月篠あおい Side














だって出逢ってしまったんだ



自分の人生を
変えてしまうほどの
そんな出逢いだったんだ











『ご乱心の、その理由』










酒は呑んでも、呑まれてはいけない。
と、オレ、水谷は思う。




決して隠していたわけではないのだが
酔ってしまうと、溢れ出る本音を抑えきれない。




ずっと言わなきゃいけないと思っていた。
何も言わずに別れてしまうよりは
少しでも可能性がある方に賭けたかった。









「栄口先生が、好きだよ」









学年の先生方との飲み会の後、栄口先生と2人で
オレの行きつけのバーに足を運んで
たくさん楽しい話をして、笑って笑って
ついでに呑みすぎて泥酔してしまって。





そんな状態で、勢い余ってとうとう言ってしまった。








もう、秋も終わるのだ。
冬が来て、またすぐに心乱れる春がやってくるのだ。
それが怖い。
それが怖くてたまらない。




オレは何にそんなに怯えているんだろう。
まだ3月に別れが来るとは決まっていないじゃないか。
そうは思っていても、
漂う予感はどこか世界を
侵食しているような気がする。







奇跡はまた、おきるかもしれないのに。





























昨年度末、そう今年の3月のオレは
生徒たちから「フミキご乱心」と呼ばれてしまうくらい
不安定な日々を過ごしていた。






元々全然しっかりしている方ではなくて、校内でよく転んだり
ワークを床にぶちまけたりしているのだが。
が、それにもまして言動行動ちょっとおかしくて
西広大先生から「県教委から変なチェック入るといけないから」と
事情を聞かれて大慌てしてしまったくらいなのだ。





乱心した理由は2つ。
異動、するのが怖かった。
まだ1年しかいなくても、突然の異動になることだってある。




何故って。





昨年の春に、栄口先生と出逢った。
異動でこの西浦中学校に来たばかりのオレに、やさしく接してくれた。
もう6年ほどこの学校にいるらしく、その暖かい人柄に
生徒や先生間の人気もかなり高い。
何よりも素敵だと思えてしまうのは、その笑顔だ。
「水谷せんせ、はよ!」
いつも先生の「い」が消えかけるイントネイションが独特で。
2人とも1年生の担任になったこともあって、
学年をまとまったひとつのグループとして活動していくことが多い
学校という場所では、一緒にいる機会も多かった。




いつの間にか、惹かれていた。
栄口先生を好きになっていた。
たくさんの言葉を知っていて、気もよくついて
「水谷せんせ」とやさしい笑顔でこちらに向かって手を振る
栄口先生をいつしか好きになっていた。







異動されるのも、怖かった。







春が過ぎて夏が過ぎて秋がやってきて、冬も追いついた頃、
一緒にいる、そのあまりの幸せの反動で
栄口先生と離れるのが怖くなっていった。
西浦中学校にいる期間が他の先生よりも栄口先生は長い。
自分から異動を希望しなくても、その長さから
いつ異動になってもおかしくはない状況だった。
「もしかしなくても、異動の希望なんか出してないよねっ」
「水谷せんせ…」
溜息を大げさにつきながら、栄口先生はそれでも笑顔を向けてくれた。
放課後の図書準備室。司書の先生が定時で帰った後、図書主任である
栄口先生はひとりになりたいとき、よくここにいるらしい。
それなのに、オレもちゃっかりお邪魔したりもしてるけど。
「出してないよ。西浦は通勤にも便利だし、自宅から通えたからね。
何よりオレ、この学校が気に入ってるんだよ。いい学校だよ、ここは」
「事務長先生は大変そうだけど」
「大きい学校だからねえ。教頭先生も事務長先生も2人ずつ。
養護教諭の千代ちゃんには補佐の先生もついてる。図書館も2人体制だよね」
「その大人数でみな好き勝手にやってるって、事務室は苦い顔っ」
「ははは」
「こないだ市職のほうの事務の先生から愚痴を30分も聞かされたよ」
「そりゃ、お前が提出物の期限を守んないからだろ?」
「人数多すぎて、回覧がまわってくんのがおせーんだもんよ」
「そういや新人の田島せんせが3件止めてたよな。
阿部せんせが、机片付けろーって怒ってたよ」
他愛も無いおしゃべりで、仕事の疲れも吹っ飛んでいく。




せっかく出逢ったのに。
栄口先生を好きな気持ち、いっぱいになるほど抱えているのに。
お別れなんて嫌だと、自分の焦る気持ちを持て余す。




学校というところは基本的に年度で区切られていて
4月1日に新しい年度が始まり、3月31日で終わっていく。
定期異動の内示は毎年、3月のあと一週間で今年度も終わるという頃に出る。
公立である西浦中学校の教師は県の職員として雇われているので
県全部が異動の範囲となる。
自宅から通えないほど遠くに異動になった場合は、やはり住む場所から
探さなくてはならない。
転勤がある一般企業と同じく、家族から離れて単身赴任になる場合もある。
3月末に一斉に大移動をするのだ。
そして、4月1日の年度初めを新しい学校で迎える。





自分の気持ちも伝えてないのに
栄口先生が異動になってしまったら、そのままお別れになってしまう。
まだ担当教科が同じだったなら、
教科等研究会や研究授業などで会うこともあっただろうけど。






自分の人生を変えてしまうほどの出逢いだったのに。






焦りも不安も何もかも持て余して
乱心してしまったのが、今年の3月だった。
結局、奇跡が起きたのか、オレも栄口先生も異動にはならなくて。
揃って2年の担任に持ち上がりとなって、
やっと落ち着きを取り戻したのだ。
ああ、また1年の猶予ができたと思ってしまって。




でも、今度は。
ちゃんと気持ちを栄口先生に伝えようと思っていた。




でもでもまさか。
酔っ払った勢いで、告白してしまうとは思ってもみなくて。





























酒は呑んでも、呑まれてはいけない。
と、オレは本気でそう思う。



















「水谷…せんせ?」
風は肌を冷たくして通り過ぎていくのに、体のどこもかしこも熱い。
顔の全部を、赤く赤くして栄口先生はこちらを見ている。
告白はしっかり聞こえてしまっていて、戸惑っているのが見て分かる。
オレも、栄口先生から視線をはずさずに、ただ見つめていた。












好かれているとは、恋愛対象として見て貰っているとは
万に一つも思ってはいないけれども。












栄口先生が、好きだよ。










別れてしまうのは、嫌だよ。
だって出逢ってしまったんだ。
















月篠も学校図書館の司書をしていて
一度異動をしています。(市職扱いなので異動は市内の学校)
突然の異動で、すごくばたばたしたのを思い出します。




2006/8/27 UP





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