの色紙を
数十センチ四方の大きさの方眼紙に貼り付けている。
覗き込むと、どこにどの色を貼るのかがちゃんと指示されている。
「ああ、3年生の学年の出し物って毎年これなのか」
色紙を貼ったものを学年全員分繋げると大きなビッグアートになる。
これはステージのバックに飾られ、文化発表会の時にお披露目される。
そうして次の文化発表会まで1年間ステージを飾ることになるのだ。
卒業アルバムにももちろん掲載される。
卒業式も入学式もビッグアートの前で行われるのだ。
「こりゃ大変だ。手伝ってやるから。いつまでだって?」
「明後日。あんがと、浜田。今頃、どっこも親子で奮闘中だよ」





2人で黙々と作業を続ける。
「早く終わらせて、勉強も少しはしないとね。
明日は英語の教科書も忘れずに持って来いよ。苦手なんだろ、英語」
「え?オメー教科家庭科だろ?」
泉が思わずそう言ったら、おでこを軽く指先で叩かれた。
「あのな、現役教師を舐めんなよ。オレは新任教師だけど
昨年まで試験受けるために死ぬほど勉強してきたんだよ」
そうだけど…と思う。叩くことはないだろう。
「オレ、お前のこと先生だなんて思ったことねーからな。
オメーが勝手に先生になんかなったんだから」
ちょっとむっとしたので、その気分をそのままぶつけてしまう。
浜田が何でも受け止めてくれるので、いろいろ止まらない。
「はいはい、分かってますよ」
「その言い方がムカつくんだよ!」
泉は小さな色紙の束を投げつけた。





怒っても怒っても浜田は平然としていて、泉はそこに腹が立つのだ。
大人な浜田を遠く感じて、どこまでいっても届かないような気がするのだ。





浜田は散らばった色紙を拾い集めながら、笑顔で言う。
「好きだよ、泉」
「…ウソツキっ」
「ちょっと待った、その言われ方は納得できねーんだけど」
「お前オレのことなんか好きじゃねーだろ。
そういう目で見たことがないって、言ったじゃねーか」
「泉!」
浜田は膝立ちで泉の傍まで移動してきて、そのまま泉を床に押し倒した。
「いつの話なんだよ、それ。あれからどれくらい経ったと思ってんだよ。
オレがお前を好きじゃないなんて、そんなことまだ思ってんだ、ふーん…」
怒ってるのが見える、浜田の顔。焦る。
視線は熱を持っているようで、逸らされぬままで。
「ちょ、ちょっ、浜田…」
身を捩ろうとするが、体格差は歴然で。肩を押さえ込まれたまま、動けない。
「お前を好きな気持ち、じっくり分からせてあげようか?」
「…生徒に手ぇ出していいのかよ、先生が」
「先生と生徒、なんてそういう呼ばれ方は心外だ」
同じことを。お互いに同じことを思っている。
真面目な顔をして、浜田は更に言った。
「今は恋人同士だと思ってっけど?泉は違うの?」
「浜田…」
「違うの?」
「…違わねーよ」
掠れた声で、そう答えた。
浜田はにっこりと笑って、泉の鼻先に小さなキスをした。






恋愛の経験がなかった泉には、本当の恋人同士が
どんなものかはよく分かっていなかった。
ただ、この先、浜田が他の女の人を好きになったら
笑ってこの関係をきちんと終わらせようと思っていた。





枷になってしまうのはイヤだった。
泉はまだ15の子どもだったけれど、
人を好きになる気持ちはもう十分に分かってしまったから。
浜田の人生の枷になるくらいなら、いつでも身を引ける。





こんな子どもに付き合ってなんかいないで
もっと自分の幸せを考えて欲しいと思ってしまうのは傲慢なのだろうか。
「好き」な気持ちだけでは、人生を生きることは難しいのだ。









「可愛い、泉、可愛い」
覆いかぶさった状態ですりすりと顔を擦り付けてくる浜田から、
首を振って泉は逃げようとする。
「オメーはヒゲが痛いんだよっ」
「ひどいっ。ちゃんと剃ってるって」
「夜になったら伸びてるだろーが!」
「な、泉、オレ、お前のために歌うからな!」
「はあ?急に何言ってやがんだっ」
ばたばたと暴れるが、浜田にぎゅうと音がするくらい抱き締められていて
全然動くこともできないでいた。
「はま…だ…」
「痛くしてごめんね」
「なら、離せよ」
「やだ」
そして浜田は泉の耳元で「好きだよ」と囁く。
もらった言葉を心の中にゆっくりと染みさせながら、目を閉じた。
幸せで、幸せでこんなにも幸せで。
いつまで…、と泉は思う。











いつまで、こうして一緒に居られるだろうか。





遠い将来、2人の関係が壊れてしまったとしても、
それでも一緒に居られるだろうか。




それとも、
もう何処にも戻れないのだろうか、と。





















泉、お誕生日おめでとう!


『枷』 後編(浜田視点)に続きます。






2006/11/29 UP





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