月篠あおい Side














そのぜんぶに、
相手を思う大事な気持ちが詰まっている。









『その、ぜんぶ 4』

(「西浦中学校物語」Afterwards)
(2010バレンタイン&2010/2/19サイト開設5周年記念スペシャル)












雪がちらちらと舞い出したのは夜になってからだった。
寒い夜だった。



どうか、どうかどうか嫌われませんように。
そう願いつつ、両の掌、その上に乗せて差し出したのは、
透明な袋に赤いリボンでラッピングされたたったひとつの小さなチョコカップケーキだった。
いつもと変わらない阿部くんの部屋なのに、今日は何かが違うような気がしている。
ソファに2人座って向かいあっている。
正座してしまうのは昔からのクセだった。
オレ、三橋の心臓はばくばくと必死で動いているようで、
息も苦しく、両腕が徐々に震えてくる。
涙が零れ落ちそうで、目の前に阿部くんはいるのに顔が上げられないでいた。
ケーキの小さな重みが掌から消える。
「ありがとう、顔、上げてくれよ」
そう言われても俯いたまま動けないでいたら、顎を掴まれて上を向かされる。
優しいキスが下りてきて、そんな風に触れ合うことが幸せで。
でも今日は胸が痛いよ。



訊かなきゃ、ちゃんと訊かなきゃ。
春が来るんだ。



「お前が作ったのか?」
これ、とチョコカップケーキを持ち上げて、阿部くんが言う。
オレはぶんぶんと首を縦に振って頷いた。
「オレが食べていいのか?」
「阿部くんの、だから、いいんだ!」
「いや、お前の分はないのかと思ったんだが」
今度は首を横に振る。
気持ちが沈んで項垂れてしまう。
「なかなか上手く、焼けなくて。成功したの、そのいっこだけ、なんだ」
「そっか。一個だけでも成功して良かったじゃないか。他はどうした。失敗したヤツは?」
「……」
「捨てちまったのか?」
「……捨てて、ない!泉君がもらうって」
阿部くんは納得したようで、小さく頷く。
「それ、阿部くん、食べて。足りない、なら、他にはオレしかあげれる、ものがない、けど」
「お前それ意味分かって言ってんのか?」
「ううう」
よく分かってないかもしれない。俯くしかない。
阿部くんはカップを剥がすと、ケーキをあっという間に食べてしまった。
「美味いよ、ありがとうな。……あのなあ」
「う、うん」
「来年またもし手作りしてくれるんなら、失敗した分も全部持って来い」
「……え」
「全部オレのだ。オレが食うっつってんだ」
「阿部くん」
顔の内側がじわりと熱くなって、涙が出るよ。
止まらないよ。
「泣くなよ、何で泣くんだよ」
頭を撫でられる。



訊かなきゃ、ちゃんと訊かなきゃ。
春が来るんだ。
自分がこの場所に居ていいのかが、分からなくなるから。
ちゃんと。







「……西浦とは、お別れなの?」
「……っ」
阿部くんの表情が変わる。
「西浦を出て、何処か遠くに行っちゃうの?」
「そうか、泉か」
何故分かるんだろう、泉君から聞いたこと。
「浜田先生に言ったのはオレだからなあ。
泉を責めてるわけじゃなくて、オレがもっと早く、ちゃんとお前に言わないといけなかったんだ」
「ご、ごめんな、さい」
「三橋」
阿部くんの腕がオレを包み込むように背中に回る。
抱き寄せられて、阿部くんの胸に転がった。
「西浦からは3月いっぱいで異動になる。
どこの学校かはまだ分かんないんだが地域だけはもう決まっていて、
そんな遠くはないところだからここから通えそうだ。お前とも会える」
「こうやって、今まで通りに?」
「ああ、だから泣くな。目が溶けちまうぞ」
「……寂しくない?」
「お前らの学年を卒業させて肩の荷も下りたし、
今の1年は手が掛からないから、異動にはちょうどいい頃合だな。おお、そうだ」
阿部くんはポケットを探るとほら、とチロルチョコを1つ差し出した。
「水谷から今日もらったんだった。食うか?」
「うん!」
パッケージフィルムを剥いて、というか剥こうとして上手くいかず、
結局阿部くんに剥いてもらってオレは口の中にチョコを放り込んだ。
甘くて美味しい。
中にはアーモンドが入っていた。
「水谷がなあ、今3年の担任でばたばたしてんだけど」
「水谷、先生?」
「4月からはオレの分まで頑張る、とか言うんだぜ。
ちゃんとやれんのかかなり心配だが、そんなことを言ってくれたってのがうれしいよな」
「うん」
オレは阿部くんの目をじっと見た。
口では明るく言っているけれども、その実寂しそうで、
やはり居慣れた場所を離れることが辛いのだろう。
2人の距離を更に詰めて、オレは阿部くんに触れるだけの口付けをした。
まだまだオレはしっかりしていなくて、阿部くんを守ることができないけれど、
それでも幸せでいてほしかった。
何か自分にできることはないかと思うのだ。
「足りねえよ」
そう投げかけられた言葉を意識が処理する前に、抱きすくめられて、深く口付けられる。
チョコより甘く痺れるような感覚があり、動けなくなる。
「……くれるっていうもんは、やっぱもらっとこうかな」
「?」
「三橋、オレが好きか?」
好きだ!と勢いよく返したら、阿部くんは笑顔を見せてくれた。
阿部くんはソファから立ち上がると、オレの手を取る。
促されて、オレも立った。
オレの手を引っ張りつつ、阿部くんはどこかに行こうとしている。
「ど、どこに行くの?」
「寝室」
「えっ!?」
「今日は泊まっていけ、遅くなっから」
「えええっ!?」
「お前の全部が欲しいんだ。
この先泣いてもいいから、ちゃんとついてこいよ」
繋いだ手はいつもより、ちょっとだけ冷たいような気がしている。
阿部くんの傍にいる自分が、温かくしてあげたかった。
その手も、心さえも。
自分の全部で阿部くんを幸せにしたかった。
オレは小さく頷くとぎゅっと手を握り返した。
阿部くんの視線は自分に注がれている。
大好きな人を独り占めしていることを今ではうれしく思っている。
手は繋いだままでゆっくりと阿部くんは歩き出した。
たくさんのどきどきを抱えながら、オレは阿部くんの後をついて行く。





今日はバレンタインデー。
世界中できっとたくさんの愛が飛び交っているだろう。
幸せが雪のように、皆にも降り注げばいいとオレは思った。















バレンタインに飛び交うチョコレートの、
その、ぜんぶに。
愛情と感謝を込めて。










はっぴーばれんたいん!



最後はアベミハです。
阿部先生は西浦を異動になってしまいます。
ミハの意識がここにきて変化していて、
ああやっと自分の気持ちを肯定することができたんだなあと思うと、
それがうれしくてたまりません。
幸せになってほしいです。
阿部先生にがっつり食われておしまいっ(笑)


この4作でまた一区切りとなってしまいますが、
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。











2011/2/19 UP





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