月篠あおい Side














まだ先だと…
そう思っていたいのが、常だった。











『まだ10ヶ月も先の話』










「オレ、卒業式にあいつ送りだしたら
…泣くかもしんねェ。どうしよう…」
生徒たちから怖いと大評判の3年担任生徒指導担当の
阿部先生が飲み会の席で突然そうのたもーたので、
オレ、水谷はとんでもなくびっくりしてしまった。
畳にお酌のため持ってたお銚子を
ひっくり返しそうになったくらいだ。





だってまだ季節は初夏なんだけど。
学校の桜の葉のグリーンが、やけに色濃くなってる時期なんだけど。





確かに阿部先生はかなり酔ってもいるようで
いやいや、だからこそ本音の一つも出ちゃうんじゃないかな。
うん、きっとそうだ。
オレだって酔っ払ったら、分かんないもんね。





今日は職員有志の飲み会だった。
毎年4月1日に行われる前年度の送別会。新学期の後の歓迎会に次いで
今年度に入ってもう3回目の飲み会だった。
といっても、この西浦中学校は大きい学校で全職員の数は
50人を軽く超す。定期異動のための送別会歓迎会のように
職員のほとんどが集まるわけではなくて
若手中心に20人くらいでのんびり飲んでいた。





「あいつ…って、阿部せんせ、三橋の話?」
そんなぴったしかんかんの問いかけをしたのは栄口先生。
阿部先生は目のふちを赤くして、はああとため息をついていた。
「オレな」
話し始めた阿部先生の前にオレと栄口先生が2人正座で座って
どきどきしながら続きを待っている。
「三橋を…あいつをちゃんと希望の高校に入れてやりてェ。
いい思いさせてやりてェ…」
「やっぱ成績が、とか?」
「いやそれより、面接があのオドオドだとヤバいとか」
「どっちも…かなりヤベェ」
またまた大きなため息をつかれてしまって、
オレたちも返す言葉がちょっとなかった。
3年の先生方は、いつもいつも大変そうで。
何かもちょっと明るいネタはないもんかと、
脳内を駆け足で巡ってみる。
「そういえば阿部先生。三橋って先生の親衛隊長なんだって?」
オレがぽろっとそう言うと、
阿部先生は腕を組み俯いてむむむと唸り始めた。
「へーそれって初耳だな。あ、阿部せんせ、も1杯どうぞ」
栄口先生は明るく笑いながらお酌をしている。
「ワリ」
ちょっとばかし羨ましがっていたら、こちらを向いて
栄口先生が笑って言った。
「ほら水谷せんせも、まだまだ飲んで、ね」
うわあうわあ。
その笑顔が可愛くて、いろいろとうれしかったオレだった。





「水谷」
低い声で阿部先生がオレを呼び捨てる。黒いオーラが見えるようだ。
実は阿部先生はオレの大学の先輩なんだよな…。
このオーラはかなりヤバい。
おおい、オレどっかで地雷踏んじゃった?
最近あちこちで踏み過ぎて、境がよく分かってなかったりすんだけど。
栄口先生は横でおろおろしながら、口を挟めないでいるようだ。
「その親衛隊の話、どっから流れてきたんだ。
お前そういう噂話をキャッチするのだけは上手いからな」
「…もはや噂じゃないでしょ、阿部先生」
「そう思ってんなら、さっさと吐け」
「千代ちゃんからだよ、聞いたのは」
「……保健室か!」
養護教諭の千代ちゃんは、その職業柄、
オレたち普通の教師が知らない生徒のことをたくさん知っているのだ。
親衛隊情報もそのひとつ。
これは公にしても差し支えない情報らしい。
「ねえ、親衛隊って三橋が自分で作ったの?隊長ってことはそうなの?」
栄口先生が素晴らしい当たりのヒットな質問を飛ばしてくれた。
「…あいつなー。『阿部先生はオレがちゃんと守るからね!』とか
このオレに対して言いやがるんだけど、逆だろ?!普通!
守ろうとしてくれんのはうれしーんだけど、その前に自分を守れよと!
もちょっと自分の将来ちゃんと考えろよ!と。
可愛くってたまんねーんだけどっ、そこらへんがさ!」
「…ふーん、で、三橋が作ったの?親衛隊」
阿部先生のテンションにはのまれずに、さらりと栄口先生はさらに問うた。
「まーな。9組の半数くらいは加担してるらしい。
最初に煽ったのは、…大変元気な野球部顧問の某先生なんだが」
うわーっ!田島か!
思わず、会場になった部屋の中央で騒ぎ始めている田島を見遣った。






「あいつ、このまま卒業しないといいのにな…」
阿部先生はぼそりと言う。
待て待て。
希望の高校に入れたげたいんじゃなかったんでしょうか…。
「阿部せんせ、それじゃ本末転倒だって」
横からすかさず入った栄口先生の突っ込みに
グッジョブと心の中だけで呟いたオレだった。













卒業に伴う別れは、
毎年毎年複雑な思いの中でやってくる。
心を寄せた生徒がいる場合、
一層その感情を持て余してしまうのかもしれない。









でもそれはまだ10ヶ月も先の話。














「西浦中学校物語」
水谷先生の次にできたキャラが阿部先生でした。
親衛隊ってなんだよ(笑)
勝手に話が進んでるような…また…(笑)




2006/5/24 UP





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